どうせだったら、
広告の勉強もしてやれ!

まず、アートディレクターって、どういう人?

第5回 具体的な広告の例をききました

副田高行さんの話をきいていると、
広告をつくるということで、
いつもひとたちから見られていて、
自分の出す色も、広告によって変えるんだな、
そこがおもしろいなー、と感じました。

知らず知らずに作家的になって、
自分がどんどん無になれなくなって、
いつのまにか取り残されてそのまま終っちゃう、
そんな危険性が、普通はありますよね。
時代に求められていたけど、
ある日突然求められなくなってしまったり。
そういうようなことをぼくが言うと、
副田さんは、次のようにこたえてくれた。

「いや、だからぼくもそのうちそうなるんです。
 広告マンというのはまあ基本的にそうですよ。
 だから時代とリンクしたときに、
 ある表現がすごく時代にマッチして受け入れられる。
 でもそれは一時のことだろうし、
 それが永遠につづくということではないだろうし、
 割と過去のデータっていうのから
 先輩たちの姿を見てても・・・やっぱりそうなのよ。
 あのひとの時代、このひとの時代、というのがあって、
 しぶといひとはもちろんいるけども、そのひとでも
 どこかの瞬間が1番すばらしくてあとは・・・という。

 まあぼくはねばっているほうです。
 それはたぶんさっき言ったみたいに、
 ぼくがあんまり自分の色をもっていない、
 何もないやつだからなんだ、と思うわけ」

何もないやつだから、長く続くんですかー。

「だから、自我があって、
 『どうしても自分の色にしたい』
 というのがあると、
 時代とかクライアントとかとマッチすればいいけど、
 だけどそれがなくなってしまったときには、
 空しい表現行為になっちゃうんだと思う。
 だけど、ぼくにはそういう自分の色がないから、
 ちょっとこれは飽きたなあと思うと、
 『今度は違うものを』と平気でできるし、
 ぼくはむしろそこをおもしろいと思うというか、
 だから飽きないでいけるかなあ、みたいなね」

飽きないでやれる、なるほど。

「要するに、ぼくはものはつくるんだけど、
 そのつくるものは自分そのものではなくて、
 ただ、それでも企業があるメッセージを売るために
 イメージとしてブランドにはたらきかけるときでも
 やっぱり自分のなかの何かは出るんですよ。
 実際に手をくだすひとのものが何か、ね」

確かに出ます、自分の価値も。

「そこでは微妙なところがあるので、
 まったくおのれを出すというのではないんだけど、
 でも出ないわけがないんです。
 いろいろな自分の価値観ってあるでしょ?
 自分のいいなあと思う方法でしか、
 やっぱりものって、作れないじゃない?
 色にしてもかたちにしても、
 いやなものはいやなんだから。
 だからぼくがアートディレクターをした場合、
 ぼくがいいと思うものがどこかに出てしまうというか」

なるほど。どのようにそういう
「いいと思うもの」が出てゆくかを、ききました。

「田中靖夫さんと一緒にやったモルツにしても、
 あの文字は、たまたまぼくの友人の
 デザイナー(片岡朗さん)が
 文字をつくってるんですよ、実は。
 今はもうマックの時代になっちゃって
 写植もなくなってきているし、昔の活字もない。
 そのひとは、文字の好きなひとで、
 フォントを自分でつくろうとしているんですよ。
 7000文字くらいかなあー?
 以前、ぼくのところに持ってきたんですよ。
 『今たまたまこういうのつくってるんだけど、どう?』
 とか言って。昔っぽい字なんです、筆っぽい感じ。

 もともと日本語の文字は、縦に書いていくわけだから、
 本来は四角のなかに入れていくのは、おかしいんです。
 アルファベットがそうだからって
 四角のかたちができたんだけど、
 日本の字は本当は流れる感じなんです。
 でもそうはいかないから
 活字は四角のなかに入れたし、
 なるたけ四角のなかに同じような比率の書体が
 いつのまにか出来上がっちゃったんだけど、
 そのひとはそれをもう少し戻しているというか。
 文字の流れが、ぼくは「それ美しい」と思ったの。
 今、明朝体の美しい書体が、
 マックのフォントにはないんですよ。

 ゴシックはまあまあだけど、だから、
 『あ、これは、何かタイポグラフィーの広告、
  例えば写真とかイラストでやるんじゃなくて、
  文字が主体の広告のときにはやりますよ』
 って、ぼく、そのひとには言っていたの。
 そしたら、すぐにあのモルツが、
 セールストークというか、
 製品のことをストレートに言いたいと。
 『麦100%』で『天然水仕込み』ということで。

 ビール市場は戦争で、
 今は発泡酒の時代ですよね。安いし。
 麦100%というのが注目されてきて
 他のメーカーも出てきたとなると、
 麦100%に加えて、天然水なんだ、モルツは、と、
 そのメッセージをグラフィックでちゃんとを伝えたい、
 そしたらもう文字をコピーで伝えるのがいいでしょ。
 絵とかイメージでは伝わらない。
 いくら天然水で文字をつくっても伝わらない。
 それでその片岡さんというひとの文字なんだけど、
 『急に使いたくなっちゃって』とたのんだの。
 ただし漢字とかはまだフォントができていないから、
 コピーを書いてもらったら、
 その片岡さんが、ひと文字ひと文字
 コピーにあわせて新しく活字をつくるわけですよ。
 ひと文字つくるにしてもたいへんなんです。
 タイポグラファー、文字をつくるというのは」

そうやって自分の基準にひっかかったものが、
広告に出てゆくんですね。

「アートディレクターはイメージをつくるひとだから、
 例えばどんな書体をつかうかとか、何でもありです。
 そういうのを決めるひとでしょ?ぼくは」


(つづく)

2000-03-20-MON

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