糸井 | 「A to Z 」という展覧会を見終わって、 まず素直に、おもしろかったという感想です。 |
奈良 | ああ、よかった。 |
糸井 | おもしろかったなー。 これ、そこにいる人が影響し合ってますよね。 人に助けられてるっていうのかな。 ボランティアの人が生き生きしていることもそうだし、 見てるお客さんの楽しそうな感じっていうのも、 ほかのお客さんに影響を与えてるし。 お客さんのいる展示物をこっちが見て、 向こうからも同じようにこっちを見てるっていう 相互見物みたいな状態になっていて。 奈良さんは、最初からそうなるように、 指揮者みたいな気持ちでつくってるんですか。 |
奈良 | ある程度は、そこにいる人も 作品の要素になるなって考えてます。 だから、人がいないときに見物すると、 たぶんかなりさびしく見えると思う。 窓越しに人が見えたりとか、 上のテラスから人が見てたりとか、 そういう人がたくさんいる広場を上から見るとか、 そういうこと全部が全体の要素になってるから。 |
糸井 | 大きい要素だよね。 あと、ふつうの展覧会っていう枠組みで考えると はみ出すものがいっぱいある。 いくつタブローが出展されてるかっていう 発想ではまったくとらえきれないんですよね。 ノートの切れ端も、彫刻も、 それが飾ってある施設も全部同じ作品。 レコードまで飾ってあるし。 |
奈良 | そうなんですよね。 オープニングのときの記者会見で、 「作品点数はどのくらいですか」って訊かれたんだけど、 作品点数なんてわかんないし、 この展示会にとってはぜんぜん重要なことじゃない。 そのへんを説明するのがすごい難しくて。 |
糸井 | 展示を実際に見に来た人には、 そういう奈良さんの気持ちがわかるでしょうね。 |
奈良 | 逆に言うと、「A to Z 」というのは ぼくたちがつくる展覧会じゃなくて、 これを見に来た人がつくる展覧会なんです。 見に来た人のぶんだけチョイスがあるっていうか。 だから感想を聞くとみんな違うだろうし、 好きな小屋も違うだろうし、 本当に見に来た人がつくる展覧会だと思う。 |
糸井 | 案内してもらってるときに、 「ここは行き止まりの、なんでもない場所」 って言われたところがあったんだけど、 そのなんでもない場所っていうのも、 「なんでもない場所」って言われた途端に ある意味では作品じゃないですか。 |
奈良 | そうですね。 |
糸井 | その空間に行くっていう楽しみがあって、 そこまで楽しめるっていうのは、 やっぱり「作品数は何点ですか?」 っていう発想からはありえないですよね。 |
奈良 | そういう既製の展覧会とは まったく質の違う展覧会なんです。 ふつうの展覧会の、白い四角い壁で囲まれた空間に どの作品を何点展示しようかっていう発想だと、 どういう展覧会になるかを予想できるんですけど、 「A to Z 」の場合、どうなるかっていうのは つくる側でさえわからない。 |
糸井 | 図面を見て「こんなふうにつくろう」みたいなことは、 ある程度はやるんですか。 |
奈良 | ある程度はやりますけど、 実際に端っこからつくっていくと、 つぎにつくる場所の予定がどんどん変わっていく。 実際につくると、窓から覗くときの視点の問題とか、 その場でわかってくることがいっぱいあって。 臨機応変にその都度その都度、変えていくんです。 |
糸井 | ということは、起承転結の「結」はわかってない。 |
奈良 | わかってないです。 わかってないというか、あえて決めない。 起承転結の「結」まで、つまり完成予想図まで決めちゃうと、 それに向かって突き進むだけで、 それで100%の展示ができても、100%にしかならない。 でも、つぎに何があるかわからない状態で、 その都度その都度、目の前の問題を乗り越えることで、 いつのまにか100%を超えることができちゃう。 |
糸井 | 完成まで、 ずっと動機が維持できるという言い方もできますね。 全体をつくるのに5ヵ月かかったそうですけど、 「5ヵ月しかかからなかったの?」 っていう驚き方もできるし、 「5ヵ月もかかるんだね!」っていう驚き方もできる。 |
奈良 | うん、両方入ってますね。 |
糸井 | と、同時に、 「まったくわかんないでつくってるわけじゃない」 ってとこもまた、ありますよね。 |
奈良 | そう。 完成予想図のビジュアルをはっきりイメージできないだけで、 その「見えない完成図」は、はっきり決まってるんです。 それがあるかないかの違いは大きくて、 それがあるから、あるとき急に、 バシッと完成予想図が見えることがある。 全体っていうのは見えなくても。 そういう感じで、ひとつ小屋をつくっては、 またひとつつくるという感じで。 で、ある程度何個か小屋をつくった時点で、 またイメージしてた予想図と違う予想図になっていく。 それがまたおもしろいし。 |
糸井 | 小屋ごとっていう発想にしたおかげで、 それがすごくやりやすくなったとも言えますね。 連作短編集じゃないですか、言わば。 |
奈良 | うんうん、そうそう。 短編で連載しているうちに 結末っていうのは決まってなくても、 わかってくるんですよ。 |
糸井 | ジブリの宮崎駿さんが やっぱり、同じつくり方をしているんですよ。 ストーリーは、描いてる都合で変わっていくんで、 どうなるかというのは、本人にもわかんないんですよ。 とりわけ『千と千尋の神隠し』というのは そういうつくり方をしたらしいんですね。 |
奈良 | 映画なんかでも、シナリオの順番に撮って行く人と ばらばらに撮って組み合わせる人がいますよね。 たとえば是枝裕和監督の『誰も知らない』なんかは、 順番に撮っていって、しかも、 大まかなストーリーは決まってるけど ディテールがまったくわからないってう状態から その場その場でつくっていったそうです。 そのあたりは、自分と似てるかなと思いますね。 |
糸井 | 順撮りってものすごく「手仕事」なんですよね。 つまり、パーツに分けられなくて、 ひとつひとつが変化していく。 それはこの展覧会にも、感じますねえ。 |
奈良 | まったくそうでした。 ・・・・・「03 責任」へ続きます |