朝日新聞に掲載された 「赤瀬川原平」さんに ついての記事... の取材ノート |
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この、いっぱいしゃべったことが、そのまま掲載されるはずがないと、
よく凶悪犯人が捕まったときに |
糸井重里さんに取材した。 私はA新聞の記者である。A新聞には「批評の広場」という、ひとつのテーマを4人の評者に批評してもらう欄がある。 ここで作家・画家である赤瀬川原平さんを特集するのでコメント をいただけないか、とお願いしたのだ。そして私は、快く引き受けていただいたその取材のバーターとして(?)、この原稿を書いている。
赤瀬川さんといえば、六十年代の前衛芸術家グループ「ネオ・ダダ」「ハイレッド・センター」の一員であり、「模造千円札」を制作したかどで「通貨および証券模造取締法違反」に問
われ執行猶予つきながら有罪判決を受けた人だ。
評者1は哲学者の鶴見俊輔さんにお願いした。
鶴見さんは五枚のカードにメモを作って待っていてくださった。「京大カード」というやつである。
評者2は文芸春秋社員の鈴木マキコさん。「新解さんの謎」の読者は「SM嬢」としてご存じかもしれない。
鈴木さんは熱烈だった。熱烈さは赤瀬川さんの呼び方にも現れている。以前は「文豪」と呼んでいたが、それでは尊敬の念が足りない気がして今は「神様」。赤瀬川さんから電話があると、「あ、神様ですね」と言うのだそうだ。赤瀬川さんも「あ、神ですよ」と平然と返すらしい。なんかこのへんも「超芸術」ぽいのである。
評者3は椹木野衣さんにお願いした。新進気鋭の美術評論家で、著書「日本・現代・美術」が出たばかりである。 新聞の場合、ゲラを取材者に見せることは原則としてしていない。ゲラを見て、自分の都合のいいように記事を書き直さない人はまれだからだ。それに、新聞記者の主観の入った部分を事前にチェックしてもらうようなことをしては、取材者に批判的な記事など出せなくなってしまう。
ただ、今回のような聞き書き記事の場合は原稿を作った段階で見せることも多い。椹木さんとは何度かファクスのやりとりをした。まずこちらが書いて送って、椹木さんから全面書き直
しが送られてきて。それをもとに、またこちらがA案とB案を作って送った。A案は椹木案に近く、B案はこちらの案に近い。 評者4がコピーライターの糸井重里さんである。昨年度まで夕刊で雑誌批評をお願いしていた。同僚に連絡先を聞いて電話をする。「OK」をいただくと、引っ越したばかりの新事務所の簡単な地図がファクスで送られてきた。
赤瀬川さんには「純文学の素」という十六年前に出版されたすばらしいエッセー集がある。これは「自宅に深く潜行するルポ」というやつで、だれひとりまねできない、深い深いルポなのである。
タニシかカワニナ、と糸井さんは言った。 あえて批判すれば、という前置きのもとに、「生きててナンボ」という話も出た。評価される、ということをあまり大切に考えていないので、もしかしたら後生に残らないかもしれない。 そしてそれは、おそらく彼ののぞむところなのだろう。 糸井さんは話はじめて30分ぐらいたったところで「ねえ、この記事って分量どれくらい?」とたずねた。「400字です」「それだといっぱい書けない話が出てくるよね。その原稿を書きませんか」。それ以後は「ほぼ日刊イトイ新聞」の話題に移っていったのだった。 でも。翌日の記事審査レポート(毎日の新聞について社内でレポートが出る)でこの赤瀬川さんについての記事はほめられた。実はそのなかで一番ほめられたのが、「生きててナンボ」の糸井さんのコメントだった。 |
1998-06-06-SAT
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