爆笑問題・太田光の
家族をつくったゲーム。
『MOTHER』からはじまった
ものなどなど。
爆笑問題の太田光さんが
大の『MOTHER』ファンだということで
開発者・糸井重里との対談をセッティングしました。
休日の昼下がり、のびのび話すふたりの話題は、
『MOTHER』から始まってあちこちへ。
予告しておきますが、最後は落語の話になります。
最近、糸井重里に同行していて気づくことは、
対談相手と糸井重里の共通の話題が、
どうも、いつも落語になっているなぁということです。


第1回
『MOTHER』とカミサン



── 太田さんが好きだったというのは
1作目の『MOTHER』ですか?
太田 そうですね。
最初の『MOTHER』です。ファミコンの。
糸井 そのころは、まだヒマだったころ?
太田 うん、なんにもなかったですよ、仕事(笑)。
あー、でも、あってもやってましたね、徹夜して。
糸井 あー、ぼくもやってたもんね。仕事あっても。
当時は、ゲームがそれくらい濃かったよね。
太田 そうですね。
さらに、『MOTHER』がぼくにとって
最初のロールプレイングゲームだったから。
糸井 『ドラクエ』じゃなくて。
太田 はい。『ドラクエ』とかが話題になってるのを、
ま、聞いてはいたんですけど、
そんな、ゲームにそこまで夢中になれないだろ、
っていう感じだったんですよ。
「そんな、徹夜してまでゲーム?」
って言ってたんですけど、
まあ、試しにやってみるか、
ってことでやったら、もう!
夢中でしたよ、ほんとに(笑)。
糸井 あ、うれしいこと言うねぇ。
太田 これは寝てらんないや、っていう感じでしたね。
ロールプレイングゲームって、こんなか、
っていう、カルチャーショックでした。
糸井 なんか、あまりにもいいコメントで、
うそに聞こえる(笑)。
太田 いやー、でも、ほんっと、ほんっとに、
いっしょに冒険しているような
感覚が味わえましたね。
糸井 困ったな(笑)。
こういう展開になると、何も言えないわ。
── たとえば何が太田さんをひきつけたんでしょう?
太田 そうですねえ。たとえば、
ひとつの街からべつの街に行くじゃないですか。
『MOTHER』以外のゲームって、
街と街の世界の感じっていうかね、
空間の感じがあまり変わらないんですよね。
でも『MOTHER』は、ほんっとに、
つぎの街が見てみたい、
どんな街なんだろうっていう感じだった。
街から街へ移動するときに流れる時間とかが、
家にいながら世界中を旅しているような感じで、
すーごい、ストレートに入れたんですよね。
糸井 あああ、なるほどね。
その話を聞いて自分で思い当たるのは、
ぼくは一時、ハードボイルド小説を読んでいまして。
太田 はいはい。
糸井 で、あるとき、わかった。
ハードボイルドの小説っていうのは、
街が主人公なんだな、って思ったんです。
どういう街が舞台で、その街にどういう人がいて、
どんな日常が送られてるか、ってことが重要で、
登場人物は、それを見せるための
材料のように思えたんですよ。
だから、『MOTHER』をつくるときも、
「街が主人公なんだ」っていうことは、
そうとう意識してたんです。
それはかなり特殊なことだったんじゃないかな。
太田 あー。
ぼくは最初に『MOTHER』をやったから、
ロールプレイングゲームっていうのは
ぜんぶこうなんだと思ったんですよ。
だけど、その後、
いくつかほかのゲームをプレイしたけど、
やっぱり『MOTHER』ほど
旅してる感じを味わえたゲームはないんですよ。
糸井 ありがとうございます(笑)。
太田 あと、『MOTHER』をプレイしたのって、
カミサンとつき合い始めてすぐだったんですよ。
というか、カミサンが買ってきたんです。
だから、ふたりとも初めて
ロールプレイングゲームをやるっていう
状態だったんですよ。
糸井 え、ふたりでやったの?
太田 ええ。つき合い始めだったから、
ほんとに、新婚旅行みたいな感じで(笑)。
ふたりで初めて旅行いく、みたいな感覚。
だから、ほんっとに、
ふたりで最初にやったイベントは
『MOTHER』なんですよ、うちの夫婦は。
糸井 へーーーー!
うれしい。うれしすぎるくらい(笑)。
太田 いや、もう、ほんとに。
で、当時のファミコンのゲームって、
子どもが楽しめるようにできているからこそ、
大人も楽しめるようにできてるじゃないですか。
いまは妙に大人向けになってて
逆にやれなくなってきたんですけど。
だから、当時って、きっと、
ゲームやってるときの大人は子どもなんですよ。
だから、『MOTHER』は、
すーごい、いい思い出なんですよ、
うちの夫婦にとって。
糸井 『MOTHER』が熱海になったみたいに(笑)。
太田 そうですね(笑)。
なんか、旅行だっていう感じとか、
ほんと変わんないですよ。
ものすごく、いい思い出。
糸井 じゃ、『MOTHER』で
ふたりの思い出話ができちゃうの?
太田 ほんとそうですよ。
「あのころは」って感じですよ。
糸井 うわぁーっ。冥利に尽きる、ってやつだね。

(続きます!)


第2回
続・『MOTHER』とカミサン



── ご夫婦でいっしょに『MOTHER』を
プレイするというのは、どういった感じで?
太田 そうですねえ。まあ、そのときは
まだ結婚してなかったんですけどね。
要するにふたりで交代で
コントローラーを持つんです。
で、1時間くらいすると交代するんですけど、
やらないほうはずっとそれを見ているという。
見てるっていっても、ほんとに、
いっしょに参加してる感じで。
「あ、いま、あのアイテム使ったほうがいいよ」
とかって言いながらやるんですけど。
そのときに、たとえば、
男のセリフはぜんぶ僕が声に出して読んだり。
カミサンは女のセリフを声に出して読んで。
糸井 へーーーーっ!!
太田 なんか、自分たちも芝居しながら(笑)。
糸井 はっはっはっは!
── それは、ちょっとすごいっすね(笑)。
太田 だから、すーごく、疲れるんですけど(笑)。
でも、夢中ですからね、もう。
いかにうまくセリフを言うかとかね。
そういう感じで、お互い盛り上げながら。
「この街、すごいねえ」とか言い合って。
やっぱりはじめてのRPGだったから、
ふたりともいろいろと衝撃を受けていて、
そういうときって、
すぐ誰かに伝えたいじゃないですか。
糸井 わかる、わかる。
太田 で、その相手がすぐ隣にいるわけだから。
感動をお互いに伝え合いながら。
なおかつ僕らの場合は、つき合い始めなんで、
ふたりの関係も新鮮で。
だから、ぜんぶ新鮮だったですね。
糸井 最高だよね(笑)。
ほんと、新婚旅行じゃない?
プレイしながらベタベタしてるわけだよね。
ぼくも、そんなふうにやってくれたら、
最高だろうなと思ってつくってたわけだけど、
それは、親子でやってくれるといいな、
って思ってたんですよね。
太田 あー(笑)。
糸井 夫婦っていうのは、思い浮かばなかった(笑)。
それは、どこでやってるの?
太田 カミサンの家なんですけど、
僕がそこに転がり込んだようなかたちで。
だから、いっしょに暮らしはじめて
1ヶ月とかの時期だったと思いますけど。
糸井 それは、最高(笑)。
あるレコードをいっしょに聴いたよな、
みたいな感じだよね。
太田 そうそうそう。おぼえてるのは、
そのときに鳥を飼ってたんですよ。
わりとよくしゃべる鳥だったんですけど。
で、『MOTHER』って
歌を集めるじゃないですか。
だから、その歌を、鳥におぼえさせて、
「♪ピピピピピ〜」って、
歌えましたから、うちの鳥は。
── へーーー(笑)!
ますますつくった話みたいですねえ。
糸井 つき合いはじめのふたりがいっしょに
『MOTHER』を交代でプレイして、
その後ろで鳥が歌ってるわけ?
それ、誰かにぼくが話したら
ウソだって言われるよ(笑)。
太田 あと、最初の『MOTHER』は、
1回も電源切ってないんですよ。
最初から最後までぶっ続けでやりましたから。
糸井 はっはっはっは!
太田 最後の戦闘はすごかったですよ。
倒しかたがぜんぜんわからなくて。
もう、完璧な装備で臨んだんですよ、戦闘に。
ところがぜんっぜん倒せない。
けっきょく3時間ぐらい戦ったんですよ。
── 死闘!
太田 ええ、もうほんっとに死闘。
糸井 倒せなくても、自分が3時間死なないだけの
重装備をしてたわけね(笑)。
太田 そうそう。それでね、
すでに徹夜してるわけじゃないですか。
だから途中でね、気を失ったんですよ。
糸井 うはははははは!
── 電源切ってないんですもんね(笑)。
太田 だから、眠ったというか、気を失ってて。
うちのカミサンはもう、ひとりで、
ほんっとに、死闘してて。
で、もう、その重装備が
とうとう尽きるっていうときに、
「これもうダメだ!」っていうときに、
倒しかたに気づいたんですよ。
そこでぼくは「ねえねえ!」って起こされて。
── おお(笑)。
太田 で、もう、アイテムとかもなくなってるから、
ギリギリで負けるかもしれないっていう状態で、
そこから「あとちょっと」って感じで
ほんっと、瀬戸際のところで倒したんですよ。
だから、ものすごい感動でしたよ。
「はぁ〜っ!」っていう達成感と、
気がついてほんとによかったね、みたいに。
糸井 「俺とおまえがいれば!」
みたいな感じになるよねえ。
なんでもできるような気がするっていう。
つくり手にとっては夢の世界だね(笑)。
太田 そうですねえ(笑)。
だから、ゲームとぼくらのタイミングが
ほんとにうまく合ったんですよね。
糸井 あり得ない(笑)。
でもね、そういう話をたまに聞くんですよ。
たとえば、たまたまなにかで地方に行ったとき
「こうだったんです!」って聞いたりね。
最近になってメールがたくさん来たり。
だから、その、日本中に、
自分がつくったものが伝わってる感じって、
それまで持ってなかったんですよ。
つまり、誰かが、どこかで、
「あんたがやったことは、
 私に影響を与えたんだよ」
っていうふうに言ってくれるわけで、
それはものすごくうれしいですよね。
なんか、たかだか数千円のソフトがさ、
その人にそんなに大きく影響してるなんて。
太田 すごいですよね。
糸井 だから、『MOTHER』への関わりかたを
聞くだけで、その人の性格や人間性なんかが
わかったりするじゃないですか。
そんなふうになると思ってなかったもんね。
太田 うちの場合も、『MOTHER』によって
「あ、合うな」っていうのを確認しましたから。
糸井 (笑)
太田 自分がこんなに楽しめるゲームを、
ふたりでいっしょに楽しめるって思ったら、
「あ、この人とは合うな」って感じますよね。
だから、お互いに確認し合った感じですね、
『MOTHER』というゲームで。
糸井 そういう感覚を共有できるのは、
うれしいよねえ。
太田 そうですよねー。

(続きます!)


第3回
続々・『MOTHER』とカミサン



糸井 みなさんがそれぞれに持っている
『MOTHER』の思い出を聞くたびに、
「オレはいったい何をつくったんだろう?」
っていう気分になるなあ。
そういうふうに遊ばれるといいな、って
思いながらつくったのはたしかなんだけど、
ほんとにそうだったと知ると
不思議な気分になるんですよ。
── つくり手としては。
糸井 うん。
太田さんは、ゲームをつくりたいと
思ったことはなかったんですか?
太田 うーん、意外とぼくはないんですよね。
ゲームの世界っていうのは、
ある種、神聖なものとして、
自分が関係者として入らないものというか、
仕事じゃないところに置いておきたいんですよ。
糸井 ああ、それはぼくにとっては
「料理」みたいなもんかな。
美味しい料理をつくる人がいると
うれしいんだけど、
「オレもやりたい」とは、絶対に思わないから。
太田 そういう感じですね。
糸井 映画とかともまた違うんですか? ゲームは。
太田 うん、違いますね。
その、感動したり、好きだったりっていう部分では
同じだったりするんですけど、
やっぱりゲームっていうのは、
また夫婦の話になりますけど(笑)、
うちの場合、ふたりでやるものなんですね。
糸井 はぁー。
太田 たとえば、映画をふたりで見てるときって、
そのあいだに話したりしませんよね。
同じ小説を読むにしても、
読むときはひとりで感動するじゃないですか。
だけど、ゲームはひとりじゃないんですよね。
かならず夫婦で、なんか話しながらやってて、
ちょうどいいバランスでコミュニケーションを
とりながら楽しむ。
そういうものはほかにないですね。
糸井 そういわれるとほかにないね、そういうもの。
映画館でしゃべったら怒られるしね。
とくに、ロールプレイングゲームは、
自分の都合で止めておけるからね。
トイレにも行けるし、しゃべれるし。
太田 そうですね。とくにふたりで徹夜でやってると、
途中でお腹空いたり、
なんかお菓子買ってきて食べたり、
なにか作って食べたりとかするじゃないですか。
で、そういときの食事なんかも、
ふつうにふたりでご飯食べるより、
ずっと楽しいんですよね。
糸井 あああ〜、楽しいよね。
太田 そういう周辺のことも楽しくなるっていうか。
なんか、飲みもの用意して、こう、
いろいろやったりしてることも楽しいっていう。
糸井 ピクニックだ(笑)!
太田 あ、ほんとに。そうですね。ええ。
── しかも太田さんの場合、
セリフを読み合いながら進めてるわけだから、
かなり楽しいイベントですよね、それは。
太田 そうですねえ。やっぱり、
セリフを声に出しながらやってるから、
要するに、ゲーム全体が台本、みたいな
感覚になっていくんですよ。
「どう言ったらおもしろいか?」
とかっていうのも計算しつつやってるから、
ある種、自分のなかのものになっていく。
糸井 ああ、思えば、
『MOTHER』のセリフって、
声に出して言うことを
かなり意識してつくってるんですよ。
実際に、しゃべりながらつくって、
それを横で打ち込んでもらってたのは
『MOTHER2』のときなんだけど、
最初の『MOTHER』のときも、
原稿用紙に書きながら
声に出して確認してたし。
だから、ぜんぶ、ぼくの呼吸で、
セリフが出てくるんですね。
それをほんとうに
そのまま味わってる人が、いたわけだ(笑)。
太田 そうですね(笑)。
でも、「間がいいゲーム」と、
そうじゃないゲームっていうのはありますよ。
『MOTHER』だからこそ、
そういうことがうまくできたんだろうし。
── 最初に行ったピクニックの場所が
ひどいところだったら、
大げんかになってたかもしれないですよね。
太田 いや、ほんと、そうです。
しかも、つぎにどういうセリフが
来るかわからないまま読んでるから、
要するに、初見の台本と同じわけですよ。
初見でいきなり本番、みたいなことですから。
台本のできが悪いと、楽しめないですよね。
だから、演技力が試されるというか、
展開を予期しながら読み上げていって、
こっちの意図とつぎのセリフが
うまくかみ合うとすごく気持ちよかったり。
糸井 お客さんがいるわけじゃないのにね(笑)。
そういわれて気づいたのは、
『MOTHER』って、
いろんな人が出てくるんだよね。
いい人とか、悪い人とか、無責任な人とか。
それを描き分けたからこそ、
そういう遊びが成り立つんだね。
太田 ああ、そうですね。
糸井 「なんとかの街へようこそ」とか
「南へ進め」とか言うだけの、
ゲームの機能としての人しかいなかったら、
それをセリフで言う意味ないじゃないですか。
太田 うんうん。
糸井 「ガキ邪魔だ、どいてろ」みたいセリフが
あるからこそ演じる意味があるし、
いやなやつだと思わせたり、
ふつうにホロリとさせたりできる。
そのへんを、すごく丁寧にやったから、
その遊びができたんですね。
太田 そうですね。
だから、最初が『MOTHER』でよかったね、
っていう話は、よくしますよ、うちは。
糸井 うれしいなあ。
太田 まあ、その後、いろいろゲームやってみたけど、
はじまりが『MOTHER』じゃなかったら、
うちの夫婦はここまでゲームに
夢中にはなってないだろうね、っていう。
糸井 夫婦になってなかったかも(笑)。
太田 そうっすよねえ(笑)。
だから、ほんとに、うちの夫婦は、
『MOTHER』抜きには語れないんですよ。
糸井 申し訳ないような気さえしてきた(笑)。
でも、その、夫婦でやるっていうのは
はじめてプレイする人に勧めたいね。
太田 (笑)
糸井 『MOTHER』を好きな人のなかでも、
最初の『MOTHER』が好きっていう人と
『MOTHER2』が好きっていう人と
分かれるんですけど、そうなると、
太田さんはやっぱり……。
太田 もう、最初の『MOTHER』ですね。
── 超えられないですよ、それは(笑)。
糸井 そうだよね。それは、
『MOTHER2』をいっくらよくつくっても
かなわないよねえ(笑)。
太田 そうですね。だから、もう、
ゲームのはじまりっていうか、
ぼくにとって、テレビゲームっていうものの、
大元が『MOTHER』ですから。
だから、なによりも『MOTHER』なんです。
糸井 ありがたくて、
どうしていいかわかんない(笑)。

(続きます!)


第4回
『MOTHER』のメジャーな感じ



── 『MOTHER』に関しては、14年経って
ようやく冷静に語られはじめてますけど、
太田さんは、昔、ご自分で出られたテレビとか、
あるいはコントのビデオとか、
どういう感覚でとらえていらっしゃいますか?
太田 自分の出てたやつですか?
あー、どうだろうなあ。
ふだんはほとんど無視しているというか、
振り返らないようにしてますね。
昔のものっていうのは。
── ファンの方に訊かれたりして、
ちょっと振り返らざるをえないときも
あると思うんですけど、そういうときは?
太田 ああ、そうですね……。
それはね、なんか、あんまり、
まともに考えようとしていないというか。
「こういうことなんです」っていう解釈を、
あんまり自分のなかでしようとしてないっていう。
そんなに深い理由もないんですけど。
ま、訊かれりゃ、適当に、
言うことは言うと思うんですけど、
それはほんとに「後づけ」で(笑)。
なんか、うん、
真剣に考えたことはないんですよね。
── まだ客観視できないという感じなんですかね?
太田 そうですね。だから、たぶん、僕の場合は、
昔やってたことっていうのが、
まだ完成されてないんじゃないですかね。
いまはその過程というか、
いまやってることの途中経過でしかなくて。
なんか1コ到達点があれば、
そこから振り返ることは
できるのかも知れませんけど。
昔やってることも、いまやってることも、
大差ないんですよね。
糸井 でも、何年かまえは
ぼくもそんなふうに思ってたよ。
だから、時間じゃないかとも思う。
太田 あ、そうですか。
糸井 最初の『MOTHER』が出てから
14年も経っちゃったんで、
もう嫁に行った子どもみたいな感覚なんですよ。
だからこそ言えるっていう感じかな。
あと、『MOTHER』に関して思うのは、
ぼくがつくるものにしてはめずらしく、
消えないものだったんですよ。
まあ、お笑いとかもそうだと思うけど、
ぼくがつくっている「コピー」というものは
基本的に「消えもの」なんですよ。
太田 はい。
糸井 だから、昔つくったコピーについて、
いろいろ訊かれたりしても、
「そんときに価値があったんだよ」
って言いたい気分なんですよね。
太田 ああ、そうかそうか。
糸井 昔のコピーについていま語ったとしても、
まあ、解説にしかなんないな、と。
けど、『MOTHER』については
めずらしく消えものじゃなかったんで、
「じつはこうだ」とかっていうことが
言えるんですよね。なにしろあのゲームって
ぜんぶ理由があることばっかりなんで。
だから、太田さんが、お笑いじゃなくて、
たとえば映画なんか撮ってたら、
昔のものについて言えるんじゃないのかな。
太田 ああ、そうかもしれませんね。
糸井 そういうことと、
時間が過ぎるっていうことと、
両方あるんじゃないかな。
太田さんとは、ずっとまえに一度、
仕事でお会いしていて、
そのときもさっきみたいに
「ぼくは『MOTHER』が好きで」
っていう話をしてもらった記憶があるんだけど、
たぶん、そのときぼくは
後づけの適当なことしか言えなかったと思う。
「あ、うれしいですね」っていう感じで。
── ちなみにそれはいつごろですか?
糸井 もう7〜8年前かなあ。
太田 そうですね。
── そのころって太田さんがはじめて
『MOTHER』をプレイされてから
ずいぶん経っていたわけですけど、
やっぱり、ずっと大切なゲームとして
太田さんのなかに残っていたわけですか。
太田 そうですね。その後もいくつか、
ゲームをやってみたんですけど、
なんていうか、
ほかのゲームをプレイしながら、
そのつど『MOTHER』のおもしろさを
確かめちゃうみたいなところがあって。
ぼくにとってはやっぱり
『MOTHER』が王道なんですよね。
それは、決して、やった順番だけじゃないっていう
気がするんですよね。
── ああ、なるほど。
太田 もちろん、はじめてプレイしたっていう
新鮮さもあるんだろうけど、
それを抜きにして考えても、
やっぱり『MOTHER』なんですよね。
なんていうか、すごくメジャーな
感じがするんですよ。ぼくにとって。
当時、ゲームって、いまほど
メジャーじゃなかったんですけど、
そんななかにあって、
一般の人が楽しめる雰囲気があったんです。
すごく売れていた『ドラクエ』よりも、
ぼくは『MOTHER』に
メジャーな雰囲気を感じたんですよね。
糸井 ああ、その「メジャーな感じ」は
ずっと意識してたんです。
ただ、当時はその「メジャーな感じ」が
ちょっといやがられた面もあるんだよね。
── いやがられた?
糸井 うん。つまり、自然食の店で、売場に
パッケージがすごくメジャーなものがあると、
心がこもってないように見えるんですよ。
太田 はいはい(笑)。
糸井 「吉田さんのつくった納豆」とか
筆文字で書いてあると、本物臭いわけですよね。
だけど、きちんとしたデザインで
キレイにパッケージすると、
「これは違う」っていうふうにとられちゃう。
まあ、納豆でそれをやるのは
単純に間違っているんだけど、
ゲームではきちんとやりたかったんだよね。
「ゲームだから冒険っぽい雰囲気で」
っていうのはウソだと思ってたんですよ。
── それを目にしたゲームファンが
違和感を持つかもしれないけれども。
糸井 うん。だから、太田さんがコントやるとき、
あるいはしゃべるときでもそうなんだけど、
お客さんにはわからないことを
こっそり入れたがるじゃないですか。
太田 あははははは。
糸井 あれに近いんですよ。
セオリーとしては
違和感をもたれることはわかってる。
けど、自分のなかにあるものだから。
たけしさんも初期のころに
ずいぶんやってましたよね。
テレビ用に微調整してから出すっていうのが
ウソくさく感じるからなんですよね。
太田 そうですねえ。
糸井 あの、反対が出るんですよ、
必ず、そういうことをやると。
だって、変だからね。だから、
小さいケンカをしょっちゅう売ってるんです。
『MOTHER』のパッケージなんて
まさにそうですよ。
でもそれはぼくのなかにあるものだからね。
チョコレートのパッケージと
おんなじように包みたかったんです。
でも、だからこそ、
太田夫妻のところに届いたわけですよ。
太田 そうですね。

(続きます!)


第5回
オーソドックス



太田 ゲームボーイアドバンスって、
こないだ初めて買って、
うちのカミサンがやってんのを
ちょっと見てたんですけど。
ぼくは最新のゲームに、ちょっと、
「違うんだよな」って感じてたんで、
ゲームボーイアドバンスの画面を見て、
「あ、これこれ」っていう感じがあったんです。
だから、『MOTHER』が
ゲームボーイアドバンスのあの画面で
できるのは、すごくいいなあと思う。
── 2Dの、ドット絵の画面。
糸井 おれたちのゲーム観って、
あのドット絵の世界なんだよね。
「遅れてる」っていう人が
いるかもしれないけど、
「あと」「さき」の問題じゃないよね。
太田 あー、そうですね。
糸井 いま、映画の世界でも、
なんでもかんでも
コンピューターグラフィックス
使うのはどうか、っていう
風潮があるじゃないですか。
太田 ああ、はいはい。
糸井 『マトリックス』なんかもそうなんだけど、
すごいすごいって言ってるけど、
じつはCGじゃなくて
ワイヤーアクションのほうに
目が行ってたりするんですよね。
いっそ着グルミのほうが有効だったり。
太田 そう思いますねえ。
── つまり、ゲームファンとしての旬な時代に
ドット絵のゲームに親しんでいたから
という個人的な思い入れではなくて、
ゲームという娯楽の軸を
何処がいちばん最適かな、
って合わせていくと、
じつは「2Dのドット絵」なんじゃないか
っていうことですよね。
糸井 うん。マンガもそうじゃないですか。
どんどんリアルになってったら、
それはもうマンガじゃなくて、
写真物語になっちゃうじゃないですか。
ゲームもね、なんか、写真が立体で動く、
みたいな方向にどんどん行くと、
「もう俳優連れてこいよ」ってなるでしょう?
ぼくは個人的には、
ゲームに「声の吹き替え」が出始めたとき、
やっちゃいけないことやってるなーって思った。
でも、やりたくなる気持ちはわかる。
わかるし、実際、自分でも、
やりたくなるときがあった。
『MOTHER2』にコーヒータイムって
入れたんだけど、あれなんかは、
「さて、みなさん……」っていう
ナレーションにあたるような部分を
ゲームに入れたら、
そうとう自由にできちゃうぞと思って
組み入れてみたんだ。
だから、それと同じように、
「声を入れたらあれもこれもできるぞ」って
思いついた人がいるから、
みんなやってるわけなんだよね。
── ゲームを、ずっとつくってらっしゃる人に
お話をうかがってみると、そういう感じです。
好みとしては、やっぱり、
「2Dのころがよかったなあ」みたいなことを
おっしゃる人も多いんですけど、
いざ機材がよくなって、
いままでできなかったことが
できるようになると、
やっぱり「つくってみたい!」っていう
欲のほうが勝ってしまうみたいで。
もちろんそれは
悪いことではないとは思いますけど。
やっぱり、できることが広がる喜びで、
どんどん進んでしまうみたいな感じで。
糸井 そうやって原子爆弾ができてくんだよね。
太田 (苦笑)
糸井 ある一線を超えてしまう科学者と
同じことなんだよね。
ゲームを進化させる意義を
考える以前の問題として、
「ここで止めとこう」ができないんだよね。
太田 でも、そうじゃない方向にも
進化はできると思うんですよね。
たとえば映画だと、いまは
SFX(特殊視覚効果)が入ってきて、
要するに、SFXを見せるために
いちばんそれに合った映画をつくるっていう
「技術が先で作品があと」みたいな
傾向があると思うんです。
うまい人って、そこであえて、
SFXをSFXじゃないように見せたり、
すごく地味な部分に使ったりっていう、
贅沢な使いかたをするじゃないですか。
いまはまだそこまでの余裕がないから
SFXを見せる方向に行ってるものが
多いんだと思うんですよね。
……まあ、進化って、そういうふうにして
進んでいくものかもしれないですけど。
糸井 まさにそうですね。
だいたいメディアが進化するときって、
やっぱり、進化したハードに合わせて、
コンテンツを作るんですよね。
典型的な例を挙げると、
カラーテレビが出始めたときに、
画面に映る場所のあらゆるところに
花が置いてあったんですよ。
対談でも何でも、花を置くわけですよ。
「カラーでしょう?」って。
太田 へええーー。
糸井 ぼくはそこで「必要ないものは置くな」
っていう気持ちになるタイプで。
たとえば『MOTHER2』のときもそう。
当時、スーパーファミコンになって
技術が進化して、
画面の絵を回転させたり、
拡大縮小したりできるようになったから、
みんなしてそれを
「どういうふうにゲームに組み込もうか?」
って考えてたんですよ。
でもぼくは「どうでもいいじゃん」って
思ってましたから。
── 当時のソフトは意味なくグルグル回ってたり、
ぎゅんぎゅん拡大縮小したりしてましたねえ。
糸井 そうそう。
もちろん排除したわけじゃないし、
『MOTHER2』でも
どっかに使ったかもしれないけど、
せいぜいそのくらいの、
「必要なら」っていう意識ですよね。
その代わり、モノクロを入れてみたりっていう
一見、退化したように見せて豊かさを出す
みたいなことはわざとやりますねえ。
その意味でいうと、ひらがなを使い続けたりね。
太田 ああ!
── ええっと、当時って漢字は──。
糸井 漢字、使えたんですよ。スーパーファミコンは。
で、よそがみんな、「使えるぞ」って感じで
喜んで使い始めてたから、けっこうしつこく
「耳からの言葉だからあえて漢字は使わない」
って言ってひらがなでつくったんだ。
ちょっとしたところには漢字も使ったけどね。
── 意固地になって、というよりも、
あくまで必然性を追求して、という。
糸井 そうですね。
「花を置けるんだから置けばいいじゃないか」
っていうのが、ふつうの考えかたですよね。
それを頑固に拒否するわけじゃないんだよ。
ただね、「なんでそれをやるんだっけな?」
っていうところに戻りたくなるんですよね。
あの、爆笑問題にもそういうところがあると
僕は思っていて。
爆笑問題って、かたちとして、
いっつもボケとツッコミじゃないですか。
太田 はい。
糸井 だけど、ボケとツッコミって分け方自体は、
ほんとは、見てる人が
都合で分類しただけなんですよね。
で、そこを両方の意味でわかってて、
かつ、メディアそのものに疑いがあって、
それでもふつうに
古いかたちに見せることをやってるというのは、
体質としてぼくは共感するんですよ。
太田 はい。だから、お笑いだと、
まあ、よく、いままでのお笑いと違う、
「新しい笑い」みたいなかたちが
あったりするじゃないですか。
簡単にいうと、ちょっとこう、
シュールだったり、実験的だったり。
そういうのをまあ観たりすると、
ほんとに「つまんないなあ」って
思うことが多いんです。
糸井 そこに行っちゃったことは、ないの?
太田 それはね、ないというか、
もともとあんまりないんですよ。
ぼくにその志向がないんですよね。
糸井 ああ、それ、ぼくが前の取材
言ったこととおんなじだ(笑)。
「オーソドックスが好き」なんですよね。
太田 あー、そうですね。
── 「白いご飯が好き」。
糸井 「白いご飯が好き」なんですよ(笑)。
太田 そうなんですよね。
だから、なんか、「新しいかたち」とか、
そういうことって、なんか、
ほんとにすごいものは別として、
多くは、「小手先のゴマカシ」みたいに
感じてしまうんですよね。
お芝居でもコントでもなんでも、
妙に奇をてらって、っていうのは、
「それ、新しいって言うの?」
っていう感じがするんですよ。
じつは簡単なだけだったり、
単純に、脅かすアイデアだったり。
で、そういうふうにしてしか
変われないんだとすると、
やっぱり、先はないだろうと思うし。
── なるほど。
太田 やっぱり、オーソドックスなかたちのなかで、
なおかつ新しいことをするっていうか、
ちゃんと考えて中身を新しくするほうが
ぼくは偉いと思うんですよ。
だから、まあ、僕ら自身も、
そういうものを目指すっていうかね。
中身でなんとか新しくしていこうよ、
っていうところでしょうね。
だから、ゲームも、やっぱり
そういうもののほうが好きですし。
いろんなジャンルのなかで
自分の好きなものを並べてみても、
やっぱりそういうものが多いんですね。

(続きます!)


第6回
爆笑問題のおもしろさの核



糸井 いま思ったけど、爆笑問題って、
ふたりの落語家なんだね。
太田 あああー。
糸井 漫才っていうかたちかと思ってたけど、
体質の違う落語家をふたり舞台に置くと、
ああなるんじゃないかっていうふうに思う。
これ、いま思いついたんだから、
無理のある話なのかもしれないんだけど、
ひとりづつ落語家ですよね。
ひとり喋りしている人たちが、
いっしょにたまたまいて、
「やじさんきたさん」やってるみたいな。
田中さんって、じつは
ひとり喋りできるんだよね。
太田 ええ……ん?
いや、そうっすか?
ええっ、どーですかねえ?
── (笑)
糸井 だって、やってるじゃないですか、実際(笑)。
太田 ま、そうですね(笑)。
糸井 あの、毒蝮三太夫さんと立川談志さんが、
一時期、組んでたというか、
ふたりで連れだって同じテレビに出たり
ラジオに出たりってしてた時代があって。
あれに近いような感じがするなあ。
太田 うん、まあ、でも、我々は、
そういう意味では、なんていうか、
ふつうの漫才じゃないかもしれないですね。
っていうのは、僕ら、
誰に習ったわけでもないんですよ、漫才って。
だから、「漫才なのかな?」って
思いつつやってる(笑)。
たぶん、伝統的な漫才ではないんですよね。
やすしさんときよしさんの漫才なんか観てると、
「ああ!」って思いますもんね。
ほんっとにうまくできてるし、
バッチリはまってるんですよ、
ふたりの役割っていうのが。
そういう意味で言うと、ぼくらのは
ちゃんとした漫才じゃないんですよね。
近代漫才っていわれているものを観ると、
それこそボケとツッコミっていうのが
ちゃんとかみ合ってるんですよね。
台本もうまーくできてて。
ぼくらのは、ただ単に、
ネタをしゃべってるだけですから(笑)。
その意味では、やっぱり、
漫才師じゃない部分はあると思いますよ。
糸井 ホン(台本)は、やるまえに
できてるんですよね、基本的に。
太田 そうですね。
糸井 田中さんの役割っていうのは、
僕はプレーヤー型の漫才師、
落語家だと思うんだけど。
つまり、アドリブとは関係ない次元で、
古典落語って、最初に
ぜんぶおぼえるわけじゃないですか。
おぼえて、それの自分の味つけをやるのが
落語家の仕事ですよね。
田中さんはそれをやってると思うんです。
そういう意味で、
田中さんは落語家に見えるんですよね。
一方、太田さんも、
やってることは落語ですよね。
あの、多事争論のマネするじゃないですか。
あれなんて、完全に落語ですよね。
談志さんがやろうとしたことの
謙虚版ですよね?
太田 あははははは。
糸井 たとえば談志さんは、
社会風刺っていうものの扱いが
あの人の個性として
定着していったと思うんですけど。
爆笑問題がおもしろいのは、
時事ネタを入れてるフリをして、
もうひとつ引いたところで、
じつは笑いをつくっている。
時事ネタっぽい単語を
入れてるだけなんですよ、意識的に。
ほんとうにやっているのは、
風刺じゃなく、笑いで。
あれ、古い価値観を持った人が見ると、
「なんにも風刺をしてない」って
怒ると思うんですけど、
そりゃそうだと思う(笑)。
そこが、じつはものすごく大事なことで、
爆笑問題をぼくが信用している
いちばんの核もそこなんですよ。
つまり、「ほんとはオレはわかってない」
っていう構図をとっているんです。
あれはね、できないんですよ。
ある時期できたとしても、
それを守り続けることがむつかしいんです。
だって、「フセイン」って言葉を入れても
あれ、入れてるだけだからね。
太田 (笑)
糸井 最初はそれができるかもしれない。
ところが、偉くなっちゃうと、
妙に現実とジョイントさせるように
なっちゃうんですよ。
「正しいことを言うオレ」
みたいなことになっちゃうんですよ。
そうするとね、たいてい、
たんなるコメンテーターになっちゃう。
それを太田さんは絶対やらないですよね。
「オレは何もわかってないのに言ってる」
ってかたちで必ずまとめてあるんですよ。
── だからこそ、逆に知性を感じるという。
糸井 そうなんですよ。要するに、
「つまんないことは言わない」ってことを、
絶対に守ってるんですよ。
でも──これ、太田さんに言わせちゃ
いけないことかもしれないけど──
あれ、苦労するんですよね、じつは。
太田 うん、そうですね。
糸井 ねえ。へたすると、
もっと教えてくださいとか
いうことにもなるしね。
太田 あの、それは、ほんとに、
自分で言いたくなっちゃうときがある(笑)。
糸井 (笑)
太田 それはやっぱりね、
気をつけようと思いつつやってますよね。
── 太田さん、文章をお書きになるときは、
そっちにちょっと振れたりしますよね?
太田 そうですね。だから、なるべくほんとに、
「目的は笑い」っていうだけにしとけば、
そこになにもね、
メッセージを込める必要はないので。
っていうか、
メッセージはジャマになりますからね。
だけど、なんか、たまに、
その、自分の気分によっては、
メッセージを伝えたく
なっちゃってるときがあったり(笑)。
そうすると、「あー、いかんな」って思ったり、
っていうことは、ありますね。
糸井 だから、端から見てると、
わかる範囲で、
メッセージが入っちゃうのは
構わないと思うんですよね。
「タマちゃんをどう扱うのか」くらいの
どっちに転んでもなんにもなんないことは(笑)。
それは、たぶん、入れられるし、
入れても問題ないんですよね。
だけど、たぶん太田さんは、
書くものも含めて、
危ないことを絶対にしてないんですよ。
ギリギリでメッセージにはしてないですよ。
タマちゃん的なことも、白装束のことも。
「ここまで!」とか、
絶対大丈夫な範囲のところは、
やっちゃってますよね。
太田 そうですね。
糸井 そのへんはすごく共感するんです。
ぼくもそれは、ものすごく気をつけてる。
「わかんないことは言わない」
っていうだけでも、守り続けるのは
人間としてむつかしいんです。
太田 はい。
── おふたりが共通して、
そういうメッセージを出口のところで
キュッと締めるのって、
リスクヘッジじゃなくて、
クオリティーを高めるためですよね。
糸井 そう。わかんないこと言うと、
自分がへんなとこ連れてかれるし、
間違った人になるってわかるから。
それ、苦労いるよね、正直言ってね。
太田 そうですね。
糸井 あんだけ単語でちりばめてるとね。
── スリリングな話ですねえ。
糸井 あれが逆に「田中角栄」くらいの人だと
扱うときにありがたいんだよ。
どっちに転んでも、
よくわかんないっていうことが遊べるんです。
ところが、いまって、
政治家にしても原寸大すぎるんですよ。
だから、つい、触りたくなくなっちゃう。
「鈴木宗男」とかは遊べたけど、
あれは顔で助かってたよねー。
あれで顔が「亀井静香」だったら
かなりきつかったでしょ(笑)。
太田 そうですね(笑)。

(続きます!)


第7回
現実のなかで、つくること



糸井 そういえば、太田さんの
事務所の名前(タイタン)って、
カート・ヴォネガット・ジュニアの
『タイタンの妖女』って小説から
引用してるんですよね。
ぼくもあれがそうとう好きで、
まえに会ったときその話聞いて
かなりうれしかったんだけど、
最近、ヴォネガットみたいに
おもしろがっているものって、
なにかありますか?
太田 そうですね、いま、なかなか、
う〜ん……ヴォネガットほどのものは、
その後出会ってないですねえ。
なにかあります?
糸井 ひょっとしたら太田さんが
もう少しあとに興味を持つかもしれないけど、
僕がいま、ヴォネガットに近い
おもしろさを感じてるのが、
経営書を書いてるドラッカーって人なんです。
ジャンルとしては
ぜんっぜん違うと思うんだけど、おもしろい。
太田 ああ、そうですか。
それはどういう?
糸井 あの、ヴォネガットって、
いわば、どれだけウソをつけるか、
現実と遠い話を現実に見せるか、
っていうことを書いていたわけだけど、
ドラッカーって、
現実のビジネスのことを書きながらも
ヴォネガットと同じおもしろさがあるんです。
それこそ、小説読むみたいに。
太田 はぁ〜、そうですか。
糸井 で、経営書ではあるけれど、
さっき太田さんの話に出てきた、
メッセージとかイデオロギーが
入り込んでいないんですよ。
「こう言ったほうがよく見えるかな?」
みたいな揺らぎがぜんぜんないんだよ。
現代の経営を論じていながら。
たぶん、太田さんも、いつか、
あっちに行くと思うな。
太田 そういう現実をテーマにしたものでいうと、
『福祉国家の挑戦』っていう
スウェーデンのことを
ふつうに紹介した本があったんです。
それが、なんか、SF小説みたいなんですよ。
糸井 ああ、そういうことです。
太田 あれはおもしろかった。
糸井 その感じなんですよ。
あの、たとえばビジネス書にしても、
半端なマーケティング知識から、
「こうしてこうするとこうなるよ」
ってことを書いてるのは
おもしろくないんですよ。
それよりは、やっぱり、
「なかなかそうなんないもんなんだよ」
ってことを、知り尽くした人が、
「どうやったらそうなるんだろう」
っていうのを、政治じゃなくて、
経営の面から現実的に考えていく
っていうほうがおもしろいんだよ。
たぶんそのスウェーデンの話でも、
バカがいるわけですよね、中心に。
で、「無理だよ」って言われるようなことを、
考えるわけですよね。そこなんだよ。
太田 はい(笑)。
糸井 でも、スウェーデンの福祉国家っていうのは、
失敗を含めておもしろそうだね(笑)。
太田 そうなんですよ。
現実なんだけど、現実の物語じゃないような。
なんか、ほんとにふつうの小説よりも、
スウェーデンって国自体のことを
淡々と語ってるだけでドラマティック、
みたいな感じで。かなりビックリしたんですよ。
たんに知識として仕入れようと思って
読み始めた本が、物語として
おもしろいってことに驚いたというか。
糸井 それの、あの、強力にデカい版が、
じつはアメリカという国の
成立なんだと思うんですよ。
だって、もともと先住民がいたところに
渡っていった人たちが入っていって、
法律とか、ルールとか、
そのバリエーションとかを
ああでもない、こうでもないって、
実験していったわけじゃないですか。
だから、アメリカの話って、
ぜんぶおもしろいんですよ。
あれ、大実験場なんですよ。大失敗もするし。
スウェーデンの話もそういうことでしょう?
太田 ええ。その本のなかでは、
スウェーデンっていう国自体が、
それこそ実験場のように書かれていて、
税金を上げて、福祉を充実させて、
理想をつくろうとしてるんだけど、
どっかにひずみが出てくるっていう。
老人たちが、みんな、
充実した老人ホームにいるんだけど、
異常に孤独だったり。
その老人ホームにいる看護婦さんが
老人をかわいそうに思って殺してしまったり。
糸井 善意で。
太田 善意で。
まあ、それがスウェーデンのすべてでは
ないにしても、そういう話って、
ほんと、SFのお話にでてくる国みたいで。
それが現実の話だっていうのが
ほんとにSFチックでしたね。
糸井 で、そっちがおもしろくなっていくと、
今度は逆に、SFでおもしろいものが
だんだんなくなっていくんだよね。
一生懸命つくった話が、
「つくれるよな」っていうふうに
見えてきちゃうんだよね。
太田 そうでしょうね。
── そうなると、ゼロから物語をつくったり、
まったくのSFをつくるということが
非常に難しいし、なにより、
つくっている本人がつくっていることに
むなしさを感じてしまうのではないかと
思うのですが。
糸井 そのへんはむつかしいですよね。
太田 そうですね。まったくのつくりものを、
ゼロからワーーッとつくって、
それがおもしろいっていうのは、
おそらくそうとう途方もないし、
すんごい想像力が必要だし、
たいへんなことだろうと思う。
けど、現実にあることを、
ぼくのなかで、ほんのちょっとズラすことで
十分おもしろいものはつくれるかな
っていう気持ちもあるんですよね。
糸井 あああ、なるほどね。
太田 その、ずらし方のセンスの問題で。
糸井 うんうん。
── たとえば、ゼロからつくらなくても、
1から9までが現実といっしょでも、
10コ目がトンでもないものだったら……。
太田 そうですね。
糸井 それは、だから、白いご飯の美味しさを
発見することに近いですよね。
白いご飯は、どこの家で食べても
美味しいわけじゃなくって、
美味しい白いご飯があるんだよね。
干物ひとつでも、美味しい干物と、
まずい干物ってあるじゃないですか。
で、干物は干物ってメニューだから、
人によっては、「ああ、干物ね」
って言うんだけど、
「食ってみろよ」って出したときに、
「ウワァ!」って言わせるっていう。
── それは、むつかしいですねえ。
なんというか、学びようがないというか。
ゼロからつくる方法っていうんなら、まだ、
メソッドとかつくれそうな気もするんですが。
「ちょっとズラす」とか、
「美味い干物を出す」とかっていうのは。
糸井 お客さんを必要としますよね。
ふつうに見えるものを、
ちゃんと味わってくれて、
しかもちゃんとその味をわかってくれる
お客さんを育てなきゃならないですよね。
太田 そうですよね。
糸井 そうだよ。
── ひとりで部屋のなかにいても……。
糸井 ひとりじゃ、できない。
だって、オレひとりで
「美味い美味い!」って言ってても、
しょうがないもん。
だから、ぼくにとっては
「ほぼ日」が大切なんだよ。
お客さんの声を聞いて、自分も育つっていう。

(続きます!)


第8回
おもしろくて、寝てしまった



糸井 太田さんが台本や原稿を書くのは
完全にひとりになってからですか?
太田 そうですね。
家に帰ってからとか、ま、あと移動中、
パソコンで書いてますけど。
だいたいひとりで書いてますね。
糸井 そんなふうに書いてて、
ネタが、くたびれてないのがすごいね。
太田 いやー、そんなこともないですよ(笑)。
ネタは、ほんとに、もうずいぶん前から、
なんか、枯れちゃったっていう意識があって。
その、もう、ほんっとに、
ちょっとずつ搾り出す、みたいな感じですね。
糸井 それは、あらゆる仕事、みんなそうだから。
ずーっと枯れてると思いながら、
みんな、やってるんですよ。
太田 うーん、そうなんですよね。
そうなんだろうなと思いながら
やってんですけど。
糸井 たとえば収録なんかで、
咄嗟に出てくる言葉っていうのは、
反射神経みたいなもんですよね。
じつは、台本を書いたりするよりも
あっちのほうが重要でしょう?
太田 そうですね。はい。
糸井 あっちのほうが、
作家としての仕事以上に、
錆びたらダメでしょうね。
それが錆びてないから、
まったく問題ないと思うけど。
太田 うん、それもね、なんか、なかなか(笑)。
糸井 太田さんの場合、テレビっていう場があるから
まずは、そのなかでやるっていうことを
基本にしてるわけですよね。しかも、
それがギャランティーになんないと困るわけで。
でも、しばらくすると、
ぜんぜん違うことを
やりたがるのかもしれないですよね。
いま、舞台っていうか、
劇場でやるコントみたいなのは
やってるんですか?
太田 2ヶ月に1回、
うちの事務所のライブがあるんですよ。
そこで10分ぐらいの漫才はやってます。
糸井 あ、やってるんだ?
昔、ライブを僕が見たときは、
やりたいシーンでやり過ぎてましたよね。
太田 ははははは、
糸井さんがいらしたのは、
たしか僕らの単独ライブですよね。
糸井 うん。あれは、ある意味、ひどかった(笑)。
その、つくってる分量が多すぎて、
お客がついていけないの。
太田 ははははは。
糸井 お客が疲れ果てちゃうんだよね。
あれ、やり過ぎだよ。あれは、異常(笑)。
太田 うーん、そうですねー(笑)。
糸井 もう、西武の松阪みたいでしたよね。
ヒジが痛かろうとびゅんびゅん投げて
球数多いんだけど完投、みたいな。
打たせて取れよ、って思うんだよね、
観てると(笑)。
太田 はははははは。
糸井 でも、ああいうのを一度やんないと、
ふつうのものがなんなのか、
わかんなくなるもんね。
太田 はい。
糸井 あれはすごかったなあ。
オレ、途中、寝たもん。
── どういうことですか(笑)。
糸井 おもしろいんだよ。もう、おもしろいんだよ。
でもね、量がすごいんだよ。
だから、レコードで言うとね、
あれは、ビートルズの
『サージェント・ペパーズ』なんですよ。
── はっはぁ〜、なるほど。
太田 (笑)
糸井 いいんだけど、ちょっと多いんだよ。
あのへんのアルバムって、
かけるのにちょっと躊躇するでしょ?
『アビー・ロード』とか、
『レット・イット・ビー』とか、
ケンカしてる時代の、いい加減なやつは、
意外にOKなんですよね。
だって、『サージェント・ペパーズ』をさ、
ちょっと聴いてみるか、なんて、
軽く思えないもん(笑)。
── 太田さんの自覚としてはどうなんでしょう?
太田 そうですねえ。
糸井さんがいらっしゃったのは
僕らの2期目のワンマン・ライブなんですよ。
だから、いっちばん、グワーーッっとなって、
ガンガンやる! みたいな時期で(笑)。
その一方で、まだ不安があるから、
あれも入れとけ、これも入れとけ、
みたいにしてやってましたからね。
だから……たしかにそうですね。
糸井 あはははははは。
でも、あれを見て、すいません、負けました、
って思ったのは間違いないから、
やってよかったのはたしかなんだよ(笑)。
いま、なにかやりたいっていうのは、
あるんですか?
太田 いまはやっぱり、う〜ん、そうですね、
コントですね、やっぱり。
糸井 ああ、いいですねえ。

(続きます!)


第9回
落語は最低限の教養である



糸井 太田さんも、そうとう落語を聞くと思うけど、
噺家でいうと、誰が好きなんですか?
太田 うーん、ま、談志さんは好きですけど、
やっぱり、円生ですかね、僕は。
糸井 なーるほどね。端正なほうにいくんだね。
太田 そうですね。キチッとした、なんか、うん。
糸井 文楽は、どうですか?
太田 いや、嫌いじゃないんですけど。
どっちかというと、
やっぱり円生が、僕のなかでは、
なんか、「あー、聞いた」っていう感じが。
糸井 ああ、なるほどねえ。
── すいません。何がなんだかわかりませんが。
糸井 わかるようになるといいんだけどねえ。
子どもとかふつうの学生とかが、
「あ、円生ですか!」ってなる社会だったら
いいんだけどねー。
── そう言わずに、
もうちょっとかみくだいてくださいよ。
糸井 円生は、入門という意味でもいいんです。
円生は、楷書なんです。あの、明朝体なんです。
── ……と、言われましても。
糸井 まあ、聞きなさい。教養だから。
ぼくも、子どものころは
円生がいちばん好きだったです。
なんといっても、女が色っぽいんですよね。
ちょっとね、エッチなんですよ、女が。
太田 そうですね。
糸井 で、それからいろいろ聞いたんだけど、
大人になると、けっきょく
ぼくは志ん朝さんに行ったんです。
太田 あああ、そうですか。
糸井 落語をぜんぜん知らないうちの奥さんは、
文楽が好きなんですよ。
聞いて、「キレイ」って言うんですよ。
あの、文楽と円生って、なんて言うんだろう、
誤字脱字があったときには、
反省するタイプなんですよ。
たぶん太田君も、その系統なんです。
うわぁ、字、間違えてたーって、
後悔するようなタイプなんですよ。
で、とくに円生さんっていうのは、
お客がいないところでも
落語ができるタイプなんですよ。
だから、孤独な人なんですよ、たぶん。
象徴的な話としては、落語家さんだけど、
マンションに住んでたんですよね。
中野区かなんかの、
ぜんぜん落語家のいないような場所の、
マンションで近代的な暮らしをしてた。
で、ドラマなんかにも、
おじいさんの役で、そのまま出たりして。
「どこ行くんだい?」なんつって、
あの口調のまんまでね。
つまり、近代を上手に取り入れて、
ひとりで芸が完成しちゃう人なんですよ。
で、太田さんがそれを好きだっていうのを聞くと、
ああ、なるほどな、って思うんです(笑)。
太田 (笑)
── ……あの、ちょっと、もしもーし。
糸井 で! 談志さんは、いわば、
エンサイクロペディアなんです!
── ああ、始まってしまった……。
糸井 談志さんは、ぜんっぶできて、
技術もぜんぶあって。
おまけに、自分のエンジンのスペックを
見せるようなことを、ときどきやる。つまり、
F1のエンジン積んだ落語とかをやるんですよ。
そうすると、お客が、談志さんのスピードに、
ついていかないときがあるんですよ。
しゃべり言葉なのに、
それを追っかけきれないんですよ。
ときどき談志さんはそうやって、
お客さんを振り落としてって、
「どうだ?」っていって笑って、
また、ダレた芸を混ぜていったりするんです。
だから、ものすごいんだけど、
隣に住むには困るんですよ。
で、これが円生さんだと、
隣に住んでみたくなるんです。
太田 はいはい(笑)。
糸井 それで、文楽さんっていうのは、
誤解されないように注意しながら言うけど、
それでも誤解されちゃうかもしれないけど、
うまくはなかった人が、
ほんっとに落語が好きで、愛して、
芸をずうっと磨いていったら、
こんなにキレイな玉ができましたよ、
みたいな人なんですよ。
太田 ははぁ〜。
糸井 で、「オレはもっとうまくないんだけど、
直しようがないから」っていって、
アメリカ大陸に移住しちゃったみたいな人が、
志ん生さんなんですよねぇ。ありゃ、移民ですよ。
太田 はははははははは。
糸井 で、そこに「志ん生さん」という
豊かな土壌があったわけです。
そこで、ぜんぶを知っていながら、
いちばん居心地がいい場所でしっかり苦労しよう
って決めたのが、志ん朝さんなんです。
太田 はいはいはい、そうですね。
糸井 志ん朝さんが、腰を折って、
大きいホールで出てきたとき、
オレ、泣きそうになったもん。
歌舞伎よりキレイだった。
もうね、後光が差しますよ。
太田 そうですねえ。
ぼくは、落語家の好みって、
ほんっとにぐるぐる変わるんですけど。
あの……あ、落語の話でいいんですか?
糸井 ぞんぶんにやりましょう!
── ぞんぶんにやってください。

(続きます!)



最終回
国語、算数、理科、社会、「落語」。



糸井 じゃあ、太田さんの落語遍歴を。
太田 はい(笑)。あの、まず、
うちのオヤジが落語好きだったんです。
で、オヤジは「志ん朝だ」って言う人なんです。
「談志なんかダメだ!」っていう感じで。
で、まあ、オヤジに連れられて寄席に行って、
観るわけですけど、やっぱり影響があるので
「ああ、志ん朝師匠だ」って感じるんです。
いま思っても、やっぱり志ん朝って、
子どもからしてもこう、
キチッと観られるじゃないですか。
だから、志ん朝師匠はずっと好きで。
そこから自分でさかのぼっていったんですね。
やっぱり志ん生師匠にハマったり。
糸井 志ん生さんには、
1回ドップリいきますよねえ。
たけしさんのしゃべりかたって、
完全に志ん生さんの遺伝子だもんね。
何気ないあいづちなんかも、志ん生さんだよ。
太田 そうですね。だから、なんか、
そのへんを中心に、
好みはぐるぐる変わっていくんですね。
糸井 それでいま、円生さんって気分は、わかるわー。
でも、そういうことを言える落語家さんが、
だんだんいなくなるじゃないですか。
だから、寄席とか、ほんとはもっと行って、
もっとおもしろがりたいんだけど、
観たり語ったりすることが
財産になるような落語家さんっていうのが、
存在すること自体が難しくなってますよね。
あの、たとえば、
金馬っていう人を、どう扱うんですか?
太田 ああ、どうだろう。
僕の好みのなかでは、んー、ちょっとこう、
本道にはいない人なんですよ。いまのところ。
まあ、今後はわかんないですけども。
糸井 僕はね、子どものときに聞いて、
大好きだったんです。
で、あるとき、「あ、違う種類の人だな」
って思ったことがあった。
ところが、そのあとにもう1回、
「いいんだ、金馬って」って思えた。
あの人って、自分のなかでの位置づけが
しょっちゅう変わるんですよ。
まあ、落語家の好みって
ぼくはわりと変わっていくんだけど。
太田 ああ、ぼくも好みは変わりますね。
糸井 そもそも金馬さんっていうのは、
あまり寄席に出ない人なんですよね。
で、声の使いかたがものすごくうまくて、
最終的に人物の描き分けの部分へ行くんです。
その点、志ん朝さんは……ついてきてる?
── ちんぷんかんぷんです。
糸井 教養がないなあ(笑)。
── もうしわけございませんが、
たとえば、入門編に1枚、
CDかなんかを挙げてもらうというのは
どうでしょうか?
糸井 あ、入門。入門ね。
いろいろなことを言う人がいるけど、
ぼく個人としては、
人に落語を勧めるときは
文楽の『寝床』を聞かせるんですよ。
これは入門としては最高だと思う。
ほかの人はほかのものを薦めると思いますよ。
「CDなんてとんでもない!」って言う人も
落語ファンには多いし。千差万別だから。
── 太田さんは、1枚挙げるとしたらなんですか?
太田 うーん、難しいなぁ。
ええと、そうですねえ……。
糸井 知らない人に薦めるわけだからね。
いきなり『鰍沢(かじかざわ)』とか
聞かせても、「つまんない」って
言われそうだしねえ。「怖い話じゃん」って。
太田 そうですね。ただやっぱり、落語って、
まったく落語を知らない人は、
たぶん、「笑わしてくれる話なんだ」って
単純に思ってるじゃないですか。
でも、じつは落語って、
すべての気持ちがあるんですよね。
笑いたい人も、泣きたい人も受け入れる。
だから、誰にでもお勧めできる
娯楽だと思うんですよね。
だって、「落語好きなんです」っていう人は
いろんな分野にいるじゃないですか。
だから、ほんとに、いろんなタイプのものが
そろってるんですよ。
── なるほど。
太田 だから、そういう意味では、
それこそ『鰍沢』なんて、
ぜんぜん笑える話じゃないけど、
楽しめる人は、最初からでも
楽しめると思うんですよね。
怖い話ですけど。
だからぼくは、逆にそういうものを
薦めてみたい気もしますね。
たとえば、談志師匠のやる『らくだ』とか。
あれも怖いんですけど(笑)。
糸井 怖いよねー(笑)。
太田 うん。でも、そういうのを、
いきなり聞いてみるっていうのも、
意外でいいんじゃないかと思うんですよね。
「あ、落語って、こんなのもありか」っていう。
糸井 ああ、なるほど、『らくだ』ねー。
『らくだ』かあ。うん。
── 初心者に『らくだ』は共感できますか。
糸井 いいと思いますよ。
つまり、『らくだ』は、
松田優作みたいなものなんです。
── かんべんしてください。
糸井 円生さんは、入門にもいいですね。
太田 そうですね。
── 素朴な疑問ですけど、本来、
いろんな人にお勧めできる娯楽のはずなのに
テレビとかにはあんまり登場しないですね。
糸井 う〜ん、これはまた、
ぼく個人の意見なんだけど、落語ってね、
音だけで聞くほうがよかったりするんだよ。
もちろん映像といっしょに味わうべきだ
っていう意見もあるんだけど。
そのへんは、どう?
太田 ああ、ぼくも音のほうがいいと思いますね。
糸井 うん。たとえば扇子一本でね、
蕎麦をすするところから、ノックする音から、
ぜんぶ演じ切るのが落語だ、とか言うけど、
ぼくの意見としては、ほんとにおもしろいのは
やっぱりテキストなんですよ。
だから、やっぱり目より耳なんです。
と、ぼくは思う。これ、特殊な意見だと
思ってくれてもかまわないけど。
太田 難しいですよね。ただ、そうっすね、
あの、落語って、ぼくが音で聞いちゃったから
そう思うのかもしれないですけど、
顔とかね、仕草とか、そういうのが、
ちょっと邪魔に感じるときがあるんですよ。
糸井 (パンと手を叩く)そうなんです。
── さっきから仕草が落語めいてきてますね。
糸井 つまり、「おや、どうしたんだい?」
っていうような、ちょっとこう鼻にかかった、
キレイなおかみさんを演じてる
声なんかを聞いてると、十分なんですよね。
太田 そう。音で聞いてると、
動きとか仕草が、要らないっていうか。
糸井 そうそう。
ああ、こういう話ができてうれしいなあ。
若い人とかに、ぜひ読んでほしい。
あ、そうか。『MOTHER』をプレイして
おもしろく感じてくれた人から
「つぎにどのゲームをやればいいですか?」
って質問されたら、
「落語」って答えればいいんだ。
太田 (笑)
糸井 いっそ、学校でも教えてほしいですね。
国語、算数、理科、社会、「落語」。
大人はぜひ、CDを大人買いしてもらって。
談志さんのCDは、全部持ってます?
太田 そうですね。たぶん。
糸井 志ん朝さんのも、ダダーッと出ましたよね。
あれ、そろえました?
太田 はい、持ってます。
糸井 あれね、オレ、後悔してるんだけど、
CDにクーポン券がついてるんだよ。
「いろはにほへと」ってクーポン券集めると、
なんか、特典CDがもらえたんだよ……。
── ええと、
本日はどうもありがとうございました!
太田 ありがとうございました。
糸井 ところが、オレ、ぜんぶ集めたのに、
応募しないで、期限が来ちゃって……。

(おわり)