第6回 コピーライターがたくさん出てくる話
副田さんは、企業から選ばれる側のひとですよね。
そういう自分のすがたを、どうとらえているのか、
ぼくは気になって、
「アートディレクターとして
ご自分が広告づくりに選ばれているのは、
何でだと思いますか?」
ときいてみました。
「やっぱり色がないからとしか、言いようがないかなあ。
自分のスタイルというか作家性というのがないよね。
ぼくは前に仲畑貴志さんと11年間やってたんですけど、
(コピーライターの仲畑さんの事務所に
副田さんは長く所属し、一緒に広告をつくっていた)
仲畑さんのコピーって、タッチはあるんですけど、
だけどそれでも全体としてあのひとは
『何でもありなんじゃないの』
と思っているという、そこでぼくは
すごく気持ちとして一致しているし、
だからいろんな表現方法ができたっていう・・・。
もちろん仲畑コピーという一本筋が通っているから
そこはおんなじなんだけど、でもアートワークで
見えかたも変化させることができたり、
そこがアートディレクションの妙で、
おなじコピーがあったとしても、
それをどう扱うかで、広告って全然違っちゃうんです」
その、出しかたが気になっているの!
副田さん本人としてはどういう出し方に?
「広告にも、その時代時代のベストワークがあったり、
流行があったり、やっぱりどうしても
みんながおんなじ方向にわーっと行くじゃない?
ぼくはなるたけ、そういうことに行かないというか、
あるひとつの価値観がもてはやされているんだったら、
『そうじゃないもののほうがおもしろいんじゃない?』
という感じを持ちたいというか。
前はモダンでかっこいいデザインが
主流だったわけですよ。
今もそれが主流かもわかんないけど。
もちろんそう思うのには、ぼくにとっては
仲畑さんとか糸井さんとの出会いが大きいんです。
糸井さんとか仲畑さんは、やはり以前からの、
うまい文章家というか、レトリックを使った
コピーライターの時代がたぶんあったところで
そういうひとたちをぶっつぶすという感じで、
肉声でやっていくというか、
もっと共感というか、要するに人間的にというか
若いというか・・・そういう言葉を
広告コピーに持ちこんだひとたちだと思うんですよ。
ぼくはそのひとたちとちょっと下だけど
ほとんど一緒の世代だったから、
一緒に組んでいると、広告のデザインも、
『きれいきれい』『かっこいいかっこいい』
じゃあ、表現できなかったわけ。
かっこいいだけじゃない、というのは必然だった」
副田さんは仲畑貴志さんや、
ぼくがふだんよく見るdarlingとの
広告の仕事を、たくさんやってきています。
かっこいいだけではない見せかたの話を
つづけてうかがいました。
「仲畑さんのコピーだとすると、、
かっこいいデザインでは言葉が生きないんです。
それは糸井さんもそうです。
ある種のアバンギャルドだったりするわけだから。
それまでの価値観を崩すというか。
ぼくはそこを人間っぽいと思うんですけどね。
かっこいいデザインは研ぎ澄ましていくものだから
そういうところとは遊離していっちゃうでしょ?
広告っていうのは普通のおっちゃん、
おばちゃん、子供も見るもので、
アーチストが見るわけじゃないから、
もう少しヒューマンな部分というか、
やっぱり『きれい』だけじゃないんじゃないか、
もっとコミュニケーションというか、
きたなくても『おっ』と思ってもらえたりとか、
なんかあったかいだとか・・・。
つまり『かっこいい』じゃなくても
表現として強く伝わるんじゃないかなあ、とは、
いつも思っているんですよ。
そういうひととの出会いもあったし時代もあったし、
その前代の価値観に対するアンチみたいな、
『こういうのだってありだよねー』
みたいなのをつづけてるっていう。
川崎徹さんと一緒にCMをやっていても
それまでのCMをぶっこわしたような、
そこでぼくはやっぱりグラフィックの広告で
そういうことをやりたいと思った。
やっぱりそこはそういうひとたちとの出会いによって
自分の考え方というか主義というか、
そう言うと大げさだけど、
そういうものが形成されたと思います。
すごく運もよかったのかもわからないし」
そうなんですか。
特別に才能がというよりは、出会い?
「ただ、もちろんその時代にも
いろいろなひとがいるわけだから、
そういうひとたちに会いながらも気がつくひとと
気がつかないないひとがいるとは思うんだけどね」
(つづく)
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