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・京都にいると、さみしい気持ちになることも多いです。 これは、否定的な感情ではなくて、 ちょっと薬味の効いたおとなの味、 というくらいの気持ちなんですよね。 外の景色をいつも目に入れて過ごしているので、 夜が近づいて暮れていくのが、自然に感じられるんです。 暮れていく、というのは、いわば死んでいくです。 毎日、一日が朝に生まれて、夜に死んでいきます。 縁起でもないと言われるかもしれませんが、 ただのほんとうのことです。 死ぬから生まれるのだし、生まれるから死にます。 これ、さみしいことにはちがいないんですよね。 そんなさみしさはいやだ、 生きたり死んだりなんて考えたくもないぜ、 というのがいまの時代の都会です。 太陽のかわりの光は、点けっぱなしです。 舞台は、ずっと昼間のようにもできます。 疑似的な不老不死の場が、都会なのかもしれません。 いやいや、ぼくは、よくある文明批評を しようとしているのではないのです。 ずっと生きているような感じ、よりも、 生まれたり死んだりのリズムのなかにいるほうが、 さみしいというような感情もふくめて、 おもしろみがあるなぁ、と思ったのです。 たぶん、都会の不老不死に疲れた人たちが、 やがては、自然界にふつうにあった 「さみしさ」を求める時代が、 やってくるんだろうなぁなどとと、考えたりね。 ・送り手、つくり手が、どんなに力を入れても、 それが通じるとはかぎらないということを、 ぼくは、かなりよく知っているつもりです。 でも、ときには、通じさせようとすることよりも、 全力をつくすことを大事にすることがあります。 今回の『吉本隆明プロジェクト』というのは、 そういう性質のものです。 「人気はあるけれど難解である」と 思われていた吉本隆明さんの声で語られることばが、 「あ、わかる!」と思えたときの快感を、 ぜひ、「ほぼ日」の読者に分けたいと考えています。 今日から、また新しい局面です。 どうぞ、よろしくお願いします。 来て読んでくれること、ほんとうにうれしいのです。 今日も、来てくれてありがとうございます。 |
| 2008-07-09-WED |
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