アートとマーケの幸福な結婚。
ポストペットの八谷さんと、
彼の船出。

第2回 八谷さんはどういう人なの?

ポストペットのとポケットボードの
生みの親たちが集まってくださり、
まずはそれぞれ「ポスペ」「ポケボ」を
つくった経緯を、darlingがきくことになりました。
(もちろん今回のものづくりにも話が移るのですが、
 ここ十数回は、ポストペットができるまでについて)

↑このかたは、ポスペ企画者の八谷和彦さんです。
高校時に器械体操でインターハイ出てるし、
九州芸術工科大学卒業後には
個人TV放送局ユニットをつくってるし、
コンサルティング会社勤務を経ているし、
それからあとはいろいろつくってるし・・・って、
このままじゃどういう感じか、わからないでしょ?
そこに触れているのが、今日からのお話なのです。
八谷さんは、どうして、何を、どうやってつくるのか?

糸井 せっかくだから今回の対談は、
「八谷さん祭り」にしない?
流れとして、八谷さんはなぜこういう
ユーザーインターフェイスに絡んだことを
やりつづけているのか?をまずききたいんです。

ほぼ日にもたまに登場しているけど、
「八谷さんって何?」というのは、
今までポスペに興味のなかったひとは
知らなかったりするじゃないですか。
で、「このひとは何なんだろう?」から
さかのぼろうと思うんですよ。
何でこのひとはこうなって
今はこんなものをつくろうとしているのか、
そのおさらいからはじめたいんですよ。

まず、前提として、ぼくの知ってる八谷さんは、
「ポスペをつくったひと」の前があるんですよね。
「視聴覚交換マシン」をつくったひとという。

これが視聴覚交換マシン。
 お互いの見ているものを交換する装置。
他人の視点でしかものが見えなくなってしまい、
相手の立場に強制的に立たされてしまう。
アイデンティティの境界を
曖昧にすることを目的として制作された作品。
さまざまな場所で公開されているが
その度に改良を重ねている。
ただし最初に決められたスペック
「装着したままキスやセックスを可能にする」
というのは遵守されている。
93マルチメディアグランプリ展示部門奨励賞、
96アルスエレクトロニカ招待作品。
(写真:黒川未来夫) )
ちなみに、この紹介文や写真は、
八谷さんのホームページから抜粋いたしました。
http://www.petworks.co.jp/~hachiya/
こちらで、八谷和彦さんのアートワークが見られます。


八谷 NHKでしたよね。
糸井 NHKではじめてお会いした。
視覚を交換するマシンなんですよ。
相手の視線が自分のかけている
メガネのモニターに映っているというマシンですね。
あれつくっていたときにはまだ
ポストペットはつくられていなかったんですか?
八谷 はい、まだ、かげもかたちも。
糸井 かげもかたちもですか!
八谷 あれが一応最初の自分の作品。
糸井 思えば、鈴木慶一くんの番組だったんだよ。
慶一くんが司会している番組に
ぼくが呼ばれて行ったら・・・。
八谷 たぶん2本撮りかなにかで。
糸井 あ、じゃあ番組でぼくと八谷さんは
からんでないんだ。からんだ気がしてた。
八谷 からんでないですね。
糸井 ぼく、あのメガネかけさせてもらったもん。
すっごく気持ち悪くて、世界観変わりますよね。
あれをつくったあたりの
八谷さんが何をしているひとで、
なぜあれに至ったかを、語ってくれる?
八谷 一応今は本職は美術作家でやってるんですけど。
なんであの手のものをつくるか、って言うと、
それは、絵とか彫刻で
ひとを感動させられる自信がないからです。
自分がすごい天才だったら、
きっと、絵を描いたり詩を書いたり
彫刻をやっているんだろうけど、
そうじゃないというのはわかってて。
でも、それとは別に自分の得意なところも
どこかにはあるだろう、とも思ってて。

誰しも興味があって、なおかつ
とりあえずやってみたくなるものを
つくるためには、と考えて、
「みんな自分にはとりあえず興味があるだろうな」
と思っていて。
その前にぼくはSMTVっていうのをやっていました。

SMが映るわけじゃないんですけど、
テレビの海賊放送みたいなものなんです。
どういうものかというと、
トランスミッターという
テレビの電波を飛ばす機械があって、
それを使って電波を飛ばして・・・。
ただ、海賊放送とは言っても、
NHKの電波を阻害するみたいなことはやっていなくて、
例えばハチ公のまわりで電波を出すと、
ハチ公まわり半径200メーターくらいのひとは、見れる、とか。
糸井 線を、のばせばのばせる程度の範囲で
テレビ放送ができますよ、ということ?
八谷 要するに、オンエアしているひとと、
テレビ見ているひとくらいが、同じ場所で
やっている、くらいの規模で。
糸井 作品だったんですか?
それとも会社とかメディアとかあったんですか?
八谷 それは、ほぼ日に1番近いというか・・・ミニコミですよね。
文章書いたりとかじゃないんだけれど。
やっぱりぼくもひとに興味があって、
ミュージシャンとか漫画家さんとか、
そういうひとたちにインタビューに行って
ビデオ撮って、松尾スズキさんとか伊藤ガビンさんとか。
お部屋や仕事場にあがりこんで。
ビデオって、そのときにはみんな持ってて
撮れるようにもなっていたから。

テレビとかを見ててもあんまりおもしろいとか
思わなかったから、当時。
だったら自分が見たいテレビ番組をつくろうと思って、
ビデオカメラ買ってそのひとの家に行って、
酒でも飲みながら話なんかして。
1時間くらいきいたのを15分くらいにまとめて、
15分ずつ4本で1時間の番組をつくって、
日にち決めてチラシまいて、オンエアする。
それをやってたんです。
糸井 それを現代アートとしてやってたの?
八谷 いや、それは全然アートとは思ってなくて。
糸井 仕事だったの?
八谷 道楽ですね。
糸井 仕事?道楽?アート?ぜんぶ違うね。
八谷 仕事はぼくはまだその当時は
コンサルティングの会社にいたんで。
糸井 そのときはまだ勤め人だったんだ?
八谷 勤め人でした。

2000-04-05-WED

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