アートとマーケの幸福な結婚。
ポストペットの八谷さんと、
彼の船出。

第25回 ポケットボードに火がついた


そんな地道な営業をやっていたのに
はじめにポケットボードが売れたのは
月に200台程度だったんだ? びっくりしました。
どうやってそれが変わったのか?が今回語られるよ。

糸井 ちょっと興味あったもん、今。
結婚相談所で何台・・・?
だって、1万円以上じゃない?
単純に3000台だとしても、3000万。
決済はトップになるよね。
「増田出てこい」な話がその相談所で起こるよね。
増田 でも200台売れたりとか、
結婚式のひきでものになったとか
パチンコの景品になったとか。
糸井 それで何か月経ってるの?
増田 3か月。
糸井 おー、痛いねー!
増田 結婚相談所に持っていこうと思うんだけど、
と言っても、
「だめだめそんなの、売れないよ」
って言われていたんですけど、少しして部長が
「増田たいへんだ、社長がポケットボードを
結婚相談所で売るって、おおはりきりだ」
って言ってて、
「結婚相談所っていうのは信頼勝負だから
 お前みたいなのがやってたらだめなんだ。
 俺がやる」
みたいに社長もノリノリになってきてました。
その後、女性向けの
TVCMをやれ、ということになって。
糸井 じゃあ、俺が知ったのは、
その「CMをやれ」になってからなのかな?
新聞広告は発売と同時に出たんだよね?
テレビコマーシャルをやるのが、3か月後なんだ。
増田 半年後。3月にはじめて、
4月頃くらいにCMをやろうということになって
5月15日から。
糸井 どんな広告だったっけ?
真鍋 女の子3人が出てきて、
「メール・チャチャチャ」
っていうやつ。わたしあれではじめて知って。
糸井 ああー。メール・チャチャチャか。
そのときにはもう俺、
売れてるに決まってると思ってたもん。
増田 いえぜんぜん。
それでほんとに火がついたんですよ。
糸井 けっこうリスキーな商売してたんだね。
もうじゃんじゃん売れてると思ってた。
逆だったんですか。
増田 次の月が、1万台まではいかなかったんですけど、
でもそれでも1月ごとに倍倍倍ってなりました。
品不足になっちゃって、
すぐに5万台がなくなっちゃいました。
糸井 その5万台がなくなるのはいつですか?
増田 夏ですね。8月のあたまにはCMをとめたんで、
7月までで。
糸井 うれしかった?
増田 すごくうれしかった。
今度はみんなにわたしが怒られて。
「在庫止めやがって」
って言われて。
それこそいろんな苦労があって宣伝してたんだけど、
「少しは稼いでで来たか」
くらいの嫌味を言われたり。
でもうれしかったですよ。
ほんとにつらかったから。
---- 社長が「CMをつくろう」と言ったのが
具体的に売れるきっかけだったのですか?
増田 はい。3月くらいは、さすがにバレンタインとか
ホワイトデーだったので、いろいろ出しては
もらえたのですが、それでも月3000台でした。
糸井 やっぱ、トップが言うって、すごいことだねー。

(つづく)

2000-05-02-TUE

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