東京の子。辛酸なめ子さんと朝吹真理子さんからみた「東京」 東京特集
第一回 歴史がつくってきた街。
──
今日はどうぞよろしくお願いします。

辛酸さんと朝吹さんは
もともとお知り合いだそうで。
辛酸
以前、同じ媒体の書評欄を
持ち回りで担当していた時に、
何度かお会いしましたね。
朝吹
辛酸さんとは話をする機会があって、
ロマンポルノをみたり、
お茶にも行きましたね。

幽霊の話とか(笑)。
辛酸
そうでしたね(笑)。

今日は久しぶりにお会いできてうれしいです。
朝吹
私もうれしいです。
──
おふたりで、ゆっくりお話しいただけたらと、
お茶菓子を用意しました。

ほぼ日の「おみやげおやつアンケート」
読者の方がおすすめしていた東京のおやつ、
「舟和」の芋ようかんです。
辛酸
わあ。

これ、おいしいですよね。
朝吹
わあ。いただきます。

東京に住んでいますけど、
東京のお菓子はほとんど食べないので
うれしいです。
辛酸
東京ばな奈とか、東京ひよ子とか
食べたことないですか?
朝吹
食べたことないですね。

東京土産を誰も買ってきてくれませんから。
辛酸
あの、そういう意味で言うと、
早めに謝っておきたいことがありまして。

ほぼ日の方にはご説明したのですが、
私は東京生まれではあるのですが、
東京育ちではないんです。
朝吹
あ、そうなんですか。
辛酸
隣の埼玉県に実家がありました。

東京ばな奈を食べた記憶はないのですが、
東京ひよ子は食べたことがあります。
朝吹
東京ひよ子は工場が埼玉県にあるそうなので、
地元のお菓子ですね(笑)。
辛酸
たしかに、そうですね。

だから食べたことがあるのかも。
──
辛酸さんは埼玉にご実家があるのですが、
東京で生まれて、
中学からずっと東京の学校に通われていて。

生まれも育ちも東京とは言い切れない、
一歩離れた立場から
東京について話していただきたいなと思い、
お声がけしました。


どの方とお話しされたいかおうかがいしたら、
朝吹さんのお名前があがったんです。
辛酸
朝吹さんは私の中でいちばん、
洗練されたイメージがある東京の人です。

服や持ち物もいつもおしゃれで
あこがれています。
朝吹
こんな格好で来ちゃって、
恥ずかしいです(笑)。
辛酸
いや、Tシャツにジーパンでも、
にじみ出る東京のオーラがあるんです。

それは先祖代々この東京という街に
住まれているからなのかなと、
思っていました。
朝吹
そうなんですかね。

先祖代々といっても
明治に入ってからなので、
江戸時代から居を構えている方々からすると、
短いですよ。
辛酸
いやあ、私からすると充分歴史を感じますよ。

私の祖母の実家は、
東京の六義園のあたりの大和郷というところに
あったらしいのですが、親族が株で失敗して
家を抵当に取られてしまったそうです。

それで亡き祖母には、
株に手を出さないよう言われていました。
朝吹
東京に住みつづけるための、
教訓ですね(笑)。
辛酸
そうですね(笑)。

あの、仕事で明治時代の人の写真を調べていたら、
朝吹さんのひいおばあ様の写真が出てきて。

とても美人な方でした。

そのころから、東京に住まれているんですよね?
朝吹
ありがとうございます。

たぶん、朝吹磯子ですね。

私のひいおばあちゃんにあたる人で、
長岡外史という軍人の娘です。

そのころには、東京に住んでいましたね。


私は中目黒で育ったのですが、
90年代にオーガニックカフェがブームになった影響で、
だいぶおしゃれで、知られた街になりましたけど、
私が生まれた1980年代は、
全くおしゃれな場所じゃなかったんです。

護岸工事されるまでは、
目黒川って相当な暴れ川だったらしくて。
辛酸
暴れ川だったんですか。
朝吹
そうだったみたいですね。

私が小さいころの中目黒のイメージは、
老人と疲れ顔のサラリーマンと、
福砂屋の工場から漂う、
甘いたまごとさとうの香りです。

実は今も、目黒川沿いには材木問屋があるんですよ。
辛酸
へえ!歴史をたどると、
東京は今と全然違う景色があるんですね。
朝吹
自分がいる街が、
どういう土地だったのかなんとなく知りたくて、
歴史の本を読むのが好きで。

土地の歴史を知るとおもしろいです。
辛酸
おもしろいですよね。

それぞれの土地で、さまざまな出来事があって、
それらを積み重ねながら、
街に文化が生まれてきたのかなと。

歴史がつくってきた街なんだと思います。
朝吹
そうですね。

日本全国、土地を掘ったら、
かつて生きていたたくさんの骨がでてきますよね。

特に東京は、大空襲も震災もあった場所ですし、
土地を掘ると骨が出てくるもんですよね。

新宿区の舟町とか。

どんな場所も、死屍累々という感じがします。
辛酸
死屍累々、ですか。
朝吹
生きている人も、霊も、
いろんなものが絶え間なく出入りしていて、
フラフラと生きていける土地だなと。
辛酸
霊みたいな人間もいそうですよね?
朝吹
霊なのか人間なのかわからない人は、
たくさんいるんじゃないですかね(笑)。

辛酸さんは何歳まで東京ですか?
辛酸
母が出産した病院が御茶ノ水にあっただけで、
実家は埼玉にありました。

小学生の時に東京まで塾に通っていて、
中学からはずっと東京の学校です。

過ごしていた時間は東京が長いのですが、
やっぱり東京の人と自分は違うなと思っていますね。


小学5年生の時、
四谷大塚の模試を受けに行ったら
前に座っている女子の後ろ姿にブラが透けていて、
「すごい、東京は進んでる」と驚いた記憶が。

埼玉の小学校にはそういう子がいなかったんですよ。

その時に初めて、
東京の子に、精神的に負けた気がしましたね。
朝吹
そうでしたか。

東京の子はませているだけだと思いますよ。
辛酸
いやあ。だからか、私は心のどこかで、
東京に対するコンプレックスを持ち続けているんです。
(つづきます。)
2017-08-11-FRI