他人をにらむな、指さすな(3月20日)

・なにかを言って、攻撃されたり告発されたりするのは、
 それなりに想像できるのですが、
 なにかを言わないことでも、非難はされます。
 非難している人は、ふつうの正義の人です。
 こういう国のようすは、これまで、
 戦争映画などでたくさん描かれてきていますが、
 1週間や10日で、すっと出来上がってしまうとしたら、
 悲しくも恐ろしいことです。

 ほとんどの人は、人を責めることよりも、
 じぶんと、社会とがよりうまく行くように、
 黙々とできることをできるようにしていると思います。
 その姿勢こそが、すでにはじまっている復興だと、
 ぼくは思っています。

 戦時中の非常に迷惑な名作、
 『贅沢は敵だ。』につり合うような言葉を、
 へたくそなりに考えるとしたら、
 『他人をにらむな、他人を指さすな。』でしょうか。
 つい、にらみ返しちゃうことも、やめようと思います。
 これまでもそうだったけれど、
 原動力になるのは、指さされている人たちです。
 沈黙の意味が、ほんとうに大切なときに、
 ぼくのようなものは、毎日ひっきりなしに
 しゃべっていることになっているのが、
 少し、残念です。
 
・ぼく自身も、たくさんの人たちのことばに、
 とても助けられながら、この1週間を過ごしてきました。
 誰ということではなく、たくさんの「人間」たちです。
 そこには、もともとのともだちも、科学者研究者も、
 見ず知らずの人も、もう亡くなっている人も、います。
 「問題そのもの」についてのことば以上に、
 他のことについて語られたことばのほうが、
 ありがたかったりもします。
 いままで以上に、ぼくのことばも、
 ことさらに「人の役に立とう」と思わないように
 気をつけながら使っていこうと思います。
 「たいしたことないもの」として、
 頭を低くしてやっていくよう注意していきます。

今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
被災地の方々もそれ以外の方々も、よく寝られますように。

「今日のダーリン」より