HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN

幡野広志が撮ったもの、
感じたこと。

2021.3.9

自宅のテレビでニュース映像をみるより

テレビで津波のニュース映像をみると、
ぼくはストレスを感じてしまう。
不思議なことにリアルタイムで
津波の映像をみていたときよりも、
10年たったいまの方がよっぽどストレスを感じている。

ぼくはこの10年で息子がうまれて、ぼくは病人にもなった。
弱い存在を守る立場になったり、
自分自身が弱い存在にもなったことで、
津波のニュース映像の見かたが変わったのだとおもう。

津波から逃げる人や家族を失った人を
自分だったらと置き換えたとき、
若くて健康で守るべきものも少なかった
10年前といまでは状況がまったく違う。

あれから10年がたち
街にあった震災の爪痕は少なくなってきても、
人の心に残った震災の爪痕はなかなか無くならない。
それどころか時間がたつにつれて、
爪痕が深くなっていく人もいるのかもしれない。

自宅のテレビでニュース映像をみるより、
被災地を訪れた方がよっぽどストレスを感じない。
きっと復興を目の当たりにすることができたり、
悲しいニュース映像とは違う表情を、
目の当たりすることができるからだろう。
そんなことを考えた初日だった。

旅の途中のあれこれ。

自然体の旅

永田泰大(ほぼ日)

毎年、一緒に行く人を選んでいる、
というわけでもないのだけれど、
3月11日がくると、
私たちは、誰かと一緒に気仙沼に行く。

たとえば3年前は、
古賀史健さんと田中泰延さんと浅生鴨さんと
車で気仙沼まで行った。
2年前は、三國万里子さんとなかしましほさん、
そして三浦史朗さんと気仙沼をめぐった。
去年は、リュートリックスさん、
岸田奈美さん、かつおさんという
二十代の3人といっしょに行った。

くり返すけれど、
「うーん、今年は誰と行こうか?」と
頭を悩ませているわけではない。
いつも、そのときどきで、いつの間にか決まる。

とりわけ今年は、すっと決まった。
写真家の幡野広志さんは、
今年の「気仙沼漁師カレンダー」の
写真を撮影していることもあって、
これまで何度も気仙沼に行っている。

「でも、3月11日に
気仙沼にいたことはないんですよね」

幡野さんがそう言ったので、
「じゃあ、いっしょに行きましょうよ」と提案したら、
いいですね、ということになった。

どうやっていきます? 
車で? いいですね。
福島の海沿いを通って。
ああ、6号を行きましょうか。

そんなふうにとんとんと決まった。
思えば、今年は東日本大震災から10年目である。
特別な節目の年といえるタイミングだけれど、
とくに肩肘張ることなく、
「じゃあ、行きましょうか」と、この旅を決めた。

その自然体は、今日、実際に旅がはじまって、
幡野さんと上野駅で待ち合わせてから、
さっきエレベーターのところでじゃあと別れるまで、
ずっと続いていたと思う。

それはすこし懐かしいような感覚だった。
たとえば朝、ぼくと幡野さんは
常磐線に乗っていわき駅で降りたのだけれど、
列車が駅についた瞬間、ぼくはうとうとしていた。
幡野さんはしっかり起きていたにもかかわらず
なぜか着いたという認識がなくて、
ふたりして同時に「あわわっ」となった。
上着と荷物をひっつかんで飛び降りた。

いや、あぶなかったですね、と
顔を見合わせながら笑った。
ああ、こういう感覚は久しぶりだ、と思った。

ぼくと幡野さんは車のなかでずっと話をした。
やはり震災のことについてもっとも話した。
十年前の経験を代わる代わる話した。
東京でのこと、福島でのこと、気仙沼でのこと。
話は平気で切り替わって、
いま目に入ったおかしな看板について話した。
子どもについて話した。
戦争について話した。
写真と文章と才能について話した。
記憶や故郷や未来について話した。
やっぱりまた震災について話した。
なに食べましょうかと話した。

そんなふうにして、
3月11日に向かって車を走らせていくとき、
ぼくらは東日本大震災のことを思いながらも
そこに囚われているという感じではまったくなかった。
真面目な話も、しんみりする話も、くだらない話も、
なんでも自由にできた。
そして、それらぜんぶのめぐりが
何度も書いているようにとても自然だという気がした。

いわばそれは、ようやく得た自然体であるようにぼくは思う。
あのときから10年という歳月が経ち、
忘れるでもなく、凝り固まるでもなく、
ごまかすでもなく、置き換えるでもなく、
ようやくぼくらは、自然に振る舞えるのではないか。

もちろんそんなに簡単にフェイズは変わらない。
相変わらず難しい問題は残っているし、
まだ解除されない避難地域の境界にある柵や
当時とかわらず壊れたままの建物などを見ると、
気持ちの底のところがすっと固くなる。

けれども、自然体の入り口というようなところに
ようやくぼくらは差し掛かったのではないか。

ウインカーとワイパーのスイッチをたびたび間違えて、
「またやった」と笑い合ったりしながら、
ぼくは、そういうことを考えていた。

また、明日。


(2021/3/9 相馬市)