糸井 |
フィクションとノンフィクションのはざまを
土屋さんがじっと見ているところに、
「制作者じゃなくて、実は研究者だ」
という事実が出ちゃってるんじゃないでしょうか。
そこを「研究課題」として見ているんでしょうね。 |
土屋 |
そうかもしれない。 |
糸井 |
スタッフが育っているから、
「でも、番組ですよ」
というところは彼らがおさえてくれる。
企業としては、お金を稼がないと
仕事をしている意味がないし、メシが食えない。
「メシが食えない」という言葉を
簡単に使うのはいやなんだけども、現実として、
ビジネスは稼がないとまわっていかない。
稼ぐところが、クルマの動力輪、
「うしろのタイヤ」だとしますよね?
そっちは、あまりいろんなことを
考えないで、バーッとふかせればいい。
「前のタイヤ」は、遊んでいるんですよ。
うしろが動いているので、
同じ速度でまわっている。
ハンドルを切る人がいないとクルマじゃない。
そんなシステムが、いろいろなところに
存在しているわけじゃないですか。
土屋さんというのは、そんな中では、
動力の伝わりかたと自動車の構造について
考えている人なんじゃないかと思うんです。
眠っていてもクルマが走るというところも
よく知っているし。
運転手ではなくて、研究者に近いような。
「あのイナカ道は、このクルマでは無理です」
と言われたとしても、
「いいからやれよ!まわしてみろよ!
そうしないと、あの道をクルマが走る様子を
オレが研究できないじゃねえか!」
たとえると、土屋さんは、
いつもそんなことを言っているような。 |
土屋 |
(笑)
「テレビって何か?と考える役だなぁ」
と気づいた時に、ものすごく
フィットしたように思えたっていうのは、
研究者に近いのかもしれませんね。
ただ、それが必要なのかどうか、
難しいなぁということもありますよね。 |
糸井 |
趣味でしょうね、大きく言えば。 |
土屋 |
まぁ、大きく言えばそうでしょうね。 |
糸井 |
ぼく、今は農業に
ものすごく興味があるんですけど、
農業っていう言葉を使いつづけて、
ぼくが感じている新しさを伝えるというのは、
けっこう実は苦労するんです。
「農業はおもしろい」って言うと、作務衣を着て、
フォークソングを歌う人に見られるんですよ。
「とうとうイトイさんも、そっち行ったか」って。 |
土屋 |
そう見られるでしょうね。 |
糸井 |
でも、ぼくが今おもしろがっている農業っていうのは、
そういう範囲のことじゃないんですよ。
なかなか伝えにくいんだけど、
ちょっと釣りなんかに近いおもしろさなんです。
「何をどこでどうしたらどうなるか」
ということこそが農業であり、
感受性と実行力と体力と、ぜんぶを使って
挑戦してゆくソフト産業なんです。
ソフト産業なんだけど
手もよごれるというのがおもしろいところで。
昨日、お百姓さんに話を伺った時に、
山芋のビニールハウスを見せてもらったんです。
いつごろにどのぐらいの芋ができるかを
見せてもらったあとに、
「タネの芋って、どのぐらいなんですか?」
って聞いたら、人さし指ぐらいの長さの
ちっちゃいものだったんですよ。
それを植えて下に下に行こうとするものを
下にいかせないようにプラスチックを敷く。
行こうとするのに行けないから、山芋が頑張る。
そのところにどんどん養分がたまっていく。
そんな話もおもしろいんですけど、
タネ芋について、
「もとはそんなに、ちっちゃいんだ?」
って聞いたら、
「……だから百姓はボロ儲けなんだよ」
って言ったんですよ。かっこよかったぁ。 |
土屋 |
かっこいいっすね。
言わば自然のチカラを利用して、
かかる費用はプラスチックぐらいで(笑)。 |
糸井 |
そうそう。
流通させた時にはじめてボロ儲けになるんで、
すごくいい芋をいっぱい育てるだけでは、
不良在庫として残るんですよね。
ぼくの仕事としては、
「その芋は、うまいんですよ」
ということを伝える役割だと思うんです。
農業でボロ儲けというつながりを見て、
ぼくは、うれしくなっちゃったんですよ。
CD焼いているのと同じソフト産業なんだ、
と思えたからなんです。
そう考えると、農業は、
「食物価値製造業」とも言えるんですよ。
そう見てゆけば、昔からのイメージに
囚われすぎないで済むんじゃないか、と思った。
「価値製造業」という言葉をつけると、
ぜんぶの商売が、最終的には
価値製造に行くんじゃないかとさえ考えたんです。
旅館の仲居さんは、旅行客を対象にした
サービス価値製造業だ、というように。
その中で、自分は何なのかというと、きっと、
「コミュニケーション価値製造業」だと思うんです。
そして、ちょっと話が回り道になりましたが、
土屋さんは、「テレビコミュニケーション」の
価値製造業に思えるんですよ。 |
土屋 |
どうでしょうかね? |
糸井 |
研究室っぽい? |
土屋 |
研究室っぽいですねぇ。
フィットするのは、そっちですね。
昼間は、編成部長をやっているじゃないですか。
今日もこの場所に来る前に、
「この企画、10%行かねぇんじゃねえか?」
とか、そういうことを言ってきているわけで。
そういう時に頭の中に基本としてあるのは、
「10%ということは、最低でも
600万から800万が必要だ」ということです。
そういうことをやっている反面、
電波少年的放送局のほうでは、
4000人ほどの人たちがいるわけです。
そのバランスのなさがおもしろいんですが、
でも、両者の折りあいは、つかないでしょうね。
この折りあいのつかなさを
ずっと持ち続けると、どこに辿り着けるのかな、
ということにはすごく興味がありますねぇ。 |
糸井 |
その興味を、
今おっしゃったかたちのように
整理できたのは、最近ですよね? |
土屋 |
うん。 |
糸井 |
ぼくが土屋さんのお話によろこんで乗って、
あの番組をやったことで、
その悩みを製造してさしあげたという
ちょっとした自負があるんです。 |
土屋 |
そうですね、ええ。 |
糸井 |
土屋さんのこれまでの悩みの深さが
いまひとつ浅かった理由っていうのは、
「ドキュメンタリーの手法を使うと、
あらゆる人間がタレントになるぞ」
というタレント価値製造がすでにできていて、
それがうまくまわっちゃっていたというところに
あると思うんですね。 |
土屋 |
ほんとにそうですね。 |
糸井 |
で、誰でもその中に当てはめられると、
土屋さんのお客さんはすごくよろこぶけど、
それじゃあ、イトイのほうがいやだ、
という摩擦の中で今回は話しあったから
生まれた視点も、あると思うんです。 |
土屋 |
ええ。
さっきもイトイさんが
言ってくださったのですが、確かに、
「テレビっていう3文字のものの持つ魔力」
って、ありますよね。
ぼくらがふだんから
当たり前のように見ているものの真相は、
そういうものですから。 |
糸井 |
うん。雑誌だと、
「タイアップしたいんですけど」
と言って、モノをくれるかどうかの判断基準は、
発行部数だと思うんです。
百万部って言ったら、くれる。
インターネットでもそれは同じですから、
発行部数でクリアできるというところまでは
わかるし、ぼくはそれを追いかけてきたけれど、
ところが、テレビの3文字のほうが、
それより何より大きかった……。 |
土屋 |
だから、何というか、
そのいろいろな人たちが
テレビに抱いているイメージって、
嘘なんですよね。 |
糸井 |
そう。イメージなんですよ。 |
土屋 |
その呪縛って、テレビ創業以来
50年続いているから、めちゃくちゃ
深いものになっているんですよ。 |
糸井 |
うん。
「三越で買ったネギ一本」なんですよね? |
土屋 |
しかも、そのネギ、ちょっと枯れてるんです(笑)。
それこそ、BSとかCSに関しても
その呪縛がかかっている。
BSに関して言うならば、地上波までとは
言わないまでも、やはりスポンサーさんは
けっこうなお金を支払ったりするわけです。
そこで、何人の人が見ているかと言ったら、
「いや、それは言っちゃいけないことですから」
と、「そういうことになっている」という……。
そのテレビという3文字の生む
イメージのウソについては、
電波少年的放送局をやる中で、
ぼくらの何人かが気づいたわけですから、
「じゃあ、テレビって、何なんだ?」
というところに、また戻るんです。 |
糸井 |
そうだよねぇ。 |
土屋 |
ものすごさがウソだとしたら、
「画面からあのくらいのクオリティの
映像が出てくるというシステム」
みたいなものとしてのテレビって、
いったい何だろう?と。
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