福田 | 脇阪さんが奥様に毎日出されている 手描きの絵はがきのこと、 ほんとにすばらしいなと思っているんです。 アイデアっていうものが、 無限というとちょっと大げさかもしれないですけど、 ほんとに人間って、それぐらい いろんなものを考え出せるんだなって。 |
脇阪 | ありがとうございます。 もう20年以上描いています。 けれどもある時期、描けなくなることも けっこうあったりしたんですよ。 けれどもやめてしまうと、もう終わりです。 マンネリでもいい、 何でもいいからとにかく続けていると、 また何か開けてくるんです。 |
▲脇阪さんは、毎日1枚ずつ、はがきに絵を描き、 奥さまに宛てて投函している。 その数は、1万枚以上になっている。 |
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福田 | おそらく脇阪さんは 「絵」はいくらでも描くことができるんですよね。 けれども、その「描こうと思う気持ち」は どういうところからわいてくるものなんですか? |
脇阪 | それは「受け取る人がいる」 ということかなと思います。 僕、別に彼女に愛情を込めて描いているとか そういうことや、ないんですよ。 ものって、ぶつける相手、 誰か受け取ってもらう人に対して、 発信するものだと思うんですよ。 そして表現するっていうのは、ごく身近な人、 自分がこの人にぶつけよう、と思う人に向かって やっていることなんじゃないかなと思うんです。 人って、そうやって 物をつくるんじゃないかと。 たとえばピカソであっても、誰であってもね。 それはデザインにしても、絵にしても、です。 |
福田 | はい。 |
脇阪 | 司馬遼太郎さんも、 不特定多数の読者に書くんじゃなくて、 まず奥さんに向けて書くと仰っていたそうです。 そして、その奥さんがいいって言ったら、 これはたぶん(みんなにとっても)いいんだろうな、と。 あまりにも漠然とした何かに向かって書くというよりも、 直接的な誰かに向けている。 マリメッコの場合でも、 デザイナーのマイヤ・イソラはやっぱり 創立者のアルミ・ラティアに向かって デザインをぶつけていたと思うんですよね。 で、そのぶつける人によって、 出てくるものが違うし、 いろんなものが変わってくるんじゃないかと思うんです。 その関係がとっても大事じゃないかな。 だから僕のハガキにしても、 とにかく彼女に向けているということが、 大事なのかもしれないですね。 |
福田 | アーティストって言われる人っていうのは、 内なるものに向けてというか、 自分の自己満足とか自己欲求のために描くという人も、 たくさんいらっしゃると思うんですけれど、 そうではなく、対象者がいるっていうことが、 たぶんイラストレーションとかデザインの あるべき姿のひとつじゃないかなと、 僕も思っているんです。 というか、そういうものが僕、 もともと好きなんだと思います。 逆に、アーティスト、芸術家って言われることに ちょっと抵抗があるくらいです。 |
脇阪 | ああ、なるほど。 僕もそうです。 日本人はそうじゃないかなと思いますけどね。 |
福田 | あ、僕もそう思います。 |
脇阪 | ですよね。 自分自身のために何かをやるっていうよりも、 人のためにやる方が力が出るっていうか。 たぶん福田さんも、 糸井さんに対してタオルをつくるという、 ひとつのテーマというか、 目標があったほうが、 つくりやすいんじゃないかと思いますよ。 |
福田 | そうですね、そうです! |
▲福田利之さんが手がけた「ほぼ日」の「やさしいタオル」。 |
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脇阪 | で、また福田さんの新しい何かが タオルで出てくる可能性が あるんじゃないかな。 |
福田 | そうですね。 そして、好きにつくっていいよって言われるよりは、 何か期待されつつ、 何かちょっとテーマをもらえた方が やっぱり、やる気がわくというか。 どう相手を喜ばせようとか、 納得させようっていう気持ちが すごくエネルギーになって、 そこに集中できるっていうタイプです。 |
脇阪 | 僕も全くそうですよ。 僕は、それが、日本人としては、 ひじょうに素直な、健康なかたちじゃないかなと 思いますけどね。 だから僕、日本のアーティストの人って、 この人たち、大変やろなーと 美術館でいつも思いますもん。 |
福田 | (笑)はい、そうですね。 あるとき誰かがこれはすばらしいって言ったがために、 もうその人はずっとその呪縛から逃れられずに、 ずっと描き続けなければいけない、 アーティストと呼ばれる人たちの その窮屈さを想像しただけで おそろしいなと思います。 やっぱりできるだけ最初から柔軟性を持って、 いろんなものに興味を持って、いろんな絵を描いて、 いろんな表現でやっていくっていうことを 自分としてはやっていきたいなっていうふうに思うんです。 脇阪さんにも、そんな柔軟性を感じるんですが、 何かの外圧、その力によって、 たとえば場所であったりとかそういうもので 変わっていくっていう喜びみたいなものも あるっていうことですよね? |
脇阪 | 僕も、フィンランドに行ったり、 ニューヨークに行ったり、 日本へ帰ってきたり、 いろいろしてますけども、 できるだけそういう、違う空気の中とか、 違う会社、あるいは違う人に出会って、 そこで仕事をすると、 そういう空気の中で生まれてくるものがあります。 そこへ行ったらまた、 そこの空気の中で生まれてくる、 違うものがある。 そういうふうな感じで、 新しく変わっていくということが、 すごく、楽しみなんですよ。 |
福田 | はい。 |
脇阪 | たとえばフィンランドならフィンランドっていう、 その空気感とか、文化のなかに、 デザインの必然性みたいなものが あると思うんですよね。 マリメッコであれば、アルミ・ラティアという創立者の 個性であるとか、感じであるとか、いろんなものを含めて、 それに合うように、自分の表現を徹底していけば、 いいものが生まれるんじゃないかと思ってますので。 今の仕事もそうなんです。 日本の空気、日本の文化の中で、 今の空気に合ったものをつくることができればと。 たとえば、日本人にとっての、豆腐であったり、 味噌であったり、醤油であったり、お米であったり、 何かひじょうにベーシックな大事なもの。 めちゃめちゃ高いものじゃなくて、 日常でふれる、そういうふうなものが、 テキスタイルデザインの世界でつくれるんじゃないかなと 思ってやってるんですよ。 |
福田 | 描かれたものがまずテキスタイルになるわけですが、 それが立体の商品、 たとえばバッグや服や靴になるという、 そこのところは、いかがですか。 |
▲脇阪さんが現在手がけているデザインは、さまざまな商品になって、 SOU・SOUの各店舗でふれることができる。 いまも毎月、新作を発表しつづけている。 |
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脇阪 | 僕は描いた時点でかなりもう、 自分の興味は終わってしまっているんですよ。 だから僕は、どっちかって言ったら デザイナーというよりも、絵師なんでしょうね。 テキスタイルの上で描いている。 それがどういう商品になるかは、考えていません。 けれども、これは今の仕事のしかたが幸運なんです。 普通は──、どうでも好きなようにしてください、 って言ったら、あんまりいい感じのものって 上がってこないものなんですよ。 「やっぱり自分でやらんと。 人に任しとくといいのができないんだな」 というような思いにとらわれるんですけども、 いまは、そういうことはない。 それは、SOU・SOUの若林剛之くんという人と 組んでいるからこそのものなんです。 逆に言えば「あ、こんなふうになってくるのか!」と。 それは悪い意味じゃなくて。 |
福田 | なかなか、そういう相手にめぐりあうことって、 ないと思うんですよ。 |
脇阪 | そう、出会えないんですよ。 それが理想なんですけど、 そういうことってなかなかない。 得ようと思って得られるようなことでは ありませんから。 |
(つづきます!) |
2012-12-19-WED