むろん、本人が「ちがうよ」と言ったのだから、
それが正しい結論である。
しかし、考えようによっては、
たとえ、「ヨダ先生がモデル」であったとしても、
夢を売る職業の人ならば、「ちがうよう」と、
言うのではないだろうか?
だって、現代から未来にわたる神話づくりを
しているジョージ・ルーカスが、
「ほんとは、日本のさー、脚本家の顔なんだよね」
などと調子こいてぶちまけてしまったら、
「スターウォーズ」は、
単なる冗談になってしまうではないか。
「楽屋裏」や「NGもの」が流行るのは、
日本だけのことなのではないだろうか。
そう考えると、正しいプロデューサーなら、
ここは「そんなことないよ」と言うのが、
唯一の正解なんだという解釈も可能である。

一方、「そうだよ」と答えた場合のメリットも、
日本ではあると言える。
それこそ、「日本人」があの映画の
「知恵の象徴」としてキャスティングされていたのだから
気持ちが悪いわけがない。
日本での話題にもなるし、興業成績も期待できる。

ただ、日本の映画ツウのなかには、
ルーカスが黒澤明監督のファンだったということを、
勝手に拡大解釈して、
「黒沢は、日本人だ。ルーカスは黒澤を尊敬している。
であるがゆえに日本人はルーカスに尊敬されている
(と考えたい)」というような人がいっぱいいる。
それは誤解だし、我田引水というものだ。
いくらルーカスが黒澤の影響を受けても、
尊敬していても、それがそのまま、
日本人を尊敬しているということではないことは、
あきらかであろう。
妙に、黒澤明へのリスペクトを意識して、
虎の威を借りている狐のような態度の人間が
いるように思えるのはちょっと気になった。

そして、「モデルじゃない」ということになった
依田義賢さんの名誉のために付け加えるが、
この方は、溝口健二監督作品の重要なスタッフである。
「雨月物語」や「近松物語」の脚本も、
依田義賢であり、その栄光は
『ヨーダのモデルじゃなくたって』くすむことではない。

1999-06-04-FRI

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