ぼくらはどうして「周囲の目」を気にするのか? 20人の高校生と 「しがらみ」を「科学」してみた。
 



山岸 それでは次に
「まわりの人が、
 自分をどう思っているかが気になる」
このことの意味を、
みんなで考えてみましょうか。

みなさんは「ゲーム理論」という言葉、
聞いたことがありますか?
一同 ありまーす。
糸井 数学の一種ですよね。
山岸 それぞれの人が、
まわりの人の反応を予測しながら行動したとき、
全体としてどういう結果が
生まれるか‥‥ということを分析する理論です。

自分がどう動いたら、
まわりがどのように反応するのかを「読ん」で、
目的達成のために
最善の方策を取ろうとする人を、
私は「ゲームプレイヤー」と呼んでいます。

言葉じたいは、あんまりよくないのですが。
糸井 うん、うん。
山岸 その一方で
「ゲームプレイヤー」じゃない人もいます。
糸井 つまり
「ゲームに参加していない」ということ?
山岸 そう。

その人たちは、
まわりから受け入れられることだけを考えて
行動しているんです。

だから「周囲の目を気にする」ことの意味が
自分の目的達成を考えている
ゲームプレイヤーとは、異なるんです。
糸井 なるほど。
山岸 ようするに、
積極的にはたらきかけるということでなく、
ともかく
まわりから嫌われずに受け入れられることが
生きることの大きな目的になっている。
糸井 よく思われたい、と。
山岸 なぜ、そうした「非ゲームプレイヤー」が
登場してくるのか。
糸井 ええ、ええ。
山岸 実際、調査をして、
彼ら「非ゲームプレイヤー」の人たちに
「周囲の目を気にするだけの自分が
 理想的なのか」
と聞くと「そうじゃない」と言うんです。

でも、ついつい、そうしてしまう‥‥。
糸井 うーーーん、なんでだろう?
山岸 この問題については
とても興味深いので調査中なんですけど
みなさんは、どう思います?
生徒 やりたいことが
明確になってないんじゃないかなと思います。
糸井 ほう。
生徒 たとえば「医者になりたい!」と
強く思っていたら
ガリ勉と言われようが気にならないと
思うんですが
将来、何になりたいか決まっていなかったら、
みんなに
「あいつガリ勉だよな」と思われちゃうほど
勉強しようとは思わない。
糸井 ふーーん‥‥。
山岸 おもしろいですね。

確固とした「自分がない」ということと
関係しているのではないか‥‥と。
生徒 はい。
山岸 なるほど、なるほど。

このことについては
引き続き、考えていきたいと思います。
ありがとう。

それでは‥‥また、ちょっと別の話。
糸井 はい。
山岸 わたしは「文化比較」の研究実験も
よくやるのですが、
そこで発見した日本人の特徴があるんです。

それは
「日本人は他者一般に対する信頼が低い」
ということ。

つまり、他人を信じない。
糸井 それもまた、ちょっと意外ですね。
山岸 わたしたちの常識とは、逆ですね。

比較して言うならば、
アメリカ人のほうが他人を信頼しています。
糸井 日本人よりも。
山岸 さらに「日本人はリスクを取らない」。
糸井 危ないことは‥‥しない。
山岸 そうです。そして、わたしは
両者には「関連性がある」と思っています。
糸井 他人を信用しない‥‥ということと、
危ないことはしない‥‥ことが?
山岸 なぜなら、
「他人を信頼する」ということは
「リスクを取る」ことだと思うので。
糸井 そうか、信頼したのに騙されちゃったら
ひどい痛手を負ってしまいますね。
山岸 先ほど、1年目の手帳に欠陥の可能性があったとき、
それを公表して
新しくつくり直した手帳を
購入者に無料で届けたとおっしゃいましたが、
それは「消費者を信頼した行動」です。
糸井 はい。
山岸 ごまかさずに正直に公表したら、
どんな大きな問題になるかも知れないと‥‥。
糸井 それは、覚悟してやりました。
山岸 つまり、それが「リスク取る」こと。
糸井 なるほど、なるほど。

じつは、今年(2011年)も
新しい手帳を無料で届けたことがあるんです。

それは「震災で手帳を失ってしまった人」が
たくさん、いらっしゃったんですね。
山岸 ああ‥‥。
糸井 その人たち全員に、無料でお送りしたんです。

申し込みは自己申告制でしたから、
ふつうなら
「震災とは関係のない人が
 ウソをついて申し込んでくるかも」という
反対意見が出るところ、
うちには「山岸理論」が浸透していたので、
異論を唱える人は、いませんでした。

もちろん、
頭のなかではそのリスクを理解しながら、ね。
山岸 それで‥‥どうなったんですか?
糸井 たしか、1400件以上の申し込みが来ましたが
全員に新しい手帳をお送りしました。

もしかしたら、そのなかに
本当は震災で失ったんじゃないのに
申告した人も
混じっていたかもしれませんけど‥‥
ぼくらは「混じっていてもいい」と決めたんです。
山岸 つまり「リスクを取った」。
糸井 実際には、申し込んできた人のほうで
迷ったこともあったと思うんです。

「わたしも申し込んでいいんでしょうか」
というメールがけっこう来ましたから。
山岸 それは、どんな?
糸井 たとえば「東京で震災に遭った者です」
という人がいたり。
山岸 ほう。
糸井 つまり、買い物している最中に
地震に遭って、
荷物を放り出して逃げたそうなんです。

そのとき、手帳もなくしてしまった。

被災地に住んでいるわけでもないんだけど、
こんなわたしでも、いいんでしょうかと。
一同 ああー‥‥。
糸井 ぼくらの答えは「いいんです」とした。
山岸 なるほど。
糸井 そのかたについては
嘘を言っている感じはありませんでしたが
でも、ある程度の確率で
嘘をつく人も混じってくることについては
「別にいい」としたんです。
山岸 反響は、どうだったんですか?
糸井 「本当にうれしかった」というメールが
たくさん届いたんです。

これはぼくらのほうこそ、うれしかった。

手帳というものは「書いてくれる人」がいてはじめて
完成するものなんだということが、よくわかりました。
山岸 うん、うん。
糸井 そう思えたことの「収穫」は何より大きくて、
新しい手帳の代金や送料などのコストを考えても
ソンだなんて、思えなかった。

むしろ「大儲けした」ってくらいに、感じました。
山岸 まさに「リスクを取った」ゆえの結果ですね。
でも、リスクを取るというと、なんかすごく‥‥。
糸井 危ないことをする、みたいな。
山岸 そう。でも、本当はそうじゃなくて
腹を据えて
「失敗してもいいや」と思えるかどうか、です。
糸井 そうですね。
山岸 で、話を元に戻しますと、
なぜ日本人が「リスクを避けよう」とするかというと
「危ない目に遭うのはイヤだ」と、
みんなが、思ってるってことじゃないですか。

つまり「失敗したって、いいや」と思えない。
これは、いったいどうしてなのか。
糸井 日本人の文化や伝統、国民性とか‥‥。
山岸 では、ないと思うんです。

だって、戦国時代には
みんなリスクを取って生きてたわけですから。
糸井 なるほど、そうか。
山岸 だとしたら、どうしてだろう。
糸井 もう、答えが出てるんですか?
山岸 いえ、まだ考えてるところ。
糸井 あ、そうですか(笑)。
山岸 でも「こうじゃないかな」という仮説はあります。
糸井 それは?
山岸 日本の社会は「リスクが大きすぎる」ということ。

<つづきます>

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2012-03-16-FRI