山岸 |
どうして、日本人は「リスク取らない」のか。
それは
「失敗したときのリスクが大きすぎる」から。
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糸井 |
‥‥すごい仮説ですね、それ。
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山岸 |
このことも、一般的な常識と反しているように
聞こえるかも知れません。
なにしろ日本は
長らく「安心で安全な国」と言われてきたし、
終身雇用制度なども
みんなでリスクを減らそうという試みの一環だと
思われてきましたから。
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糸井 |
そうですよね。
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山岸 |
ところが、わたしは、完全に逆だと思っています。
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糸井 |
はじめて聞く話です。
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山岸 |
たとえば、雇用について。
終身雇用制度は崩壊してしまったとも
言われていますが、
「どこかの会社に、どうにか入社してしまえば
そうそうクビを切られることはない」
‥‥という安心感も、まだまだ、ありますよね。
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糸井 |
ええ。
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山岸 |
ですから、一見、「雇用」についてのリスクは
この日本では「低い」と思えますが‥‥。
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糸井 |
ええ。
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山岸 |
ところがそこに、最大のリスクがある。
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糸井 |
‥‥ちょっと、わかってきた。
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山岸 |
終身雇用制の会社ではたらいている限りは、
雇い続けてもらえます。
だから、その意味ではリスクは低い。
でも、病気やちょっとしたアクシデントで
そこから外れてしまうと?
かなり「やり直ししづらい社会」なんです。
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糸井 |
日本の社会は。
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山岸 |
これ、リスクとしては、ものすごく大きい。
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糸井 |
そうだ‥‥そうだわ。
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山岸 |
他方で、アメリカの社会では、
ミスをしてしまったり、能力が足りてなければ
割と簡単にクビを切られます。
が、そうなっても
「別の職場を探せばいいや」と思える。
つまり「再雇用の労働市場」が
きちんと機能し、確立してるってことなんです。
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糸井 |
なるほど‥‥。
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山岸 |
日本では、「雇用を安定させる」という目的を
遂げるために、
「クビを切らない終身雇用制度」を
充実させてきました。
その代償として
「再雇用のチャンス」が失われていったんです。
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糸井 |
うん、うん。
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山岸 |
つまり、一度でもレールから外れてしまうことの
リスクが、かなり大きくなっている。
セカンドチャンスがない‥‥ということなんです。
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糸井 |
それは‥‥日本では「離婚が少ない」なんてのも
同じ現象なんでしょうか?
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山岸 |
ああ、そうかも知れません。
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糸井 |
一度でも別れちゃったら「出戻り」とかって
言われちゃう風潮が‥‥。
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山岸 |
いまは昔とくらべて
ずいぶん、変わってきてると思いますけどね。
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糸井 |
つまり「夫婦は一生、添い遂げるものだ」
という幻想が強ければ強いほど、
離婚に対する「リスク」は、大きくなる。
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山岸 |
実際、夫婦の「満足度」を調べてみると、
日本人よりも
アメリカ人のほうが高いんですよ。
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糸井 |
やっぱり。
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山岸 |
つまり、アメリカ人は
「イヤだったら別れちゃってる」と(笑)。
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糸井 |
じゃあ「職場の満足度」についても‥‥。
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山岸 |
同じことが言えるでしょう。
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糸井 |
ようするに、アメリカ社会では
「人間とは失敗するものだ」という認識が
ひろく共有されている、
‥‥ということなんでしょうか。
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山岸 |
誰だって「リスクは取りたくない」のが
正直なところだと思うんです。
だから
そうしないで済む社会をつくろうとする。
そのために、日本では「終身雇用制度」や
「離婚してはいけないムード」が生まれた。
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糸井 |
うん、うん。
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山岸 |
しかし「リスクを引き受ける可能性」を
抑え込んだ結果、
リスクそのものが大きく育ってしまった。
そのために「リスクにつながる行動」が
避けられるようになり、
自由に行動できなくなってしまった‥‥。
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糸井 |
ものすごく納得がいきますね。
これまでの話の流れで言うと、
「人間は、失敗しない」という考えかたが
終身雇用の発想の元ですよね。
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山岸 |
そうですね。
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糸井 |
「ひとつの会社に入社したら
ふつうは辞めないもんだ」が「常識」の社会では
辞める人は「変な人」に見られてしまう。
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山岸 |
どこかに欠陥があるんじゃないか、と。
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糸井 |
だけど、その「ふつう」ではない部分に
いろんな可能性があるし、
ぼくは、そこを理解したいなという気持ちが
あるんですよ。
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山岸 |
そうですね、ええ。
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糸井 |
人は失敗するし、愛し続けないこともある。
その可能性は、ぼくにもあるし、
そのことを
きちんと理解できている人とだと、
仕事もプライベートも、
すごく、やりやすいんです。
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山岸 |
わかります。
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糸井 |
東北の被災地支援についても
自分たちが「忘れるものだ」という前提で
やることにしていて。
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山岸 |
ほう。
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糸井 |
忘れはしないにしても、
いつか「力の抜ける」時期が来るかも知れないと
最初から思っているんです。
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山岸 |
自分を信じていない‥‥と。
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糸井 |
そうです、その意味では、信じていません。
だからぼくらは、震災直後に、
会社として
支援の予算を年間で組んでしまいました。
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山岸 |
なるほど。
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糸井 |
つまり、途中で熱が冷めたとしても
毎月の予算が割り当てられているもんだから
何かしら、行動するんですよね。
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山岸 |
自分がミスをする‥‥という前提に立って、
将来の行動を規制している、と。
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糸井 |
そうです。
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山岸 |
経済学者も言ってますね、それ。
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糸井 |
そうですか。
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山岸 |
それは「コミットメント問題」といって、
人間は何か決断する直前に
好みが変わってしまうことがある‥‥というお話。
たとえば
「つき出たお腹を引っ込ませたい」
という気持ちと
「ビールを飲むよろこび」
とがある。
本当は、努力してがまんして、
スリムな体型になるほうが理想なわけですが
目の前にビールを出されちゃうと‥‥。
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糸井 |
飲むね。
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一同 |
(笑)。
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山岸 |
これを「選好の逆転」と言うんですが、
経済学にとって
たいへんに大きな問題なんです。
何人かの経済学者が言っていることは
「その場になってから
決めていた行動が変わらないように、
あらかじめ
行動を縛ってしまえ」と。
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糸井 |
明確な目的がある場合には。
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山岸 |
そう。糸井さんが
「先に予算を決めてしまった」というのも、
後々になって
「使うのイヤだな」と思っても
どうしようもないように、
先に「縛り」を設けてしまったわけです。
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糸井 |
うん、うん。
でも、人間って、
どうしたって「フワフワ」してるから、
就職や結婚や支援の話に限らず、
さまざまな「契約」をしてきたんだと
思うんですが、
ただ「契約」ですべて縛れるかというと
そんなこともないと思うんです。
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山岸 |
ええ。
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糸井 |
たぶん、ぼくらの根底にあるのは
「自分で決めたことを
きちんと、やりとげたい」という気持ち、
なんだと思っています。
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山岸 |
はい。
<つづきます> |