Mermaid 夏休みがフィッシュマンズを考えている。
「夏休み」というのは、ふたりの音楽ライターの名前です。
コンビというと漫才みたいだし、バンドではないし、
ほんとは会社の名前なんだろうけれど、
三田挌さんと水越真紀さんのふたりに、会社って言葉は似合わない。

彼らは、とにかく「好きになるちから」がある。
いまは、「フィッシュマンズ」というバンドを
好きになっている最中で、ぼくも、この人たちのおかげで
このバンドを聴くようになった。

いい。
これは間違いなく言えるのだが、
「みんなの音楽」かというと、そうだという自信はない。
そんなフィッシュマンズのことを、
ずっと、しつこく考えていくディープなページになるでしょう。

 人間は、人間を好きなのか嫌いなのか。よく分からない。せっせと(自分と同じ姿をした人間を殺す準備をしたり、実際に殺したりしているけれど、それは違う人間への愛のためだと思ったりもできる。自分自身についても、自己愛と自己嫌悪の間を行ったり来たりしている。身近な他人も愛したり罵ったり、近づいたり避けたりしていて、「私は(すべての)《人間》が好きだ」と言えば、思いやりのある小さな嘘でもいてしまったような気分になるし、だからと言って、うつむきがちに「人間嫌い」なんて言うのは自己愛者の気取りみたいに思えたりする。
 わたしをいちばん傷つけるのは人間で、この世でいちばんの幸せを感じさせてくれるのも、思い出してみれば、やぱり人間ばかりだ。
 いったい人間は人間を好きなのか嫌いなのか。いったいわたしは?
 そしていったいフィッシュマンズは?

 いまフィッシュマンズの軌跡は、CDだけでも7年分遡ることができる。最初の方の何枚かはついこの間、おまけROM付きで再発されたばかりだし。とは言え、お世辞にも大ヒットはしていないので、まだまだチャンスや縁に恵まれた人しか聴いていないのが現状。そこで、この音なし新聞でフィッシュマンズを紹介しようとすれば…。
 わたしと同じように”あの”『空中キャンプ』から聴き始めたイトイ編集長は「他の音ではなく、この音じゃなきゃヤダっていうのをちゃんとキメてる、キメられるバンド」と言うのだが、筆者はその意見に素直には頷けないところもある。フィッシュマンズのライヴは何度も観たが、彼らが同じ曲をCDや前のライヴとまったく同じように演奏していることはほとんどない。そのこと自体は、確信的に音をキメていることを否定する材料にはならないけれど、彼らがいろいろやってみたいと思い、実際いろいろやってみていることは確かだ。1曲で30分以上ある『ロング・シーズン』だってライヴのたびに違う曲になっている。とにかくどんどんどんどん彼らの曲は姿を変える。少なくとも、唯一無二の音としてキメていることはないようではある。
 つい1週間前にできあがった夏に発売される新作をわたしは聴いたばかりだ。ついでなので書き添えておくと、タイトルは『8月の現状』。この2年半のライヴからあれこれチョイスして、あれこれ細工した、あれこれの作品が収められている。80分近く。

 (幼いころはテレビ画面のサッカー・ボールにさえじゃれついていた猫のキクも推定4歳半になるまではネコが叫ぼうが犬が呻こうが、もうすっかりテレビはテレビと知らんふり。あれこれ神経に影響を受ける人間の気が知れんとばかりきっぱりと、バーチャル・ワールドを割り切って生きている。
 そんな彼女が、実に3年ぶりに機械から出た生物の声に目を見開くときが訪れようとは! その声こそ、『8月の現状』のなかのサトウ・シンジの第一声だった。
 なんとしらじらしいエピソードなんだろう。あからさまに嘘くらい作り話の気配が濃厚である。ああ、しかしこれは本当のことなのだ。)
 すべては1998年の『8月の現状』だ(本当は5月の現状だが)。2年前の演奏にもかかわらず。この選曲、この編曲、密度、それに空白。
 最初の問いに戻る−−いったいフィッシュマンズは人間が好きなのか嫌いなのか?
 『空中キャンプ』は独特の辛辣さとニヒリズムをそなえながらも”けっきょくのところ人間こそが希望やら感動やらをわたしにくれる”ようなアルバムだったけれど、次の『宇宙 日本 世田谷』は”人間がもっともわたしを絶望に追い込む”ことを思い出させるものだった。で、今度のライヴ盤は、両方がぐちゃぐちゃにほうり込まれている。それはこの2枚からの選曲が多いから、だけじゃない。もちろん、既発表ヴァージョンとはどれも全部まったく違うアレンジで、しかもそのアレンジが『空中キャンプ』収録曲を内向的に、『宇宙 日本 世田谷』の曲を外交的に変えていたりするのだから。
 わあっと外交的な顔になって、次の瞬間に自分の殻に閉じこもる、そういう繰り返しの80分。世界と自分はどういう関係にあるのか、またはどういう関係になりたいのかが、びっくりするほど分からない。大混乱。でも、これこそが《現状》だっていうことのリアリティだけはものすごくものすごく分かってしまう−−気にさせる。それは、わたしだってそうやって暮らしているなという心当たりにぶつかるからかもしれない。
 そうか、猫のキクが機械から出る音に本気で反応したのは、この人間たちの混乱の生々しいリアリティのせいなのかもしれない、なんてこじつけたくなっている。
 ときには人間が好きで、次の瞬間には嫌いになって。それはちっともはっきりしない。分かりやすくもない。プロデューサーのいるファクトリーでプロダクトされる《商品》のような整理整頓がぜんぜん施されていない。わっ、人間! って感じ。人間が好きなのか嫌いなのかなんて、どっちかにキメるのは、どっちにしてもちょっと無邪気過ぎるんだろうな。
 こういう現状の、無邪気になれないフィッシュマンズはあした、日比谷野外音楽堂でライヴをします。きっとまた、聴いたことのある曲の、聴いたことのない《6月7日の現状》が観られるに違いない。当日券ありそう。対バンはバッファロー・ドーター。
 正直言って、フィッシュマンズってこーんな面白いヤツらなんだぜー、ということが筆者にはうまく言えない。本当に彼らが面白いヤツらかどうかさえ分かっていない。ので、なんか、周りの方から触ってみようかと思っている。フィッシュマンズを発見した男、奥田義行っていう人について知っている面白いことを、これからだぶん、この新聞でお伝えすることでしょう。フィッシュマンズについても分かったことがあれば書くでしょう。では、あしたヤオンで会いましょう。17時、スタート。

1998-06-06-SAT

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