糸井 |
土屋さん、あのビデオ見た?
マドンナがコンサートをやる様子を
ドキュメンタリーで追ったビデオ作品。 |
土屋 |
いや、まだ見てないです。 |
糸井 |
これね、しびれますよ。
どこまで演出か、今も見当つかない。
確か、スペインの監督が撮ったと思うけど、
マドンナツアーをドキュメンタリーで追ったんです。
マドンナって、事業家なんです。
この事業体をどう動かしていくかという
「あゆ」な部分をいちはやく持った人なんです。
浜崎あゆみさんをおもしろがっている人たちって、
その事業家の部分をおもしろがっているところが、
すごく、あるじゃないですか。
その前例とも言えるものがマドンナで……。 |
土屋 |
うん。 |
糸井 |
ツアーをふつうに追っているだけで、
その迫力に、気おされるんですよ。
ところが、それだけじゃなくて、
細かいところで別れた男だとかが混じる。
長いツアーのドキュメンタリーだからね。
ぼくがいちばんドキドキしたのは、
「昔のマドンナを知っていた」
という人があらわれる時でした。
有名じゃなかった時のマドンナを知ってて
「ねぇわたし、ナンシーよ、憶えてる?」
って来た時に、マドンナが、
ものすごく距離をはかりながら、
クールに扱うんですよ。 |
土屋 |
おぉ。内心の狼狽を隠して。 |
糸井 |
うん。
どう扱ったらいいかわからない、
というのが、前提のはずなんです。
マドンナは「あぁ、そう」って言うんだけど、
ほんとには親しくないに決まってるんです。
ほんとに親しそうではないというのは、
表情を見ているとわかるんです。
マドンナくらいのスーパースターだと、
素直さまでもスーパースターだから、
ほんとに親しかったら、飛びつきますよね。
だけど、その時には、
「これ以上近づいてきたら、やっかいだな」
っていう気持ちと、カメラの前だから
「知らないわよ!」と言うこともできないという、
頭のいい人なりのすごい揺れが、ある。
なおかつ、映画の編集に
彼女がクチを出さなかったはずがないので、
そのシーンを削除することができたのに、
ビデオの中に、入れているんですよね。
そのマドンナのスケールの大きさって、
ものすごいと思った……。
監督もすごいんです。
あの映画、こわいから二度見れないぐらいです。 |
土屋 |
まさにその一般客とのやりとりは、
「濡れ」の部分でもあり、それを見せることによって
「マドンナ」という事業体をキープする上では
どういう風にプラスになるのかの計算をやったと。 |
糸井 |
そう。
あと、自分がラクになるというのもあるでしょうね。
自分が思ってもみなかった弱いところを
混ぜて出さないと追いつかないぐらいに
まわりの人よりも
高いところに行ってしまっているという……。
松本人志さんも、うまいですよね。
センスのない服を、どう上手に着るか、とか。 |
土屋 |
ええ。たけしさんも、そうですね。 |
糸井 |
そうですね、上手ですね。
たけしさんのほうが、方法論として持っていて、
松本さんのほうが、いろいろ試しますよね。 |
土屋 |
そうですね。 |
糸井 |
そのあたりの、あのマドンナの映画には
いちばんよく表現されているんですよ。
それを、桃井かおりさんが絶賛してたんですよ。
桃井さんも、その「あわい」にいる人じゃないですか。
ほんとかよ、うそかよ、というところで。
トータルにはウソなんだけど、やっぱり出し方がうまい。
そのうまさの流れにやっぱり室井滋さんもいて、
あの種族が、ずっといるんですよねぇ。
いっぱいいるんだけど、それはそれで
ある種の行き詰まりがあって、
「ほんとかよ、うそかよ」
というものが様式化されているから、
突破口が見えてこない。
そのあたりが、ちょっと気になるところですね。 |
土屋 |
そのマドンナのドキュメンタリーを
おもしろがっているイトイさんなり桃井さんなりは、
かなり、見る側のプロじゃないですか。
見る側のプロは、いろいろなものを見てきた上で
それを「おもしろい!」と思うわけですよね。 |
糸井 |
マドンナのビデオを見て、こう思ったんですよ。
ぼくが見ていたように、
「マドンナの心の動きを逐一知りたい!」
と思いながら見ていた人は
そんなにいないのかもしれないけど、
でも、あの映画全体に混ざっている
「よくわからない嫌な感じ」というものは
みんな、堪能しただろうなぁと思います。
嫌な感じを混ぜこむことで、
ほかの場面に、ものすごい開放感があるんですよ。
それが、表現のひとつの完成型なのかなぁ。
土屋さんがあのビデオ見たら、
オレに電話しちゃうかもしれない。
「イトイさん、見ましたよ!」って。 |
土屋 |
あぁ……あ、
いまぼく、ちょっと、
言うこと忘れました(笑)。 |
糸井 |
この会話、おもしろいのは、
お互いに、転がらない難しい話ばっかり
しようとしてるんですよ。 |
土屋 |
(笑) |
糸井 |
展開しきれないから、
話がぜんぶ、章立てになっていて、
それで終わるんですよ(笑)。 |
土屋 |
なるほどね。 |
糸井 |
答え、ないんですよ。
ふたりが、
「その後は捜せないですねぇ」
って言って、次の話題に進んでいるんです。
ぜんぶ、宿題として残るんでしょうね。 |
土屋 |
なんかねぇ、でも……あ、また忘れた。
いいですよね?忘れても。 |
糸井 |
いいですよ。 |
土屋 |
そういうところを、テレビは切るじゃないですか。
それは、どうかなぁと思うんですよ。
今までだったら、この「忘れた」のところは
ぜったいに電波にのることはない。
でも、この「忘れました」こそが
おもしろいんじゃないか、と思ったんです。
だから今は、イトイさんと話している姿を
ぜんぶ最初からテープエンドまで
ノーカットみたいな感じのことをやっていて。
一時の、ウォーホールの
「眠る人」とかみたいなもので、
「どこがおもしろいんだよ?」
みたいなところでしょうか。 |
糸井 |
いま、ぼくはその方法論の次のことが
できるような気がしているんです。 |