山岸 |
それでは次に
「まわりの人が、
自分をどう思っているかが気になる」
このことの意味を、
みんなで考えてみましょうか。
みなさんは「ゲーム理論」という言葉、
聞いたことがありますか?
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一同 |
ありまーす。
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糸井 |
数学の一種ですよね。
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山岸 |
それぞれの人が、
まわりの人の反応を予測しながら行動したとき、
全体としてどういう結果が
生まれるか‥‥ということを分析する理論です。
自分がどう動いたら、
まわりがどのように反応するのかを「読ん」で、
目的達成のために
最善の方策を取ろうとする人を、
私は「ゲームプレイヤー」と呼んでいます。
言葉じたいは、あんまりよくないのですが。
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糸井 |
うん、うん。
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山岸 |
その一方で
「ゲームプレイヤー」じゃない人もいます。
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糸井 |
つまり
「ゲームに参加していない」ということ?
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山岸 |
そう。
その人たちは、
まわりから受け入れられることだけを考えて
行動しているんです。
だから「周囲の目を気にする」ことの意味が
自分の目的達成を考えている
ゲームプレイヤーとは、異なるんです。
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糸井 |
なるほど。
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山岸 |
ようするに、
積極的にはたらきかけるということでなく、
ともかく
まわりから嫌われずに受け入れられることが
生きることの大きな目的になっている。
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糸井 |
よく思われたい、と。
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山岸 |
なぜ、そうした「非ゲームプレイヤー」が
登場してくるのか。
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糸井 |
ええ、ええ。
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山岸 |
実際、調査をして、
彼ら「非ゲームプレイヤー」の人たちに
「周囲の目を気にするだけの自分が
理想的なのか」
と聞くと「そうじゃない」と言うんです。
でも、ついつい、そうしてしまう‥‥。
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糸井 |
うーーーん、なんでだろう?
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山岸 |
この問題については
とても興味深いので調査中なんですけど
みなさんは、どう思います?
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生徒 |
やりたいことが
明確になってないんじゃないかなと思います。
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糸井 |
ほう。
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生徒 |
たとえば「医者になりたい!」と
強く思っていたら
ガリ勉と言われようが気にならないと
思うんですが
将来、何になりたいか決まっていなかったら、
みんなに
「あいつガリ勉だよな」と思われちゃうほど
勉強しようとは思わない。
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糸井 |
ふーーん‥‥。
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山岸 |
おもしろいですね。
確固とした「自分がない」ということと
関係しているのではないか‥‥と。
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生徒 |
はい。
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山岸 |
なるほど、なるほど。
このことについては
引き続き、考えていきたいと思います。
ありがとう。
それでは‥‥また、ちょっと別の話。
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糸井 |
はい。
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山岸 |
わたしは「文化比較」の研究実験も
よくやるのですが、
そこで発見した日本人の特徴があるんです。
それは
「日本人は他者一般に対する信頼が低い」
ということ。
つまり、他人を信じない。
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糸井 |
それもまた、ちょっと意外ですね。
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山岸 |
わたしたちの常識とは、逆ですね。
比較して言うならば、
アメリカ人のほうが他人を信頼しています。
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糸井 |
日本人よりも。
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山岸 |
さらに「日本人はリスクを取らない」。
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糸井 |
危ないことは‥‥しない。
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山岸 |
そうです。そして、わたしは
両者には「関連性がある」と思っています。
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糸井 |
他人を信用しない‥‥ということと、
危ないことはしない‥‥ことが?
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山岸 |
なぜなら、
「他人を信頼する」ということは
「リスクを取る」ことだと思うので。
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糸井 |
そうか、信頼したのに騙されちゃったら
ひどい痛手を負ってしまいますね。
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山岸 |
先ほど、1年目の手帳に欠陥の可能性があったとき、
それを公表して
新しくつくり直した手帳を
購入者に無料で届けたとおっしゃいましたが、
それは「消費者を信頼した行動」です。
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糸井 |
はい。
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山岸 |
ごまかさずに正直に公表したら、
どんな大きな問題になるかも知れないと‥‥。
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糸井 |
それは、覚悟してやりました。
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山岸 |
つまり、それが「リスク取る」こと。
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糸井 |
なるほど、なるほど。
じつは、今年(2011年)も
新しい手帳を無料で届けたことがあるんです。
それは「震災で手帳を失ってしまった人」が
たくさん、いらっしゃったんですね。
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山岸 |
ああ‥‥。
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糸井 |
その人たち全員に、無料でお送りしたんです。
申し込みは自己申告制でしたから、
ふつうなら
「震災とは関係のない人が
ウソをついて申し込んでくるかも」という
反対意見が出るところ、
うちには「山岸理論」が浸透していたので、
異論を唱える人は、いませんでした。
もちろん、
頭のなかではそのリスクを理解しながら、ね。
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山岸 |
それで‥‥どうなったんですか?
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糸井 |
たしか、1400件以上の申し込みが来ましたが
全員に新しい手帳をお送りしました。
もしかしたら、そのなかに
本当は震災で失ったんじゃないのに
申告した人も
混じっていたかもしれませんけど‥‥
ぼくらは「混じっていてもいい」と決めたんです。
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山岸 |
つまり「リスクを取った」。
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糸井 |
実際には、申し込んできた人のほうで
迷ったこともあったと思うんです。
「わたしも申し込んでいいんでしょうか」
というメールがけっこう来ましたから。
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山岸 |
それは、どんな?
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糸井 |
たとえば「東京で震災に遭った者です」
という人がいたり。
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山岸 |
ほう。
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糸井 |
つまり、買い物している最中に
地震に遭って、
荷物を放り出して逃げたそうなんです。
そのとき、手帳もなくしてしまった。
被災地に住んでいるわけでもないんだけど、
こんなわたしでも、いいんでしょうかと。
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一同 |
ああー‥‥。
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糸井 |
ぼくらの答えは「いいんです」とした。
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山岸 |
なるほど。
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糸井 |
そのかたについては
嘘を言っている感じはありませんでしたが
でも、ある程度の確率で
嘘をつく人も混じってくることについては
「別にいい」としたんです。
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山岸 |
反響は、どうだったんですか?
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糸井 |
「本当にうれしかった」というメールが
たくさん届いたんです。
これはぼくらのほうこそ、うれしかった。
手帳というものは「書いてくれる人」がいてはじめて
完成するものなんだということが、よくわかりました。
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山岸 |
うん、うん。
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糸井 |
そう思えたことの「収穫」は何より大きくて、
新しい手帳の代金や送料などのコストを考えても
ソンだなんて、思えなかった。
むしろ「大儲けした」ってくらいに、感じました。
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山岸 |
まさに「リスクを取った」ゆえの結果ですね。
でも、リスクを取るというと、なんかすごく‥‥。
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糸井 |
危ないことをする、みたいな。
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山岸 |
そう。でも、本当はそうじゃなくて
腹を据えて
「失敗してもいいや」と思えるかどうか、です。
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糸井 |
そうですね。
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山岸 |
で、話を元に戻しますと、
なぜ日本人が「リスクを避けよう」とするかというと
「危ない目に遭うのはイヤだ」と、
みんなが、思ってるってことじゃないですか。
つまり「失敗したって、いいや」と思えない。
これは、いったいどうしてなのか。
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糸井 |
日本人の文化や伝統、国民性とか‥‥。
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山岸 |
では、ないと思うんです。
だって、戦国時代には
みんなリスクを取って生きてたわけですから。
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糸井 |
なるほど、そうか。
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山岸 |
だとしたら、どうしてだろう。
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糸井 |
もう、答えが出てるんですか?
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山岸 |
いえ、まだ考えてるところ。
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糸井 |
あ、そうですか(笑)。
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山岸 |
でも「こうじゃないかな」という仮説はあります。
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糸井 |
それは?
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山岸 |
日本の社会は「リスクが大きすぎる」ということ。
<つづきます> |