被災地に来る理由(5月8日)
・宮城県の海岸沿い、山元町に行ったのは、
お墓参りをするためでした。
ツイッターで知りあったこの町の人から、
「もし、町に来てくれるなら、行ってほしい場所がある」
と言われたのがお墓でした。
大きな震災を伝えるメディアでも、
なかなか報道されることが少ないのは、死者のことです。
津波の被害があまりにも大きくて、
特別に土葬が許可されることになって、
小高い丘の上にあるお寺の墓地に、新しく穴が掘られ、
そこにあの日に命をおとした人たちが眠っています。
そういう墓参の礼儀というものも知りませんので、
ぼくらは腕に喪章だけつけて、
東京から持って行ったお線香に火を点し、
墓標に書いてある名前を心のなかで読みながら、
手を合わせることしかできませんでした。
あまりにも数が多くて、
名前を読んでは次へを繰り返していると、
学校の先生が出席簿を読んでいるような感じになります。
他の人たちが、どうしていたのかはわかりませんが、
名前を読んで挨拶をしているだけなのに、
強烈な悲しみが込み上げてくることもありました。
「見知らぬ者ですが、すみません、やって来ました」
としか言いようもなくて、
機械のように読んでは歩きました。
ある区画からは、身元の不明なまま埋葬された人です。
こちらは、名を呼ぶこともできないので、
お線香の煙ごしに黙祷することしかできません。
ここを案内してくれた人たちは、
幼いころの習字の先生のお墓の前で、
屈託なく思い出ばなしをしていました。
じぶんが、被災地に来る理由ってなんなんだろう、
と、ずっと考え続けていたのですが、
実際にここに来てわかったような気がします。
お墓のなかで眠っている人たちが、
きっと、呼んでくれたのです。
生きている人と、亡くなった人とは、
いっしょに生きているものなんだと思いました。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
山元町の役場の方々、皆さん、ありがとうございました。 |