「自分が、AB型でないかもしれないと、
初めておもったのは、
ずっと病気しらずだった父が入院したときでした。
今年の1月17日のことです。
実家のある大阪に駆けつけ、病院で父を見舞って、
とりあえず症状が落ち着いたので、
一度家にかえろうかと、母と姉と家にもどりました。
三人でお茶を飲みながら
父の入院への衝撃と緊張を和らげるように
最近の父の仕事の様子など、
おしゃべりを始めました。
そこで母が言ったのです。
いま考えれば、母にとっては
緊張を和らげるのに、
ちょうどいい話題だったのでしょう。
『そうそう、そういえばね、
救急車で運ばれたときに、
お父さん、輸血をされたんやけど、
その血液バックにね、
なんとO型って書かれてたのよ。
長年A型って信じてきたのにねえ』
‥‥。
‥‥‥O型?
O型の父とB型の母から
AB型の子どもが生まれないことは
私にはすぐにわかりました。
しかし母も姉もその重大性に気づいてません。
『お母さん、お姉ちゃん、わたし‥‥。
AB型だったとおもうねんけど』
『あー、お産の時に調べてもらったし、
あんた、子どものころは
毎月小児科にいってたし、そのはずやわ』
『いや、でもお母さん、B型やろ?
で、お父さんがO型だったとしたら
私はO型か、B型のどっちかや』
『なによ、急に』
母も姉も、のほほんと、
60年間も血液型をまちがっていた父のことを
おもしろおかしくからかいながら、
お茶をのんでいます。
が、私は気が気でありません。
何年かまえの自分だったら、
あれ、私、血液型まちがってたのか〜、で
すんだかもしれません。
しかし、いまは違います。
ABの会の人たちと何度も集まって飲んで、
池本さんという新しい仲間も得て、
AB型という自分に妙に
アイデンティティを感じ始めているのです。
でも、私はAB型じゃないかもしれない‥‥。
大げさではなく、ちょっとした絶望感を
私は感じていました。
一方で、
『私、お父さんとお母さんの子じゃないのかも』
とはいっさい思えませんでした。
私はあきれるくらい
両親に半分ずつ似ている子どもだったので、
ふたりの子どもであることは、
医学的な根拠を求めるまでもなく、
もう、決定的なのです。
ということは、私がAB型じゃない
ということも決定的‥‥。
とりあえず、物事ははっきりさせようと、
2月8日、生まれて初めて献血に行きました。
受付の方の説明だと、献血前の1分くらいの検査で
血液型がわかってしまうそうです。
青い検査薬と黄色い検査薬の入ったパレットのような
お皿に少量の血液をたらします。
たらしてかき混ぜて‥‥ものの10秒くらいで、
『はい、B型ですね』と告げられました。
みんなに言うべきか、それとも黙っているべきか、
ずいぶん、悩みました。
ABの会でたのしく飲むだけなら、
黙っていてもいいような気がしました。
けれど、やはり、ウソをついているという罪悪感がある。
いつかみんなに言わなきゃ、
言うなら、まず、ABの会の人たちに。
そんなふうに考えて、久々にABの会を企画しました。
でも、どう言おう? やっぱり黙っておく?
そんなある日、針生とふたりで、
ミーティングをしていたときのことです。
どういう話の流れか忘れたのですが、
やはりまた血液型の話になり、
針生が「ま、オレらはABだからさ」みたいな感じで
話を締めくくろうとしました。
‥‥‥。
いっそ言ってしまおうか‥‥。
‥‥‥。
『は、針生さん‥‥。
すっごく大事な秘密の話をしてもいいですか!』
『え、わ、いやだよ、みっちゃん、なによー、
え、なになに、このフリ、ほんといや!』
しかし、いままで我慢していたぶん、
話し出したらとまりません。
もう、嫌がる針生なんて知るもんかと
すべてを告白してしまいました。
針生はほんとうにおどろいて、
それは秘密にしておこうと言ってくれました。
でも、やっぱりそれはできないとおもいました。
ABの会、大好きなだけに、
ウソをつきながら続けていくのは
うしろめたくて申し訳ないと説明しました。
『あー、でも私、いまさら、どんな顔して、
みんなにAB型じゃありませんでしたって
言えばいいんだろう‥‥』
私がうじうじ言っていると、針生が言いました。
『‥‥‥‥じゃあさ、こういう告白は、どう?』
そこからは、読者のみなさんがご存知の通りです。
当時宇宙部が開発したばかりの、
メールを設定した時間に
送信してくれるシステムを使って、
私がABでないことをABの会のみんなに
お知らせすることにしました。
1通目のメールが届いたあと、
5分たってから2通目のメールが届き、
そのメールを開くと、
わたしの献血カードの画像が
添付してある、という仕組みでした。
1通目と2通目がほぼ同時に届いてしまうという
アクシデントはあったものの、
うまくいったとおもいます。
みんな本当に驚いていたし、
ABの会はとっても盛り上がったのです。
そのおかげで、
こんなコンテンツまでできてしまいました。
みなさんにおもしろがっていただけたようですが、
個人的な勘違いが、ここまで大きく広がってしまって、
お騒がせしてしまったことについては、
なんだか申し訳なくおもいます。
ほんとうに、すいませんでした。
そして、
60年間も自分の血液型をまちがっていた父は、
2月半ばに亡くなりました。
父の勘違いのせいで
娘はえらい大変だったんだぞ、
と話す事ができないまま、
お別れになってしまったのは
ちょっぴり残念です」
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