勤労男子が仕事中に着る「シャツ」、
とくに夏場は、ジャケットを着ないで
「シャツとズボン」スタイルのかたもおおぜいいます。
そのシャツの下に、みんなは何を着ているんだろう?
丸襟? Vネック? タンクトップ? 色つき?
あるいは、肌着なしで、いきなりシャツ?
それが知りたくて、こんなアンケートをとったところ、
なんと1190通(!)もの回答が寄せられました。
みなさまありがとうございます!!
今回はその集計結果を発表させていただくとともに、
「気になっていたんだよ~、みんながどうしてるのか」
と、このアンケート結果を心待ちにしていた
糸井重里のコメントを、
たっぷりおとどけいたします。
グラフのとおり、肌着タイプのVネックが
ニッポンの夏は隆盛でございました。
理由は──、
1)冬はネクタイなので丸首でもいいけれど、
夏はノーネクタイがデフォルトになっているので、
丸首だとちらっと見えちゃう。
結果Vネック。
2)袖がついているのは、
脇汗をよく吸収してくれるので、
半袖のVネック。
3)シャツを脱ぐことは無いので、
肌着タイプ。気持ちがいい。
というものが多かったです。
その「肌着タイプ」を、襟のかたちをとわず
合計してみると、なんと
724/1190人 60.8%
にもなります。みんな脱ぐこと想定しないんですね。
さらに肌着かどうかを問わず、
「シャツから見えない」タイプとなると
785/1190人 66%
という結果に。見えるのいやなんですね。
さらにさらに、
「J その他」に含まれている意見で多かったのが
「Vネック ノースリーブ」。
Tシャツの袖を切り落としたような形です。
これは「脇の汗を吸ってくれる」ことと
「袖に肌着が透けて見えないのがいい」という理由でした。
では、選択項目別の代表的な意見を、ごらんください。
すごくざっくり言いますと、
ニッポンの男子には
「汗・腋毛・乳首・チラ見え」は、
けっこうな問題のようですね。
そして「着ない」派は、
みなさんかなりはっきりとした意思があるようです。
(そして、パートナーにはどうやら不評のようです。)
そのあたりを含みおきつつ、
糸井重里の総評を聞いてみましょう。
なんでこういう問題が今みんなの関心を呼んだかというと、
ものすごく重要なのはネクタイを外したことです。
ネクタイさえしていればこの問題はほぼなかった。
つまり「丸首」も結局ネクタイを締めていれば見えない。
けれどもノーネクタイだと見えてしまう。
だから「V」が出てきたということですよね。
昔、「定番」ということばがブームになったときに、
白いシャツを着るのが流行したんです。
会社員じゃなくて、おしゃれとしての白いシャツが。
そのときには、なんと!
上までボタンをとめていたんです。第一ボタンまで。
けれども「ボタンをひとつふたつ外す」というところに
「今」があるんですね。これが大事だったんです。
ひじょうに重要なのは、
まずひとつが、それ。
その次が、世の中が、ひじょうに、
シースルーに不寛容になったことです。
透けるということを、
昔以上にはげしく気にするようになった。
そこのところは実は、かつてはなかったんです。
女性の側からそれが始まったんだと思うんですよ。
ノーブラの時に白いTシャツは着られません、と。
つまり、中に生ものの肉体があるということを
チラッと表現するというのが「シースルー」なんだけれど、
それが拒否されるようになったんです。
今までは、シャツの中の、肌色の物体は
「見ないことにしていた」。
歌舞伎で言う黒子だった。
だから、女性のブラウスで
ブラが透けていて云々という問題も
言わないことになっていたんです。
ところが今は「それはどうなの?」という目で見る。
ということで、先に女性の
白いブラウスで起こっていた問題が
男に移ったと思うんです。
これがひじょうに重要なことですね。
もうひとつあります。
ぼくも実はけっこう最近まで
「かぶれ派」のひとりとして、
中にシャツは着ない派でした。
だから、その日はくしゃみをしたりも
しておりました。
柄物のネルシャツとか、
ダンガリーのあたりの流れのもの、
つまりカジュアルなものは、
あえて丸首の白いTシャツを着る、
ということはしていたけれど、
普通の素材のシャツのときは着ない派だったんです。
けど、なんて言うんだろう、
ちょっと気持ちが悪いんですよ。
「実は‥‥」って思ってたんです。
で、Tシャツを着てから
シャツを着る自分のほうに、
ならうようになっちゃったんですよ。
「もう下にチラッと見えてもいいや」主義になったんです。
かと言って、このまま俺はこれで
フィックスできるか? と、
ユラユラしてたんです。
同時に、肌着を着ない派のひとたちの
数が少なくなっていった理由のひとつが
男の体毛に不寛容になったということがありますよね。
「あえて毛を見せたい!」というひと以外は、
「ちょっとないことにしてくれ」という。
すね毛もそうですし、胸毛もそうです。
とにかく毛は、「ここはアリね」という
場所以外はないことにしましょう、
ということになったので、
シャツの下に肌着を着ないひとたちが
減っていったんだと思うんですよ。
だって、このあいだ俺、
びっくりしたんだけど、
わが社の大雑把の代表みたいなM子さんが、
男性のズボンの裾の短さについて
「勘弁してくれ」と言うんです。
ダンナまでそっちのほうに向かっていると。
え、どうしたの? って言ったら
「だって、男性はお毛がありますでしょ」。
つまり、あいつまでが
毛のことをないものとしようとしている!
いっぽう、S子さんのように、
すねに毛のない男は大嫌いというのもいて、
そういう、てとろすけでん‥‥
てすとすてろん? なひともいる。
体毛だぜ! って平気にしているのは、今や、
分煙状態の場所で、
強気でたばこを吸うみたいなことになっちゃうんです。
だから逆に声高になるんですよ。
「吸っちゃいけないのかよ!」
「男はたばこ吸うもんだよ!」って。
なんにせよ、毛やら、性を感じさせる材料を
どうするかっていうことについて、
その時代、その時代の流行があります、と。
「それはもう流行です」と
いうことじゃないでしょうかね。
だって、さっきのシースルーにたいしては
非常に不寛容な女性陣でもさ、
案外、「谷間!」とかしてるじゃないですか。
「デコルテ」ということばで乗り切って。
「そこは『広場』といいましょう」みたいな感じで。
あと、逆側のひとも開きなおってますよね。
「ないです、わたしは」みたいな。
さいわい、白いシャツって、
一般的なビジネス界の民族衣装なんで、
「特に気にしません」という人の数が
40%くらい混じっている。
だから目立たなかったんですよ。
だけど、実は揺れ動いているんです。
このようないくつかの大きな
「肉体とわたし」という大きな潮流のなかで
揺れ動く枯れ葉のように、
みんなの心は揺れておかしくない。
そういう時期なんです。
この問題を問われたときに
「あ、ぼくはこうですから」って
すっと言えないんですよね。
すっと答えを言えた人は、
きっと悩み抜いて答えを出しながら生きているんだろうな。
でも俺は出てなくて。
とにかく「肌着」というものが
あってほしくない。
俺はそこにいるんだ、いま。
脱がないけども、肌着を見せたくない。
肌着でありたくない。
大昔に「パンツ問題」を
考えたことがあるんだけれど、
トランクスかブリーフかっていうときに
いざっていうときに
ブリーフ1枚ではいられないでしょう。
でもトランクスだったら
「火事だ!」って言ったときに
逃げて行けるでしょう。
そういうことなんです。
女の子のパンツなんかでも、
「見えても平気♪」って思えるような
かわいいパンツっていうジャンルが
あるじゃないですか。
それと、ベージュの、
「いいもの」かもしれないけど、
見せたくないものもある。
そこのところで俺は
ベージュ派にたいして、
それはどうだろう? と言いたいんです。
脱がないけれども、
見られたら恥ずかしいような気がするものを
中に着ているっていうことについてね。
いつでも外部化できるわたしでありたい。
脱ぐ用意をしていたい、っていうことからすると、
肌着型のシャツはうちになるべく置きたくない。
それでも我慢してスーツを着なきゃならないときは
これを着るんだろうな、みたいなものを
置いていたりするんだけれど、
答えは出ていなかったわけ。
いつも不本意だったわけ。
「裸だって恥ずかしくない」
って思いたいくらいのところに、
もっていきたいわけだから。
そのなかで【F】の手前に
【E】があったじゃないですか。
その【E】のあたりに自分の正解が
あるのかなと思いつつ、
いまは案外【F】かなとか。
これ「U首」も入ってるからね。
「U首」と「V首」は
かなり違いますからね。
女たちはもうとっくに
その問題は解決しているんですよ。
一気に流行に乗る、
というスタイルで泳ぎ切っている。
今は、ブラウスの下は
色つきのノースリーブでしょう?
これ、けっこう文化人類学ですよね。
服って、社会性と自己満足の接点だから。
自己満足・自己表現だけで服を着てるひとって
基本的には世の中にはいない。
その意味では、社会性の部分をどういうふうに
無視をしたり、受け止めたり、
跳ね返したりするかというところに
まさしくここの問題がある。
まあ、だからどうだということじゃ
ないんですけど、
ぼくは、しばらくは【E】のところで
答えが出たみたいだなあ。
そしてもっとこの【E】が発達すればいいなと
思ってるんですよね。
「ちょうどいい恥ずかしくないもの」
っていうものを、求めています。
いや、おもしろかった!