糸井 |
ぼくも、土屋さんの年齢の時には、
「自分の幸せなんて、どうでもいい」
と思っていました。
「個人の幸せなんかを超えた場所を作りたい」
と思って、命を粗末にするからできるような
おもしろいことを、しようとしていたんです。
「原爆を作りたい」みたいな気持ちだった。
それが、この年齢になる間に、変わったんですよ。 |
土屋 |
なるほどなぁ。
ぼくは確かに、今日までは、
「ぜんぶ、いいよ」っていうほうだった。
たまにはモテてみたいかもしれないけど、
それも、要らない。
子どもとも最低限のつきあいでいい……。
昼間は昼間で、メシのタネとしてなのか、
研究の一貫として、日本テレビで
この、ザ・テレビというべき
大きなメディアについてのことをやっている。
夜は夜で電波少年的放送局であれこれ考えている。
今考えていることって、
CSについてのことが多いんです。
「何だろう? これは何だろう?
これはいったい、どこに辿りつくのだろう?」
と考えているのですが、
ともかく、地上波の「ザ・テレビ」と、
CS放送のような「カウンターテレビ」とのことを
考えているという毎日ですね。 |
糸井 |
地上波にもCSのどちらにも、
きっと今、土屋さんの
「自分の欲望」は、ないんですよ。
ぼくは、今、自分の欲望、ありますもの。
やっていることは
自分の欲望を手放している時と
そっくりになるんですよね。
自分の欲望とみんなの欲望と、
両者が出会ったところに場所があって、
きれいな言い方をしちゃうと、
笑顔とかよろこびとか感動とか、つまり、
「うわぁ!!」という読者の声ですよね。
その深度が、欲しくなるんです。
ウッチャンナンチャンが
水泳をしましたよ、という時に、
ぼくも、やっぱりテレビ見て泣くわけです。
ぼくはもう、土屋さんの番組に
泣かされたことが何度あるかわからないよ。
「あぁいうの、俺は、泣くのよ!」
って、次の日に事務所で言ったりもする。
ただ、それは、ある作品で泣いたのであって、
「明日、だから俺はこれをやろう」
とは、思わないんです。
土屋さんがさっき、
「テレビは、見た人を幸せにするものだと思う」
とおっしゃったんですけれども、それは
最終的には、「だから、これをやった」という
見た人の舵を切らせたかという問題に、
やっぱり、なってくると思うんです。 |
土屋 |
そうですね。 |
糸井 |
土屋さんの番組は、
ティーンネイジャーの舵を
たくさん切らせているけれども、
でも、あれで会社を辞めさせているとは
思わないんですよ。
でも、俺は、土屋さんの年齢と
自分の年齢との間にあった大転換点のおかげで、
中年の人生の舵を切らせているという
実感があるんですよ。
昨日、「ほぼ日」4周年の
お祝いのメールをくださいって言ったら、
たくさんのメールをいただいたのですが、
それを読んでいると、
みんな、明らかに舵を切ってるんです。
ぼくのお客さんというのは、
基本的には、ぼくのことを
かつて信用していなかった人、なんです。
都会にいて、ちゃらちゃらして、
ラクしてもうけて片手間で商売してそう、
というのが俺のイメージだったんです。 |
土屋 |
うん。 |
糸井 |
でも、
「ほぼ日を見ていると、
今まで見ていたイトイ像っていうのは、
こっちが悪かったわ」って、
読者のほうが思ってくれているみたいなんです。
土屋さんのスタンスのままで、
「俺は滅私奉公だけれどもお前ら頑張れ!」
というのでは、ついてこなくって、
俺なら、俺の欲望を、
土屋さんなら土屋さんの欲望を、
まるだしにすることでしか、
きっと、信用されないんですよ。
滅私奉公って、やっぱり、
土屋さん……それは、自殺するよ?
俺も、それは考えたもん。
「あぁ、おもしろかった」って言えるし、
今日死んでも、俺はいいよ、という考えで
けっこう長く生きてきたんです。
土屋さんも、もし今日命がなくなっても、
それなりにいいよなってところ、あるでしょ? |
土屋 |
ええ、そうですね。 |
糸井 |
ところが、その大転換後は、
長生きをしたくなったんです。
やりかけのことが増え過ぎるから。 |
土屋 |
「見ている人を豊かにするのがテレビだな」
って思ったんですけど、
イトイさんの62時間の中では、
たとえば編集者の女性が本を紹介しましたよね?
それは、読みたいなぁ、と思ったんです。
そういうことは、たとえばテレビはできるとか、
そんな風に、考えたんです。
さっきの法隆寺の話でも、
すごい素敵な話じゃないですか。
それはほんとにぼくらの舵を切らせるかもしれない。
たとえばその話は、「ザ・テレビ」はできないけど、
テレビは扱うことができる。
画面で出すこともできる……。
そういうことは、ひとつ思いましたね。
自分としては、たとえば
いい本に出会うことが、その都度
自分の舵を切らせてきたわけです。
それで、客観的情勢として
みんなが本を読まなくなってきている。
本パラ!関口堂書店も低視聴率の中で
終わってしまうわけですよね。 |
糸井 |
でも、あれは、
電波少年的放送局の数でよかったら、
じゅうぶん、続けられますよね。
本に関しては、いろいろ考えるのですが、今は、
「世界一を目指したほうが、いい」と思うんです。
もうけを先に考えないなら、世界一がありうる。
ただ、ほんとうの世界一になったら、
やっぱり、必ずもうけになるんですよ。
エンパイアステートビルっていう建物は、
当時「下品の極み」って言われたんです。
大衆まるだしの施主がいて、
「俺はいちばん高えのが欲しい」
って言って御殿を作ったんですよね。
あのデザインも、まるで御殿のようで、
当時はやっていたのは、コルビジェですよ?
ミニマムでシンプルなものが流行っている時に、
「あんな下品なものを建てて!」って、
インテリからは、総スカンだったんです。
でも、残ったのはそっちだった。
自分の欲望に責任を持てる施主がいるから
残っている、というものも、あるんですよね。 |
土屋 |
ぼくの場合、
20何年、とりあえずやってきた意地というか、
「テレビって、ダメだったよね」
って言われたくないという気持ちがあるんです。 |
糸井 |
言われたくないよね。 |
土屋 |
このままいくと、
「テレビってやっぱり、ダメだったよね」
って言われるんじゃないか、
という感じがすごくあるから、
まずは電波少年的放送局のほうをはじめて……。 |
糸井 |
うん。 |