ほぼ日で東京を特集するにあたって、
やはりどうしても
この方に話を訊かずには
いられませんでした。
京都出身のみうらじゅんさんは、
1977年に19歳で東京へやってきて、
今年で上京40周年。
みうらさんにとって、
東京はどんな場所ですか?
第1回
東京には冷たい鬼が住んでいる。
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- ──
-
みうらさんは、おそらく19歳くらいで
生まれ故郷の京都から
単身、東京に来られたと思うのですが。
- みうら
-
ええ、そうです。
じつはぼく、since1977の
今年で上京40周年なんですよ。
- ──
- すごいですね。40‥‥。
- みうら
-
「上京40(ジョーキョーヨンジュウ)」って
呼んでるんですけどね。
故郷から出てきた人たちはみなさん、
「俺、上京して何年経ったかな?」なんてあまり
思い返すことはないと思うんですが、
どうです?
- ──
-
そうですね、そういえば上京歴は
あまり振り返りませんね。
みうらさんはずっと
「よし、東京に行くぞ!」
と思い続けていらっしゃったんですか?
- みうら
-
いや、基本的に、
京都以外は東京しかわかんなくて。
- ──
- あ、ああ、そうですか。
- みうら
-
そりゃぼくは仏像が好きだったので、
奈良は知ってましたよ。
金剛峯寺のある和歌山も、
渡岸寺のある滋賀もしかり。でも、
「有名な仏像がない!」
となった他県は、
東京くらいしかわからなかったんですよ。
- ──
- すべて仏像判断ですごしておられた、と。
- みうら
-
そうですね。
吉田拓郎さんの『元気です。』というアルバムに
「高円寺」という曲が入ってましたから。
- ──
-
えーと、ありますね、
8曲目に「高円寺」。
- みうら
-
その曲のおかげで
「東京イコール高円寺」ということになり、
ぼくは上京してきたんです。
ですので、ぼくには一本、筋が通っています。
ご存知ですか「一本、筋が通っている男」というのは
じつはぼくのことなんですよ。
三鷹でしょ、荻窪でしょ、新宿、四谷‥‥
中央線一本筋を通して40年、住んできてるんですよ。
東京駅からチョクで中央線に乗り、
何年かごとにぶらり途中下車していってる、
というわけです。
- ──
-
京都から東京にいらっしゃったときは、
どういった心境でしたか?
- みうら
-
これはもう、ぼくたち京都人は
しかたのないことなんですが、
「東の京都と書いてある」
という考えなんですね。
京都の人たちは、そこは、
なぜか気持ちがおごっていましてね、
「姉妹店のようなものが、
いま都会といわれてるやつやろ」
というふうに、たぶんいまでも
認識していると思います。
- ──
-
すると、都会に対する
さしたるあこがれもなく上京、
という感じでしょうか。
- みうら
-
でも、当時のぼくは
ロックの影響をすごく受けていましてね。
東京はロックの街である。
つまり、
ニューヨークやロンドンに到達する前、
少し東京に足をかけといて、
ポーンと飛ぶ、
というイメージがあったんです。
- ──
-
ニューヨークといういただきの前に、
東京という岩がちょこっと突き出ているんですね。
京都からニューヨークやロンドンに飛ぶのは
ちょっと幅跳びの幅がきついと。
- みうら
-
しかもですよ、東京は、
コンクリートジャングルだっていうじゃないですか。
そこもロック的にはグッとくるわけです。
フォークやロックの辞書に書いてあることには、
いちどコンクリートジャングルで
冷たい目に遭わなきゃいけない。
それが必須条件でしたから。
さらに当時の関西の教科書には
「東京には冷たい鬼が住んでいる」ということが
明記してあったと記憶しています。
ぼくらは皆、小学生のころから充分に
それを教わっているわけですよ。
- ──
- 冷たい鬼とはどんな‥‥?
- みうら
-
例えば、
「道を訊いても誰も教えさらせへん」
関西人は誰しもがそういう教育を受けています。
だから東京の人とは
注意しながらつきあわなきゃいけないし、
深い友達になってもいけない。
東京では、親から仕送りを
けっこうもらったりしていても、
わざと貧乏なフリをして世を憂いたり、
心情がせつないと思ったりしなくてはいけません。
そういうことが、
「ロックの東京編」には
書いてありました。
~それでは、本日の動画をごらんください。~
本日の動画ポイント
- 京都には「碁盤の目」以外の場所があります。
- 京都人は東京を姉妹店だと思って育ちます。
- ロックの観点でいえば、東京は
足をかける場所として必須の都市です。 - 東京はコンクリートジャングルです。
(第2回につづきます)2017-05-26-FRI