APPLE
アップルの
原田社長との雑談。

10年近く前に一度お会いしただけだったが、原田さんは、
鼠穴の「ほぼ日」にタクシーでやってきて、こたつに入って
たっぷり2時間、おもしろい話をしていってくれた。

前に会ったときは、部長だったが、
そのときのことを、ぼくはよく憶えている。
会議の進め方や決断が、とんでもなくかっこよかったのだ。
また、機会があったら会ってみたい人だなぁと思っていた。

1年ちょっと前、
「アップルの社長がハラダさんという人になった」
というニュースを聞いた時、
あの人にちがいないと、ぼくは直感した。
やっぱり、そうだった。
社長になんかなってしまうと、ちょっと会うなんて
難しいのかな、とは思ったけれど、
自分でもパソコンを使うようになったことだし、
「ほぼ日」の周囲にはマック・ファンも多いし、
ぜひ一度ゆっくり話してみたくなった。
ただし、ホテルの会議室とかで、
あわただしくも大げさな「対談」なんかするのはちがうな。
鼠穴の「ほぼ日」に来てもらって、
しかも時間もたっぷりめにとって、
ということでも、OKだろうか?
とにかく、問い合わせてみよう・・・

返事は、「Yes」だった。
あいかわらず、かっこいいなぁと、思いましたね。

黒塗りのハイヤーが、ではなくタクシーが到着。
原田さんと、マーティング本部部長の河南さんが、
やってきた。
せっかく普段着っぽい話をするんだからということで、
こたつに入ってやることにした。

原田 「ほぼ日」の「ほぼ」っていうのは、いいですねぇ(笑)
うちも、いろんなこと、なんでも「ほぼ」を付けようか。
糸井 新商品発売ほぼ決定とかね。
原田 (タバコを、置いて)
吸ってもよろしいですか。
糸井 (すでに、吸っている)
ぼくはもうそのつもりで。がんがん。
原田 いやあ、久しぶりですよ。
キャノンさんだけですね。吸えるのは。
ただ、キャノンさんも社長会長変わられましたから、
たぶん吸えなくなるんじゃないかと。
糸井 普段はどうしてるんですか。
原田 我慢してるんです。
会社はですね、喫煙室がありまして、日本には。
私の部屋は特権で吸っていたんですが。
糸井 空気清浄機みたいな物を置いて。
原田 (空気清浄機)は一応あります。でも、禁煙にしました。
糸井 アメリカのアップルは、もっときついでしょう?
原田 社内の禁煙でなくて、会社の敷地内すべて禁煙です。
道の向こう側に渡ればいいんですけど(笑)。
糸井 ひぇ〜。屋外ってだけじゃダメなんだ。
ま、とにかく、とてもおひさしぶりです。
原田 漢字Talk7のときでしたよね。
あの時はどうも、お世話になりました。
糸井 あの時の印象が、妙にくっきり残っていて。
こういう小さいなりに「メディア」がなかったら、
お声もかけにくかったんですけど、
いちどゆっくり話を聞いてみたかったんで、
乱暴な依頼をしたんです。
原田 いやいや、たのしみにしてきました。
糸井 あのころからしたら、
僕は自分がずいぶん変わったっていう気がするんですよ。
前に原田さんにお会いしたときには、
これは自慢じゃないですけど
コンピューターを触ったことも無かったですし。
外資系の会社をよく知っている訳じゃなかったですし。
もちろん野村も山一も安泰だという時代です、あの頃はね。
その頃までは、要するに、
だんだん自分が歳をとっていって経験を深めていくことが
全部蓄積になるという考え、をみんなが持ってたんですね。
ともかく、個人のスキルをあげていくことが、
善であるというような考え方ですよね。
そういう中で僕はまあ、言わば職人的なタイプの仕事を
やっているわけですね。
当然のように、自分のスキルがアップしていけば
それがそのまま安心につながっていくっていう幻想が、
まだあったと思うんです。
誰でもが、大工さんであろうが八百屋さんであろうが
上手になればどんどん幸せになるっていう印象があって
そこの考え方っていうのを変えるチャンスが、
僕の中にも、世間にも無かったような気がするんです。

ですから、どう言うんでしょう、
すっごく古くさい概念だけれど、
「出世」のイメージっていうの、実はまだあった時代。
ポジションの階段をのぼっていくような「出世」。
そりゃもう、植木等以来の共同幻想として、
まだ、存在していたような気がするんですよ。
こうなりたいとか、夢を持てとかって言うけど
夢を持てと言ったときに、
社長になるだの総理大臣になるだの、
上に行くに従って
階段から落ちる危険のない出世競争だった。
それは、「出世」というコトバそのものを、
否定している人間のなかにも、あったと思うんです。

その当時に、部長だった原田さんにお会いしてるんだけど、
あれは結構ね、ものすごく感動したんですよ。
ご自分ではもう覚えてないと思うんですけど
どういう組織の仕組みがあるかどうか知りませんけど、
目的があるときには、組織の上下とか超えて、
進められるんだ、って方法を、見せてもらったんです。
上だの下だの関係なしに、電話で説得し、指示していく。
なんか、見たことないビジネスマン像を、
目にしたって思ったんですね。

原田 そうでしたっけ。
糸井 代理店の人が間に入ったんですけど、
僕も公募ネームの審査員として、そこ入っていて、
こっちの方がいいだのなんだの言ってたわけですけど、
まあそんなに簡単に決定できるもんじゃないんだろうな、
と思ってたんですよ。冒険的な決定でしたから。
時間もかかるだろうし、
会社ってのはそういうもんだと思っていたら、
原田さんが動かして見せたんですよ。
当時、何部長さんですか?
原田 マーケティング部長です。
糸井 マーケティング部長ですか。
電話持って、「それはできるだろう」とかっていうセリフが
絶えず聞こえていた。
で、おもしろいなぁと思ったんですよ。
原田 はっはっは。そうですか。
全然記憶にないですけど。
糸井 僕はその一度しかお会いしてないんだけど、
帰ってから電通の他の人と話してて、
あの人社長になるって言ったんですよ。
原田 はっはっはっはっは。
糸井 何も知らないんだけど、そういうこと言ってた。
で、ああいうことできる会社っていうのがあるんだと、
アップルをものすごく好きになったの。
原田 そうですか、ありがとうございます。
糸井 きっと、原田さんの個性と、組織の仕組みが、
ものすごくフィットしてたんでしょうね。
原田 余談になりますけどね、
私は、アメリカの本社に赴任しましてね、
帰ってきて一年半前に社長をやれと。
すると新聞に載ったりしますね。
そうしたら、高校時代の友達からですね、
行方不明の原田がいた、
すごいぞみたいなこと言うわけですよ。
みんながですね、おまえ出世したな、
上り詰めたな、って言葉だったですね。
ところが、上り詰めたって感覚全くないわけですよ。
糸井 その上り詰めたってのが、
かつての世間が描いてた価値観ですよね。
原田 私は、アップルでやり遂げたなんて決して思ってませんし、
うちの社員もですね、退職者が多いですね。
あくまでも個人のキャリアのディベロップメントの
考え方というのは、
会社を越えた業界、または業界を越えた今後の
ビジネスのインダストリーの中で
自分のキャリアをディベロップするんであってね。
会社の中でポジションがあがることが
価値観ではないわけですね。
ところが、それは日本企業の中では
ずぅっと普遍的な価値観として残っているわけです。
それがまさに崩れようとしてるわけです。

従って中高年層の就職の問題だとかですね、
いろいろこう歪みが起こってますけど、
やっぱり会社で働く価値観を変えなきゃいけない。
例えばですね、
一年前にスタートしたんです。
テレワークをやろうと。
企業はトップが企業同士(例えば系列とかですね)、
トップ同士がお互いコミットして、
ビジネスをきちっと主ある形にして、社員に下ろしていく、
ということで事業を確立させてきたわけですけれど。
そうじゃないんだ。
個人個人、あなたがこの会社に何をコミットするか、
そのコミットメントの集大成が事業の結果だと。
そのためには一人一人のプロフェッショナリズムを、
もっと作らなきゃならない。
一人でぽーんと世の中に置かれたときに、
一人で何ができるというものを持たせなきゃいけない。
そういう意味で週に一回、
テレワークをやるということになったわけです。

会社に来るのが仕事じゃない。
仕事のためにオフィスという場がたまたまあるのであって、
違うところで仕事するのも
もっといい仕事ができるかもしれない。
そうやって週に一回のペースで自宅で仕事していい、
というのをやりましたら、
みんな逆にプレッシャーかかるんです(笑)。

糸井 そうでしょうね。
原田 俺は一日何やっとるんだろう、と自己認識するわけですね。
糸井 振り返ったときに怖くなりますよね。
原田 そうです。
会社に来てミーティングに出て意見も出さずに
会社が終わって。
飲み屋さんで、
「部長があんなこと言ってたけどうまくいくわけねえよな」
っていうのが日本のサラリーマンでしょ。
アメリカにはあり得ないですよ。
糸井 白い紙渡されたときに何も書いてないっていうのが
だいたい今までの勤め人のパターンで、
その分だけ時間を俺は会社にあげてるっていう意識だった。
それががらっと変わらざるを得ないですよね。
原田 だから、また話変わりますけど、
私がうちの会長のスティーブ・ジョブスに
30分間プレゼンテーションをやると・・・そうしますと
一ヶ月くらい前から真剣につくりますね。
この30分というのは、ものすごい。
正念場なんですよ。
それで向こう一年変わったりしますから。
紙にして4枚のプレゼンテーションをやるのに
どれぐらい作る?(河南さんのほうを向いて)
これぐらいの厚さをつくるよな。
糸井 そうでしょうね。
その30分はすごいでしょうね。
きっと、また違う視点で同じような4枚を
100も作れるっていう前提があって、
そこから選び抜いた4枚でしょ。
原田 質問に応じてぱっと出てくるようにしますね。
糸井 それはやっぱりマーケティング部長だったときの
センスがそのまま生きてる?
原田 本社行ったときに、向こうのスタッフの働く姿勢の違い、
会議に対する姿勢の違いとか目の当たりにしましたからね。
日本人てのは会議のことをプロセスだと思っていますから。
アメリカの場合、会議ってのは本当に決定の場ですからね。
決定したら絶対変わりませんからね。
次の会議で変更しない限り変わらないわけですね。
ビジネスのコンテクストで決まってくるわけです。
日本の場合は上司の顔で決まってくるわけですよね。
糸井 いままでの日本の企業によくあるのは、
つまり決定するときの基準がいつも曖昧で見えないから
あの人はあのタレントが好きなんだよだとか(笑)
そういうノリで、
決定権を持った個人の情報を、
よく知っている人がイニシアチブ持ったりする。
あれはもう、どうにもならないくらい辛いですね。
同一の基準を持つためにやることって、
やっぱり、情報の共有から出発するんでしょう。
きっと、白い紙を前にしたみんなが、とにかく、
自分で考えて、いろんな答えを出しっこして
見せあってということの繰り返しで、
誰が何を考えているかがわかっていく。
そういうことが前提になりますね。
(日本人の会議では)わかんないんですよね。
殿様の腹のうちに、すべてしまわれている。
原田 私ね、こんな話を私がした、ってことが
パブリックで出ていいのかどうかわかりませんが。
糸井 後で消しますから、いざとなったら(笑)。
原田 天皇陛下御崩御、大喪の礼。
あの時、私は初めて聞いた言葉だったんです。
早朝にゴルフ場に行って、
ゴルフ場の入り口でおじさんが貼ってる紙を見て、
初めて知ったんです。
おじさん、御崩御って何だ? って聞いたら、
君たち知らないんだねぇ、と教えてくれました。
私は八王子に住んでましたので、
あっという間に見事に町中が、
半旗で、黒いベルトが、全部並んだんですよね。
「こういう慣習というのは私は知らないし、
 みんな知ってるはず無いのに、
何でこんな迅速に誰が統率しているんだ?」
とものすごく不思議でした。
そういう話を、ある時間がたってから、
ある大学の先生がいらっしゃる場で
みんな飲んでいるときに、そういう話をしたら、
こう言われましたよ。
「原田さん、あなたは日本人じゃないんですね」。
「どういう意味ですか?」
「いや、日本人は判らないことは聞かないんです。
 アメリカ人は判らないことを聞くんです」。
って言われたんですよ。だから怖くなりましたよね。
糸井 今までこれで生きてきたのに(笑)。
原田 私はまだ全体主義というのが残ってるんじゃないかと思う。
あっという間に町中にそれが並ぶんですから。
糸井 日本にいながら日本人の不思議な部分を探し続ける
というのが、
これからしばらくの日本人の仕事だと思うんですよ。
例えば、日本というものを考えるときに、
米の飯の話を出すと
みんな一気に意気投合するわけですね。
僕も米の飯は大好きです。
大好きだけど米の飯を大切にしようという話をするときに、
そんなにみんながみんな米のことを大事に考えているか、
ちょっと疑問に思うんですよ。
ぼくみたいな「米飯主義者」だって、
時代の流れとの接点を考えざるを得ないと思ってますもん。
パンしか食わない奴でも、
急に農本主義みたいになったりする。
大事、はわかる。でも、冷静に考えられないか。
そういうものを一個ずつ洗い出していって、
「どう大事にするか」っていう方法に至らないんですね。
とにかく大事ってことにしちゃうと。
だから御崩御の話でも、
最初から天皇っていう方を、
あの人は人間になった方ですから、
もう人間として言えるんですけれども、
本当に尊敬してたり敬愛してたりするっていう気持ちを
きちんとはっきりさせる意味でも、
原田さんのような見方がでてこないと、
曖昧なままに、
喪に服するから服するんだと、
こうしている限りはどっちにもなんないと思うんですよ。
米を守るなら守る方法があるんで、
それをどれだけ探せるかというのが
僕らの次の時代に向かう課題じゃないかな。
原田 未だに不思議に思ってますのは、
日本人ってのは今の若者は云々、国に対する意識が低い、
ナショナリズムがない、みたいなことを言ってますけども、
そういう部分では
驚くほどのナショナリズムがあるわけです。
糸井 曖昧なところにね。
原田 ところがアメリカ行きますとね、どこの国に行っても
たとえばヨーロッパにですと、
パーティーでジョーク大会があると、
ヨーロッパのいろんな国の悪口言うわけですよ。
フランスがどうだ、ベルギーがどうした、
この、ジョークでからかうみたいな、
ジョークをどうどうとやりますよ。
すごいナショナリズムなんですよね。
もう少しそれを出してもいいんじゃないかと。
もっとナショナリズムを出しながらグローバルな
自国としての位置づけをもっと主張していくという
姿勢がないとですね、
日本のビジネスも今後どうしていくのか
という心配はありますね。
糸井 模擬的には国際的なスポーツ大会なんかで、
県民意識みたいな形でやってますけども
あれが非常にこう、そこだけに分断されてますよね。
もっと気楽に外人をからかえたり、からかわれたり
アメリカ人なんか飯喰うとき、フランス人に
「おまえら水飲んでるくせに」
って言われるらしいですよね。
あれ、わかっててやってますよね、お互いに。
そうならないとやっぱりつまんないですね。
原田 もっとオープンに日本人が喋ればいいんですよ。
糸井 喋る数が少ないっていうことは一般に言えますねぇ。
原田 うん。まず、電車の中で喋らないというのは
ほんとは不気味ですよね。
私はアメリカに出張というのは
もう百何十回も行っているわけです。
ところが実際に向こうに行って住んでみますと、
まだ驚くことはいっぱいあるんですね。
同様に、日本に帰ってきても驚きますよ。
たとえば、日本にぱっと久しぶりに帰ってきたとしますね。
街歩くと
「なんで女性みんな口が真っ赤なの?」と思うわけですよ。
みんな口がぽつぽつ赤いんです。
女性の前で大変失礼な言い方ですけど。
糸井 ああ、なるほど。口紅ですね。
そういえば、外国ではそうじゃないわ。
原田 パブリックの場で
たまたま何か飲み物を待って並んでいるときに
知らない人同士、絶対に喋りませんよね、日本人は。
アメリカ行ったらもう、すぐですから。すぐ喋りますから。
エレベーター乗っても、
How are you?  Fine. 
どっから来たの?・・・
そっから接点が出てきたら話が咲くでしょう。
自然にいくわけですね。
日本人の場合は、日本に帰ってきて本当に戸惑いましたね。
エレベーターから降りようとしたら、
子どもがどたたたっと入ってくるわけですね。
失礼も言わずに。
日本にいるときは気が付かなかったけれど。
糸井 気が付かないですね。
一般に、「内」の人には全面的にうち解けてしまって、
外の人には絶対にこう、
コミュニケーション持たないという形が、
ま、会社もそうですよね。
「飛ばし」だとかいうのも全部
会社という内を守るために
いったん「外」を作ってそこに飛ばすわけですよね。
全部その形になってますよね。

先日、「信頼の構造」っていう本が出てて、ご存じですか?
東大出版会から出ている本で、
非常に面白かったんですけど、
日本人は「安心」を中心に作ってきた。
基本的には、「内」の人間が安全であるために
外という外敵とどう接していくか、という形で生きてきた。
これはおそらく韓国なんかもそうだと思うんですけど、
すると、「内」はたとえ間違ってても、守る。
だけど「外」の人は敵だ、何を言われるか判らない、
全部嘘かもしれない、という不信の形でやっているんで、
信頼というものが育つ土壌が非常に少なくて、
他人ってものは、まずは敵か味方かはまだ判らない
という状態でいるはずなのに、
信頼っていう形が無いものだから、
全部まず敵であると思って。

「内」に入れたら味方になるわけですね。
その形でやっている限りは、
絶対に安心もなければ、信頼も生まれない。
アメリカの若い人たちにアンケートを採って、
同時に日本で同じ質問をしたっていう結果なんですけど、
他人は信じるに足るかという質問に対して、
日本人はね、2〜30%しか信じない。
アメリカの学生は
70何%が「信じられる」って言うらしいんですよ。
どっちが生き馬の目を抜く社会かって言ったら
当然アメリカのがそうなわけですね。
なんでもコンペティションにさらされてるし。
なのに、日本という戦いをできるだけ回避して
「安心」を中心に動いてきたはずの国に、
他人が信じられない、っていう心理が根付いている。
この現実が解剖されてる本なんですよ。
これは面白かった。
この本の結語的な部分っていうのが、
また、おもしろかった。
戦略として一番正しいのは何か、というと、
「正直」なんですよ。
つまり、
じゃあどういう立場でいたらいいのかというと
全部正直に言い続けることが、
「勝つ」方法だっていうんですね。
これは面白かった。

なんとなく時代のイメージが、
「スケルトン」じゃないかって僕ずっと思ってるんだけど、
「ここまで見えますよ、
 (ブラックボックスはブラックボックスとして
 あるんですけれども)
 ざっとこんな形してますよ」
っていうのをみんなが分かり合う。
そういう考えが、いま現在のイメージなんです。

そういう過渡期の時代に対応する商品が、
僕、スケルトン商品じゃないかと思ってるんですよ。
iMacなんかもスケルトンですけど、
機能としては透けさせる必要は無いんだけど、
なんとなく見て判ってちょうだいね、
っていうあの辺もね、
この時代のゲーム戦略として非常にフィットしてるなぁ、
と思ったんですね。

原田さんの話し方も、
こんなことを言っていいかどうか知りませんけれど、
とにかく「なんでも言う」じゃないですか。(笑)

原田 ほとんど言ってますけどね。
糸井 こんど探しておきます、その本。
特におもしろかったのが、
先人の知恵の所に結局帰結してしまうところなんですね。
正直たれ、って、おじいさんも言いましたよ。
ぼくなんか、このごろ、「徳」だとか、「信」だとか、
そういう古いコトバが魅力的に響いてしかたない。
この世界戦略がどうした、って時代に。

これからは、メガコンペティション時代なんだから
自分を磨いて精神的なマッチョを作れっていうふうに
今は誤解されてると思うんですね。
その「国際化」という概念が。
でも、それにしては原田さんの印象は、
決してマッチョな思想で生きてるように見えない。
マイクロソフトを叩きつぶせ、でもないし。

いま日本で叫ばれている国際化っていうと、
すっかり誤解して、過剰なマッチョ思想に
あわてて行こうとしてるような気がするんです。
日本人はダメだよ、アメリカ人はもっと戦って勝つんだよ。
勝ったもん勝ちだよっていう、
かなり乱暴な思想が、いまちょうど鎌首をもたげてて、
無理して息止めて
マッチョになっていこうとしてる気がするんですね。
そりゃちがうだろう、と、思うわけですよ。
もっと別のところに何かがあるはずだ。
いま、是非原田さんにお会いしたかったのは、
そこのところを、短い時間ですけれども、
そこらへんが探りたかったんです。

原田 そうですね、あの、
私はコンピュータ業界しか
毎日ほとんど接点ありませんから、
コンピュータ業界の中で言いますとね、
日本人のビジネス、ビジネスはある意味では戦いですね、
その競争モデルってのがあるんですけど、
みんな同じことをやって自分のポジションを確認しながら
勝ってる、負けてる、その確認することがまず安心。
そういうところで頑張っている、と。
追っかけられたらもっと頑張ろうと。
いや、追いつけ。
こういうモデルなんですね。
アメリカの戦い方というのは、「全く違うことをやる」。
人と違うことをやって戦っていく。
いわゆる差別化で戦うわけです。
結果的に叩きつぶすんじゃなくて
新しい世界をつくることによって、ライバルの、
彼らの今までのパラダイムは
もうユーザーが魅力を感じない・・・という。
この戦い方なんです。

従って例えば、何のためにスケルトンのiMacを出したか。
これは極めて強烈な
この業界に対するチャレンジなんですよ。
なぜコンピュータってみなベージュなんだ、と。

糸井 コマーシャルでも言ってましたよね。
原田 われわれ、まだベージュを売ってるのに、
ベージュを批判するような
コマーシャルをやってのけたわけですね。
そこはね、アメリカ人のすばらしい、
自分たちの今を否定していく部分。
いわゆる例えばビジネスで言いますと、
キャッシュカウを犠牲にしてでも
次のパラダイムを作っていく。
これがやっぱりリーダーシップの一つの姿なんですね。
糸井 スケルトンっていうのは一部の人たちに好かれるものだ
っていう認識は
どこもあったと思うんだけど、
そのスケルトンで揃えようっていうのは
喧嘩のしようがないですもんね、相手がね。
僕も一番よくお会いする「社長」って
任天堂の社長なんですけど、
あの方、随分お年を召した方なんだけど、
そっくりのこと言うんですよ。
やっぱりあの、一見なんて言うか頑固オヤジみたいに
言われてますけど、面白いんですよ。
「わしは喧嘩弱い」って言うんですよ。
「わしは喧嘩弱いし、うちの会社で
 喧嘩強い奴は一人もおらん。
 だから喧嘩はせえへんのや。
 喧嘩するような所へ行ったらわしは全部負ける。
 喧嘩せえへんところでやるから今何とかなってるのや」
すごいなぁ、と思っちゃう。
なんたって、会社の名前「任天堂」ですからね。
天に任せるっていう名前なんですよ。
原田 そうだそうだ。
糸井 最初にお会いしたとき、そのこと聞いて、
そっから知り合いになったようなもんなんですけど。
「人事を尽くして天命を待て」ですか、って、
思うじゃないですか、ふつう。ところが、
「人事を尽くして、は、いかん」って言うんですよ。
「人事を尽くしたなんて思ったら、
 だいたいたかがしれてる。天命を待つだけや」。
それでしかも喧嘩弱いって。
もう、ほんとになんて言うんだろう、
今、流行中のグローバルスタンダードの考え方の
一部の人からしたら、
なんて間違った迷信じじいだと思っちゃうでしょうけど、
生物の生存戦略として考えると、
そっちのほうが正しいと思うんですよね。
原田 私もね、切り口が違うかもしれませんが、
昔の新しいビジネス、
自動車にしてもコンピュータにしても、
新しく生まれてくるビジネスというのは
メーカー主導型で始まったわけですね。
日常品もすべて含んでですね、
全部このイニシアチブは、
「ユーザー」に来ていると思うんですね。
ユーザーにコントロールパワーをあえて渡して、
ユーザーの求める以上のものを出していく、
という企業姿勢があったところに、
そこにユーザーが来ているわけです。

シティバンクもメリルリンチも
ビッグバンでいままでの体系を
全部ぶち破ってですね、
ほんとにユーザーのニーズを越えるものを、
いろんな商品を、提供してるわけです。
コンピュータ業界も、そういうことが必要なわけです。

一社が、例えば「vaio」もヒットしているわけですね。
あっといういう間に各社、薄さ、軽さ、小ささの競争で
同じ競争してますよね。
しかしそこはもう少しユーザーを見てね。
私はもう言い尽くしたんですが、
90年にアップルに入ったときから
うちの戦い方は、よそはフットボールゲームやってるけど、
うちはフィギュアスケートだと。
敵味方で点数取り合いっこするんじゃないと。

糸井 比べようのないことを。
原田 すばらしいダンスを踊って、
オーディエンスがスコアを付けてくれる。
点の取り合いじゃないんだと。
ということでずっとやってきたつもりなんですね。
それを忘れたときにアップル、ダメになったんですよ。
糸井 やっぱり忘れた時期があったんですか。
原田 忘れた時期あったんですよ。
同じことやったんです。
パフォーマの時代ですけど。
糸井 そうですよね。そっくりですよね。

グローバルスタンダードっていう言葉が
非常にこう、新しい概念を日本人にぶつけてくれたし、
面白いことをいっぱいつくる土壌にはなったんだけど
結局「プラットホーム戦争」になってしまった。
プラットホームの戦争っていうのは、
根本的には政治の思想ですから
権力が全部抑えたときには
「言うことを聞かざるを得ない」っていう、
ユーザーを押さえ込む発想にしかならない。
と、どうしたってパワーゲームになったときには、
全資本を投じて全力を尽くして
大きい方が勝つ仕組みになる。
このゲーム戦略にみんなが伝染病のように
かぶれていくんですね。
これが辛くて辛くて。
言いようのない理不尽を感じるんです。
大きいもの勝ち、それ以外は「ない」って思想は。
それ、感じてたのは、ほんの短い期間です。

僕は、もともとは古い日本人体質だったから
グローバルスタンダードっていう考え方も、
へぇ新しい、と思ったくらいですから。
びっくりして、すげぇぞと、みんな負けちゃうぞと
思ったんですけど。
いざ全員がその考え方でパワーゲーム続けていって、
全面的に勝つまでは試合は終わらない、
弱者は生き残れないんだみたいな発想になったときに、
そんな世の中で生きたくない、と。
誰だって嫌だろうが。
負けた人間が生きていけないゲームなんて、
やっぱりまともな世界じゃないんで。
そのゲームで、敗者と言われた側が
どう戦って行くんだろうということの、ケーススタディを
ものすごく探したかったんです。
複雑系とか教えてる先生とかにメール出したりして、
そういう例をあげてる本はありませんかって聞いたら、
この考え方自体が、つまり「収穫逓増」っていう理論自体が
まだ流行して間もないんで、
それの次の発想というのは、まだ本にはなってません。
って言われて、がっかりしたんですけど(笑)。

実は、その負けたって言われてる側にも社員がいて、
生きてるわけですよね。
そこにケースがないはずがないわけですよ。
そういう目で見ていた会社がいくつかあって、
そのうちの一つの典型がアップルなんですよ。
パフォーマ出して負けました。
正直に言いますけど、負けたんだと思うんです。
プラットホーム合戦では。
その会社がどう出ていくだろうか。っていうのを
僕は野次馬的に見てたという気持ちと同時に、
自分もその立場だと思ったんですよ。
大きい組織があれば、ひとたまりもなく
僕なんかやっつけることができるんで、
そのまま簡単に大きいからって
小さいところ潰していいはずもないし、
殺されるのやだなって思ったときに、
アップルが、目に入るんですよ。
気になる。

原田 1年前に社長に就任したときに、
糸井 最悪の時期ですよね。
原田 最悪の時期です。
私、記者クラブへ行って、最初に申し上げたのが、
「私どもの業績不振は外的要因ではございません。
 ウィンドウズ95でもありません。
 内的要因です。
 アップルらしさを取り戻せば必ずお客様に
 もっともっと良い製品を届けられます」
と申し上げたんです。
私はOSのシェア戦争は負けた。
ただ、赤字を出したのは我々の内的要因だ。
それも一言で言いますとアップルの強さを忘れたんですね。
「なぜアップル」ということを
きちっとユーザーさんに伝えられなかった。
世の中ですね、
メディアの方のまさに典型的な例なんですけど、
世の中売れてるものがいい商品だ、という考え方。
これにつきあっていては、いけないわけです、ほんとは。

これだけ商品が多様化してくると、メディアも多様化する。
情報を選択する力がもっともっと強くならないと
ものを選ぶ力がですね、育ってこない。
きちっとしたバリューの提案ができたら
ちゃんとユーザーさんは賢くなるんです。
同じような情報を多チャンネルで出しても、
ユーザーさんは賢くならんわけですよ。
だから送り手に、もっと明解な
バリュープロポーションを送るっていう姿勢があったら
ユーザーさんもっともっと賢くなるんですよ。

糸井 言葉を言い換えれば、
うちは何をしたいんだっていうことを
はっきりさせるっていうことですね。
それはちょっと古いマーケティングにあったような
「お客さんがニーズとして何を求めているか調査して、
その答えを返していく」ことではなくて、
さっき仰ったように、それ以上のものを出していく。
その「以上のもの」っていうところに
人間が作るおもしろさがある、
というふうにとらえるわけですね。
原田 サプライジングさせなきゃいけないんですよ。
糸井 ぼくも、そのへんのこと、
しつこく言ってるんですけど聞いてくれないなあ、みんな。
原田 感動させなきゃいけないんです。
糸井 そうなんですよね。
僕ね、こういうたとえ話するんですよ。
シルクハット手にした手品師がね、
お客様に「何を出したらいいでしょうか」って聞いて、
みなさんがうさぎと仰ったからウサギを出します。
一回は驚く。言ったとおりのものが出てくるから。
二度も三度も、ミミズを出せだの何だの言われたときに、
出して当然になってきますよ。
それに、何を出してほしいのか、
なんてすぐに凡庸化してくる。
特に、おおぜいのお客さんにたずねたらね。
それは面白くないんじゃないの?って。
手品師はやっぱり、何を出すか
お客さんの想像を超えたもので、
驚かせないといけないんで。
その方法は、ほとんど、仕事としてできることじゃなくて、
手品師自身が「客席の感覚」でいないとできないですよね。
原田 コンスーマーであるという感覚ですよね、送り手が。

(つづく)

第2回目

第3回目

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「アップルの原田社長との雑談を読んで」と書いて、
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1999-02-05-FRI

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