ある映画の冒険の旅。
映画プロデューサーは
走り回るよ。

<第3回>
新人監督がサンダンス映画祭で
デビューするということ


「え、えっと、ニホンはドウダッタカナァ、、、」
とまどうモノホン・プロデューサー、
ケリー・マクマホン女史。
99年、サンダンス映画祭の
『The Autumn Heart』正式上映。
キャスト舞台挨拶が終わるやいなや、
舞台袖に駆け寄ったアジアンなルックスの私に、
モノホン・プロデューサーはあまり興味を示さなかった。

というのも、たった今、デヴィッド・リー・ウィルソンが
感動の大スピーチをして共演者もみんな"只今感激中"。

『人は過ちを後悔したとき、
 昔に戻ってやりなおすことができる。
 ただ少しの勇気を味方につけて…』
というこの映画のテーマでもある名文句だ。
(これ、予告編にも使用しました♪)

それに、ちょっとだけ仕組みを説明すると、
サンダンス映画祭で初監督作品を持ちこんだスタッフたちは、
「このサンダンスで、世界配給権を買ってもらえるかどうが、
今後の成功の鍵!!」
とばかりに手に汗握る日々なのだ。
なんてったってこのサンダンスからは、
クエンティン・タランティーノが『レザボア・ドックス』で
コーエン兄弟が『ブラッド・シンプル』でデビューしていて、
まさにインディーな新人をハリウッド・メジャーが
虎視眈々と狙っている青田買いの場なのだから。
95年にはスコット・ヒックスの
『シャイン』の世界配給権獲得をめぐって、
ファインラインとミラマックスの争奪戦が、
暴力沙汰にまで発展する騒ぎとなったのは有名な話。

というわけで、ケリーちゃんもきっと
「今夜が勝負だわ!」
と気合が入っていたので、
アメリカの敏腕配給会社よりも先に、
ニホンの権利の問合せを受け、面食らったのでしょう。

実際、「The Autumn Heart」(当時はまだ原題)は、
99年のサンダンス正式出品の下馬評では、
グランプリ有力候補として
連日業界紙を賑わしていたのです。

そういう有力候補作品の上映があった夜は、
アメリカの各配給会社の買付担当者が、
まさに明け方までプロデューサーと交渉し、
値段が折り合うと商談成立!
というしぶとい交渉が繰り広げられます。
最近では、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』の
夜中の密談合戦が壮絶でしたね。
通常、舞台挨拶の後に買付担当者がプロデューサーに
「今日ミーティングをしたい」と申し出て、
「じゃ、この後ホテルのロビーで」
という運びになるものなのですが、
彼らにとって第一優先地域代表ではない私は、
「明日電話する」
と言われました。
ま、他に日本の配給会社の人は見ていなかったようなので、
私も対してアセらなかったのですが…。

とは言え、ちゃんと相手にしてもらえるのかどうか、
それなりにドキドキして過ごした一夜。
ユタ州はモルモン教の町なので、バーでお酒を飲むには
「町の有力者の紹介状」が要るらしい。
そんな知り合いはいないので、
仕方なく隣のスーパーでビールを買って一人壮行会。
「うまく行きますように…」

そして翌朝、やっぱり電話はかかってこない。
朝から何度か代理人である弁護士に電話をかけた。
「今、アメリカのディールの話をしているので、
 もう少し待って」
と言われつづけ一日が過ぎた。
世界配給権がどこかの会社に売れてしまえば、
私は直接プロデューサーと話をすることはなくなり、
セールス・エージェントと呼ばれる、
「権利を売る代理店」と交渉をすることとなる。
そうなればいつものマーケットと同じ要領で、
こちらもちょっとは慣れているから、
それでもなんら問題はない。

2日経った――。
「The Autumn Heart」は配給権争奪戦に
うまく乗れなかったようだった。
最終日に決まったグランプリ、審査員特別賞、観客賞などの
主な賞は、すべて
「Three Seasons」(日本公開タイトル『季節の中で』)
が総ナメだった。
ガックリ肩を落としたプロデューサーの代理人、
ジョンから電話があったのは
すべての賞が発表されてからだった。

「日本の権利を売りたいのはヤマヤマなれど、
実は音楽の権利をすべてクリアしていないので、
日本だけに切り売りすることはできない」
え???なにソレ?
音楽の権利クリアしないで
映画祭で上映してるってどういうこと?
音楽変えればいいの?
どうすれば日本で公開できるの??

おまえさんは何年買付けやっとんねん?
と言わんばかりのアキれ顔のジョンは、
映画祭が終わった今では時間もたっぷりあることだし、
と詳しい事情を説明してくれた。

なんだかヤヤこしい話になってきちゃったなぁ。

つづく

2000-08-17-THU


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