山岸 |
それでは、すこし話をさせていただきます。
わたしは40年以上、研究を続けてきて、
間もなく定年を迎えます。
そこで、わたしが今までやってきたことを
まとめて話してみようと、
3月18日に、東京で講演を行う予定です。
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糸井 |
つまり、最終講義?
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山岸 |
ええ。
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糸井 |
すごく興味深いんですけど‥‥
最後というのは、すごく残念ですね。
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山岸 |
最近は、あらためて
「自分は何がやりたかったのだろう」と
考えるようになりました。
いろんなことに興味を持って
研究してきたけれど、
「いちばん、やりたかったこと」は、
何だったんだろう‥‥と。
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糸井 |
ええ、ええ。
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山岸 |
結論は、まだ出ていません。
でも、長い時間を費やしてきた
「社会心理学」という学問について考えたとき、
「社会には
人間の進化の過程が見て取れる」と
思うようになったんです。
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糸井 |
‥‥というと?
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山岸 |
この世のなかで、わたしたちは
一人だけ
好き勝手に生きることはできません。
これは、当たり前ですよね。
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糸井 |
ええ。
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山岸 |
人間という生き物は
それこそ「何百万年」もかけて進化しながら、
「社会をかたちづくって生きていく」
という方法を
脳のなかに構築してきたんだと思います。
つまり、その進化の痕跡のようなものが、
脳に刻まれているはずだ‥‥と。
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糸井 |
たとえば、どのような?
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山岸 |
いじめ、という問題を考えてみましょう。
キミたちが、
クラスメイトから「しかと」されたとします。
これ、すごく落ち込みますよね。
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糸井 |
ええ、ふつうは。
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山岸 |
でも、ちょっと考えてみてください。
「どうして、
そんなに落ち込む必要があるの?」
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一同 |
ざわざわ‥‥。
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糸井 |
たしかに「しかと」されたからといっても、
それで
ごはんが手に入らなくなるわけでもないし‥‥。
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山岸 |
そう、「しかと」なんて
「生きていくこと」とは直接には関係しない。
でも「しかと」されると、ものすごくイヤ。
わたしだって
研究所でみんなにそっぽを向かれたら‥‥
ちょっと
いたたまれない気持ちになると思います。
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一同 |
(笑)。
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山岸 |
でも、これってすごく不思議なことなんです。
他の動物では、そんなことはないはずだから。
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糸井 |
そうか、
「しかとされてしょぼくれている犬」とか
あんまり、見ないですよね。
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山岸 |
見ません。
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一同 |
(笑)。
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山岸 |
これ、なぜかというと
「人間というのは
集団のなかでしか、生きられない動物」
だから‥‥なんですね。
そのために、まわりから無視されたり
嫌われたり、受け入れてもらえないということが
ものすごく重大な問題となる。
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糸井 |
なるほど。
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山岸 |
で、そうした部分の感受性が
進化の過程で「増幅」されていったことで、
ちょっとした「しかと」でも
大きなダメージを受けるようになってしまった、
そういうことだと思うんです。
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糸井 |
うん、うん。
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山岸 |
ゆえに人間は、
「まわりから受け入れられる」よう行動を
取らなければならなくなった。
だからこそ、人間は
「うまく社会をつくることができた」とも
言うことができます。
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糸井 |
はい。
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山岸 |
しかし他方で、そうした行動が過剰になり、
「制度化」してしまうと‥‥
社会のなかで
われわれ人の行動はパターン化してしまう。
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糸井 |
‥‥それが「しがらみ」ですね。
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山岸 |
そう、そうなんです。
ばかばかしい話に聞こえるかも知れませんが、
「しがらみ」というのは、
自分たち自らつくっている「縛り」なんです。
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糸井 |
うん、うん。
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山岸 |
みんな「カール・マルクス」という人の話は
聞いたことあるかな?
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糸井 |
ないんじゃないですか‥‥ね?
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山岸 |
彼の主張には、いろいろ重要な点がありますが、
「疎外」という言葉を使って
表現しようとしたことが、あるんです。
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糸井 |
ええ。
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山岸 |
自分たちの行動が、自分たちを縛ってしまう。
自分たちが望んでいない行動を
取らざるを得ない環境をつくってしまう‥‥
ということなんですが。
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糸井 |
どうして人間は
そんなことをしてしまうんですか?
誰も望んでないのに。
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山岸 |
そう、まさにそうした不思議を、
わたしは、長いこと研究してきたんです。
人間の社会とは、
どうしてそんな仕組みになっているのか。
今日は、こうした不思議の一端でも、
みなさんに
お話できればいいなと思っているんです。
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糸井 |
すごく、わかりやすいです。
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山岸 |
‥‥わかる?
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一同 |
(うなづく)
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糸井 |
つまり人間が、不本意ながら
自分で自分を縛ってしまう「しがらみ」を
つくってきたのは、なぜなのか。
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山岸 |
自分では、そんな「しがらみ」なんて
まっぴらごめんなんだけど、
まわりの人の行動を読みながら行動していると、
誰も望まない状況が、つくられてしまう。
つまり「しがらみ」を生み出してしまう。
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糸井 |
‥‥不思議です。
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山岸 |
では、ちょっとここで、クイズを一問。
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糸井 |
おお。
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山岸 |
「まわりの人が自分をどう思っているか、
つい気になる」
「まわりの人との和を、大切にしている」
このふたつのことって、
よく「日本人の特徴」だと言われますね。
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糸井 |
ええ、ええ。
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山岸 |
でも、本当のところはどうなんだろう?
日本人とアメリカ人に、
「まわりの人が自分をどう思っているか、
つい気になる」
かどうか、
「まわりの人との協力関係を、
大切にしている」
かどうかについて、質問をしたんです。
結果は、どうなったと思います?
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糸井 |
うーん‥‥。
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生徒 |
日本人のほうが強く意識していそうです。
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山岸 |
ふつう、そう思いますよね。
でも、結果は
まわりの人たちと協力的な関係をつくりたい
という点では、ほとんど差がなかった。
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糸井 |
へぇー‥‥。
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山岸 |
むしろ
「周囲の人間と良好な関係を保ちたい」
という気持ちは、
アメリカ人のほうが強いと出たんです。
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糸井 |
そうですか。
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山岸 |
アメリカ人は「個人主義的」だと言われますね。
なのに、
実験結果では「協力関係」を大切にしている。
それは「自分の利益を最大化するために」こそ、
周囲と良い関係を築かなければと‥‥。
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糸井 |
思っている?
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山岸 |
いろいろな分析ができるとは思いますが、
ひとつには、そうです。
だけど、だからといって
まわりの人たちが自分のことをどう思っているか、
「いつも気になっている」わけじゃない。
そこが、
日本人とアメリカ人で違うところなんです。
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糸井 |
つまり「日本人は、いつも気にしている」と。
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山岸 |
アメリカ人も、日本人と同じように、
まわりの人たちと良好な関係を築こうとしている。
だから、まわりの人が
自分の考えや行動にどう反応するかを見ています。
だけど、そのことは
「自分がどう思われているか
ついつい気になってしまう」
ということとは、違うんですよね。
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糸井 |
ほー‥‥。
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山岸 |
ちょっと極端な言いかたをしますと、
日本人はいつも
「まわりの人から悪く思われないように」
と気にしていて、そのように行動する。
それに対してアメリカ人は、
自分の思いどおりに
まわりの人の考えや行動を変えさせるために、
自分の意見や行動に対する他人の反応を
観察しているんです。
でもそれは「気にしてる」わけじゃなくて。
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糸井 |
つまり、目的がちがうんだ。
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山岸 |
「日本人が他人の目を気にする」のは、
「他人の目」が
「自分を縛る縄」になっているから。
自分を縛ることで
他の人と良好な関係をつくろうとするのが
日本人で、
自分の利益にあった行動を
他人に取らせることで
良好な関係を作ろうとするのがアメリカ人、
と言ってもいいでしょう。
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糸井 |
なるほど‥‥。
「自分の行動を縛りつける」というのは
マルクスのいう「疎外」ですね。
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山岸 |
まさに、そうなんです。
いつの間にか、
自分のやりたいことができないような環境を
自ら、つくってしまっている。
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糸井 |
そうして「しがらみ」が、生まれる。
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山岸 |
そう。
<つづきます> |