岡本太郎さんは、
日本の20世紀を代表する芸術家です。
こんな顔の人です。
いちばん有名な作品はおそらく
大阪万博の『太陽の塔』、
私たちがこんにち容易に目にできるのは
渋谷駅通路にある壁画『明日の神話』、
銀座の数寄屋橋公園にある『若い時計台』、
青山にある『子どもの樹』などです。
そのほか、岡本太郎作品は日本各地に
パブリックアートとして残っているほか、
岡本太郎記念館や川崎市岡本太郎美術館に行けば
主な作品を見ることができます。
青年時代にパリに留学し、
万国博覧会の巨大オブジェを作った芸術家は、
「作品を売らない」という主義の人でした。
それは、「芸術はみんなのものだ」という
切実な考えに基づいていました。
岡本太郎記念館館長の
平野暁臣さんにお話をうかがいます。
- 平野
- 岡本太郎は「芸術は民衆のものだ」と
いつも言っていました。
一部のスノッブやお金持ち、
マニアだけのものではない。
芸術は、特殊な立場にいる
特別な教養を持った人たちだけの
ものであってはならないと、
とことん考えていた人でした。
そもそも、芸術は、むずかしいとか、
わかるわからない、なんていう対象ではない。
たとえばみなさんがある絵を観て
「あ、よくわからないけど、なんかちょっといいな」
と思ったとするでしょう?
太郎は「それでいいんだ」と言うんですよ。
「いいな」と思ったのは、
その作品の何かと共振したから。
その分だけ「わかった」ということなんです。
もちろん共振のしかたや部分は、人によって違います。
作品がたったひとつであっても、
100人いれば100通りの共振のありようが
存在します。
つまりそれは、
あるものに対する感じ方や観方を
創造しているということ。
必ずしも絵を描くことだけが芸術ではありません。
作品を観ることも、
観方を創造する芸術なんです。
逆に、作品を観てわからないと感じても、
「私には芸術は理解できない」
なんて悲観する必要はまったくない。
「わからない分」の心配なんてしなくていいんですよ。
「なんだろう?」「嫌だな」と
思うだけで充分。
思ったその分だけ、
ちゃんと作品にコンタクトしているわけだし、
それは人と作品の関係における創造なんだと
太郎は言っていました。
- ──
- 人に作品を観てもらうことが大事だったから、
太郎さんは絵を売らなかったんですね。
- 平野
- 「観てもらうため」というより、
「芸術を職人芸にしないため」かな。
作品に値段がついて商品になると、
「どんなふうに描けば買ってもらえるか」とか、
「どうすれば高く売れるか」とか、
買い手の意向を気にするようになるでしょう?
そんなのは芸術じゃない、と
太郎は考えていたわけですね。
絵を売らなかったのは、
「芸術は何のためにあるか」という問題なんですよ。
だから、作品の送り出し方そのものが、
ほかの作家とはずいぶん違いました。
美術作家は、画商を通して
美術のマーケットに作品を送り出すのが通例です。
しかし太郎はつねに、
ストレートに大衆社会に送り出すことを選びました。
それは例えば壁画などのパブリックアートであり、
ウイスキーを1本買うとついてくる「オマケ」でした。
また、自分の作品を自分で持っていたので、
全国に「岡本太郎展」を巡回させることができました。
- ──
- 岡本太郎展って、
どういうところでやってたんですか?
- 平野
- 主にデパートの催事場です。
当時はいまほど美術館がなかったし、
なんといっても太郎は
美術界から煙たがられてましたからね。
デパートという敷居が低い場所だったこともあって、
小銭を持って足を運びさえすれば誰もが
岡本太郎のアートに触れられたわけです。
- ──
- 太郎さんが絵を売らないというのは、
絵で利益を得ることを嫌がっていたのではなく、
作品が社会と縁が切れてしまうことが
嫌だったんですね。
- 平野
- そうです。
太郎は、一点ものは売らなかったけど、
逆にマルチプル(量産品)はたくさん作りました。
トランプ、ネクタイピン、いっぱいやりましたよ。
芸術を生活の中に送り込むためです。
数千円で売るようなものを
大量に作ってばらまくなんて、
美術界で尊敬されたいと願う人の
やることじゃありません。
なぜなら美術は、
一点もののオリジナルが
尊くありがたいものだからです。
高値がつくし、権威もつくし、尊敬もされます。
でも、太郎は逆。
たくさん作って、バーンとばらまく。
その理由はなにかというと、
芸術はくらしの中でこそ活きると考えていたからです。
美術館に収まったり社長室の壁に飾られたりして、
それで「ありがたい」なんて
芸術はそんなものじゃない。
芸術をありがたがるようなやつには、
芸術を語る資格も作る資格もない、と言うわけです。
「岡本太郎と生活のかかわりとは何ですか?」
と問われれば、
「太郎にとって芸術とは生活そのもの、
すなわち生き方である」
と答えます。
- ──
- 今回「生活のたのしみ展」にやってくる
『坐ることを拒否する椅子』も、
同じ考えで作られたものですか?
- 平野
- そのとおりです。
(つづきます)
2017-11-08 WED