「不安」と「じぶ ん」(4月15日)
・タバコをやめるのがむつかしいのは、
ニコチンが、ニコチンを求めるからなんです。
それを、じぶんがニコチンを求めてると錯覚するんです。
「どうしても吸わないではいられない」と、
思ったり言ったりするのは「じぶん」なのですが、
それを言わせている黒幕は、ニコチンです。
これを中毒と呼ぶわけですよね。
・このパターンと、そっくりだと思うことがあります。
「不安」の中毒というものがあるんじゃないでしょうか。
なにかを「不安」に感じるというのは、
誰にでもあるふつうのことです。
しかし、「不安」が解消されないままに、
そいつに居つかれてしまうと、
「不安」は、さらにそこに居座ろうとしはじめます。
つまり「不安」があることでバランスをとっている。
そういう状態になっているわけです。
だから、なまじの理由ごときで、
「不安」を軽くしようなんてこと、
したくないってことになっちゃうんですよね。
「不安」を取り込むことで安定していた「じぶん」が、
いったん不安定になっちゃいますからね。
「じぶん」としては、
「不安」をなくしたいと願ってるはずなんですよ。
でも、「不安」は、「不安」のなかまを呼ぶんです。
いつのまにか、「不安」から逃げられなくなってしまう。
その黒幕は、こころのなかの「不安」です。
いや、なにもいまの社会の現象に、
無理やり当てはめなくてもいいですよ。
恋愛中の「ふられるんじゃないか」という「不安」、
試験の前に「落ちるかもしれない」という「不安」、
新しい仕事の前に「うまくいかないのでは」の「不安」。
打ち消そうとすればするほど、肥大化します。
そして、「不安」は、「不安」を呼んで固まります。
もう、たいていのことがうまく行かなくなるんだなぁ。
さて、どうすればいいのか。
タバコをやめるときと同じだと思うんですよ。
「じぶん」はどうしたいのかを、決めることでしょう。
いつも「不安」を抱えている「じぶん」でありたいのか?
それとも、そうじゃない「じぶん」として生きるのか?
それを決めるだけ。
だって、「じぶん」がやれることは、
たくさんはないんですから。
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