糸井 | 話してるとわかるんですけど、 奈良さんは自分の中で、 いろんな整理がすごくできてますよね。 それは、ひとりでいる時間が長いというか、 その時間を大切にしているからじゃないかな と思ったんです。 |
奈良 | ひとりでいる時間。 |
糸井 | ぼくもどちらかといえば、許されるなら、 ひとりでずっと家にいたいっていうタイプなんです。 ひとりでいるタイプって、 整理しないと走れないんですよ。 短い距離ならがんばれるかもしれないけど。 長く、きちんと走るときには、とくに。 |
奈良 | 出会ったり、ひとりになったりというのは、 旅をしている感覚と近いんです。 ある町のユースホテルで会ったバックパッカーと、 またどこかの町で出会ったり。 つぎにどこで会うかっていう約束はしないんですけど、 お互い旅をしていたら、またどこかで出会う。 そんな感じで、この「A to Z」が終わってからも grafのみんなとまた出会って展覧会をしていくと思うし。 |
糸井 | 旅の中には両方がありますよね。 「ひとり」と「出会い」と。 |
奈良 | だからかな? 車に乗ってる時間って好きなんです。 |
糸井 | それ、「ひとり」なんですよ。 その時間はつくろうっていったって、 なかなかつくれないもんね。 |
奈良 | そうですね。 だから、ここに来るのも 新幹線で来たら楽なんだけど、いつもわざと車で来る。 東北道ってそんなに混んでないから、 考えごとしながらでも、平気で運転できちゃうんで。 |
糸井 | みんながいる場所に、ひとりで考えながら行く。 そのあたりは自分でもすごく共感しますね。 で、そうはいっても、 チームプレーって、やっぱり最高なんですよね。 |
奈良 | それはもう、そうですね。 やっぱり、「やったー!」って言うときに、 ハイタッチできる相手がいるという あの、なんかこうワクワクする感じ。 やっぱり人間って、 社会的な生き物なんだなって思う瞬間で。 |
糸井 | 他人が何かを成し遂げたのを現場で見るっていうのは、 お客さんの立場にもなれるわけだから、幸せですよね。 |
奈良 | うん、うん。 会場づくりのボランティアの人たちが壁を塗っていって、 少しずつそれが仕上げられていくのを見ているのは、 自分が目撃者になってるみたいで、すごくおもしろい。 |
糸井 | それは奈良さんの姿であると同時に、 無名の誰かでもあるわけですよね。 |
奈良 | そうそう。 |
糸井 | だいたいのことが、 ふたつの極端なところを往復しながら 両方をいっぺんに表そうとしているんですよ。 たとえば「作家性、オリジナル」っていうものがある。 「そこ変えると困るんだよね、俺じゃなくなるから」 っていうところは当然あるし、 この展覧会でも圧倒的に感じることができる。 でも、それと同時に、ベースとして、 「俺じゃなくていいんだよ」っていうのもある。 |
奈良 | うん、うん。 |
糸井 | いつでも、ふたつが同時にあるんです。 強固に小さくしたい部分と、 無限に広くしたい部分と、 同時に語ってますよね、だいだい。 |
奈良 | そうそう。 だから、壁塗りなんかは、 絶対自分がやっちゃいけないと思うんです。 |
糸井 | あああ、なるほど。 |
奈良 | ボランティアの人にやってもらいたい。 で、ボランティアの中に、ペンキ職人がいたら、 その人は壁塗りから外さなくちゃいけない。 |
糸井 | あなたは床ね、みたいな。 それは、遊びを考えてるともいえるよね。 |
奈良 | うん。それを遊びととらえるなら、 遊びを考えられるような余裕っていうものが なんか自分の中にもできたのかな、 と思ったりもする。いま。 |
糸井 | ひとりで作家としてやってるときには それは、なかったんですか。 |
奈良 | うん。なかったと思う。 たとえば「家」を例にとると、 いままで自分は部屋の中にしか生きてなくて、 部屋の中をいろんなレイアウトにして、 自分の世界を作り上げてて、 人が来たらドア開けて、中に入れて、見せるけど、 その家の外っていうのはまったく意識してなかった。 窓も開けたことがなくて、外を見るにしても、 ガラス越しに見てただけかもしれない。 でも、窓を開けて見たら、家のまわりに壁がある。 家に壁があるんだとしたら、 「外」もなきゃいけないじゃないですか。 「外」がなきゃいけないと感じたんだと思うんです。 |
糸井 | うん、うん。 |
奈良 | それで、家の外に出て、みんなで壁を作って、 それまで部屋だったのが、小屋に変わった。 部屋って「外」はないけど、小屋には「外」がある。 そこではじめて、内と外のあるものになったんだと思う。 |
糸井 | 出会いが影響してるんでしょうね。 |
奈良 | 出会いは大きかったと思います。 grafの人たちとこういう出会いをしてなかったら、 やってなかった可能性は十二分にあるし。 |
糸井 | そういう出会いによって、 奈良さんの原体験である、子供のときの「家」の姿に、 もう一回戻れたっていうことかもしれません。 |
奈良 | そうですよね。 だから、いつのまにか 内側からしか見ない人間になってたんですよね。 それがちゃんと外側からも見られる、 自分ちを外側からも見られるようになったんだなと思う。 ・・・・・「15 旅」へ続きます |