糸井 | 内側と外側の話でいうと、 奈良さんの描く女の子って、 女の子側なのか、女の子を見てる側なのかが、 わかんなくなってくるんですよ。 女の子の側から世界をにらむこともできるし、 いい子だねって守ってあげたくもなる。 さっきの「家」の話もそっくりですよね。 小屋の中にある犬を覗くときも、 覗く自分として犬を見た瞬間に、 覗かれる犬になっちゃうじゃないですか。 目が合っちゃったりするでしょう。 |
奈良 | うん、うん。 |
糸井 | その構造が、ものすごく共感できるなぁ。 違う言い方をすると、奈良美智っていう人が、 みんなに知られないと獲得できなかったものって、 ものすごくたくさんありますね。 誰も認めない奈良美智っていう場合は、 内と外は作れないですもんね。 |
奈良 | そうですね。 |
糸井 | そういう意味では、奈良美智は、 作家にならなきゃだめだったのかもしれない。 |
奈良 | どうなんでしょうね。 でも、いま自分は美術をやってるから、 いまの自分っていう人間があるわけで、 やってなかったら、違う自分っていうのが またちゃんといたと思うんです。 |
糸井 | 別の奈良美智が。 |
奈良 | ええ。よく思うんですけど、 ぼくは、学校の先生とかやってても、 けっこうそれなりに楽しくやって、 それなりに美しい出来事があったり、 それなりに感動したり、 それなりに生きてきてよかったなぁとか、 そういうふうになってるだろうと自分で確信できる。 |
糸井 | どう生きようと、そういう自分がセットなんだね。 |
奈良 | うん。どんな生き方をしてても、 たぶんそれをすごく楽しんでると思う。 苦しみも同じくらいの苦しみじゃないかなぁ。 いまは、たくさんの人から見られるよろこびと、 たくさんの人から見られる苦しみがあるけど、 ふつうに暮らしてたとしても、 町内の人から、よく見られるよろこびや、 悪く見られる苦しみなんかがきっとあって、 自分にとって、それは同じこと。 どんなふうでも、生きてたら いまと同じような感じで生きてたと思う。 |
糸井 | それは、二十歳の自分と相談してもそうだなっていう? |
奈良 | そうですね。 だって、ニール・ヤングも尊敬してるけど、 それと同じように、ときどき偶然発見する こだわりの八百屋さんだったりとか、 毎朝、横断歩道で子どもたちのために 旗を振ってる緑のおばさんとか、なんかそういう、 なにかをずっと続けてるふつうの人にも すごく惹かちゃうんですよ。 |
糸井 | ずっとそうなんだね。 |
奈良 | うん。美術をやってなくても、きっと。 |
糸井 | バランスが変わるだけで。 |
奈良 | うん。違うバランスになるだけで。 |
糸井 | 違う旅をするっていうことだね。なるほど。 |
奈良 | とは思うなぁ。 |
糸井 | そしてその旅の、原点のところにあるのは、 丘の上の「家」にあるように思いますね。 |
奈良 | そうだねぇ。 |
糸井 | その点から始まる旅の線って、無限なわけで。 |
奈良 | うん。 |
糸井 | この展覧会は、みんなに見てほしいですね。 最後にそういうふつうのまとめをすることもないけど、 これは、来たらいいと思う。 ぼくはやっぱりこれを大勢に見せたいなと思う。 |
奈良 | 来たらね、関わったみんながよろこぶと思う。 ぼく自身から言うと、 たくさんの人が来てくれるという事実よりも、 関わったみんなが、よろこぶような姿があれば、 どういう形でもいいなと思う。 たとえば糸井さんがこうして来てくれたことを、 みんながよろこぶなら、それはぼくにとってもよろこび。 ぼくがよろこぶことは、みんなにとってもよろこび。 そんなふうに思うんですよ。本当に。 |
糸井 | うん。 どうもありがとうございました。 じゃあ、このへんで。 |
奈良 | ありがとうございました。 ニール・ヤングの話、長かったですね(笑)。 |
糸井 | ニール・ヤングを語る場所って他にないんだよね。 ひとりで聴くタイプの音楽だしなぁ。 |
奈良 | 『孤独の旅路』っていう歌もありましたね。 |
糸井 | 原題はぜんぜん違うんだよね。 『ハーベスト』に入ってる曲だね。 男はメイドが必要だって歌があるんだ。 その本音ぶりがすごくおかしいだろう。 『A Man Needs A Maid』。 |
奈良 | ピアノの弾き語りですよね。 |
糸井 | それが切なくていい歌でさあ。 恋の歌でもなんでもないんだよ。 あの歌、いい歌だよね。 |
奈良 | いいですよね。 明日は、おまけの更新があります。 お楽しみに! |