アートとマーケの幸福な結婚。
ポストペットの八谷さんと、
彼の船出。

第17回 思いどおりにいかないことについて



ハダカの情報量。
世田谷美術館「デ・ジェンダリズム」出品作品。
半円形の部屋の中に2つの個室が作られ、
観客はそのなかに入るとき、
着衣のままで入るか、それとも
全部服を脱いではいるか選択を迫られる。
服を脱いだ観客にだけ特製のビューワー
「Jagarandi」が与えられ、
これを通すと別の部屋にいる相手の身体が
赤外線によって光った状態で
確認することが出来る。
ただし着衣の状態では何も見えず、
ただの真っ暗な部屋として認識される。
2つの部屋の間のスクリーンは伸縮し、
望めば相手の身体に触ることもできる。
「デ・ジェンダリズム」のテーマに合わせ、
観客を安全地帯からパフォーマの位置に
誘導するための作品。 (写真:黒川未来夫)
↑説明文&写真は、
八谷さんのホームページから抜粋です。


視聴覚交換マシンが予想外の感覚を生み出すように、
また、この作品(↑)がパフォーマであることを
要求するように、つくったものが現実に生み出す、
思ってもみないような効果について、
今回はしゃべってもらっております。

真鍋 わたしコンピューターマックから入ったんで。
自分の思いどおりにならないのが当然でした。
八谷 それは、壊れても当たり前っていう。
機嫌みたいなのがあるんですよね。
増田 いとおしくなってきたりするんですよね。
糸井 そういうひとたちだったのか、やっぱり。
真鍋 それと同じで、電子ペットでも、
自分の思い通りになるかと思ったら
大間違いっていう。
糸井 ナックルボールっていう野球の変化球があって、
風向きとか何とかで、
ピッチャーも予測できないんですよ。
他の変化球って、軌跡が
ある程度予測できるんですよ。
非常に数学的な曲線なんです。
ナックルボールって、何かが起こるんです。
何かが変なんです。
それがね、変化球としては最高ですよね。
八谷 パルプンテだ。
真鍋 (笑)
糸井 そうそう、パルプンテ。
これ、共通に会話できちゃうのがすごいな。
考えてみたら、視聴覚交換マシンだって
パルプンテですよね。
プログラムしたときには数字的には
こういうやりとりなんだけど、
やってみたらわからなかったっていうのは、

・・・まあパルプンテに関してはわかりますよね。
乱数の要素を混ぜているだけだから。
だけど、ほんとうにおもしろいのは、
自分にもわからないものですよね。
一緒に答えを考える、考えること自体を楽しむ、
というのは、なかなかみんなに理解されない。
特に、それは日本の農耕の歴史が
そうさせているんだと思うけど。
八谷 何か、でも、ポストペットも
よくわかってない部分が
自分たちでもありますね。
真鍋 視聴覚交換マシンを
はじめてつけたときのような気持ちがあって。
糸井 前にここに来たとき、
ほんとにクマがメール持ってきたとき
嬉しかったって言ってたよね?
八谷 びっくりしましたよ、「ほんとかこれ?」って。
真鍋 1番最初にそれを見たのは、
幸喜くんのいた会社で、
こっちのPCとこっちのPCって
つなぎあうようなところで。
こっちからこっちに送ったら
「わー、行ったー、すごいすごい」
やったーってよろこんでたんですけど。

家に持ってかえってテストで
それやってみるねって言って
やってみたんです。
それで八谷くんと電話しながら
メール出してみたら、もうびっくり!
八谷 さっきまでメールソフトのなかに
ちっちゃい、かわいがる対象がいたのに、
メール出すと部屋にもう誰もいない。
部屋だけ映ってて。
「うっわー、さみしい!さみしくて、いい!」
って。
真鍋 (笑)
会社ではみんなでわいわいってやってて、
送ったさきに手を振って、向こうも
「あ、来た来た」とかやってるじゃないですか。
ほんとに。
糸井 糸電話もそうだけど、もしもし、ってやって、
きこえてきたときに、思わず相手を見るじゃん。
あれすごいよね。
結局生理に届いたときに、
脳だけで生きていると思っていた自分が、
生理と脳両方あるんだって
気づかされる瞬間ですよね。
あと単純に、スポーツ選手が
自分とか相手とかがとんでもないプレイをして
うまくいったときに、本気で喜んで
ぴょんぴょんしてるじゃないですか。
何であのパンチを受けたかわからない、とか。
イチロー工藤の対決とかあるんですよ!
・・・あの、まあそれは
スポーツだからいいや(笑)。
八谷 視聴覚交換マシンって
手が触れた瞬間の感じって
想像してなかったんですよ。
糸井 あれはすごい!
八谷 想像してなかったんだけど
実際自分でつけてみて、
「これは、ちょっと成功したかも」
というのがありましたね。
エモーションの偉大さみたいなのは
確かにありますよね。
糸井 心と脳は違うっていうことを、
ぼくらは普段感じさせられないですよ。
文章読んでてもおもしろいのは、
心と脳が別だっていうことを
わからせる文章なんですよね。
脳的には矛盾してるけど
心的には納得できるという
・・・これは音楽にもありますよね。
それを、声を大にして言いたいところですね。
八谷 何かのときにそういうのを感じる瞬間があって、
ポストペットのときには来た瞬間とか
自分のペットが帰ってきた瞬間とかに、
相手とつながる感覚があって、そのときに
「これは、いけるかも」
とはじめて思った。
あたまのなかでわかっていることと
別のことが起きたのを実感するというか。
糸井 気持ちいいだろうねー。
それまでさ、想像的には
ぜんぶ知ってたわけじゃないですか。
そうなるに決まっているっていう
答えを知ってたじゃないですか。
知ってる答えに驚かされることなんて、
最高ですよねー、うわー。
八谷 ペットが何回も行くと汚れるっていうことに
していたんですよ、その汚れる実験をしてた。
すっごい汚れたペットがやってきて、
「汚れてる汚れてる!」とかって言ってみてたら、
そのペットがぶりぶりって
部屋にうんこして帰ったのを見たときに
「うそー!」って。
汚れたペットがうんこしやすくなるよう
幸喜くんがつくったんですけど、
それ、なんとなくそうしてって
言ってはいたんですけど、
そいつがひとの家で
うんこするとは思わなかったから、
すごいショックで。
真鍋 わざわざやって来て、うんこをして帰る。
想像を絶するひどさ。
糸井 それは、手法としては「キャリー」ですよね。
終わったと思ったら墓から手が出てきた。
定式に直せるものなんだけど、
感じるときには定式化なんかできないですよね。
八谷 それは自分たちも想像してなかったから、
やっぱりものつくってて嬉しいのは
その瞬間というか。
ものつくっててよかったなあ、とか。
糸井 趣味がぼくは好きだなあ、なんか。
そういう趣味。

(つづく)

2000-04-24-MON

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