夢か馬鹿か。
水中考古学って、知ってますか?

第2回 世紀の発見、タイタニック

世界中を沸かせた愛と感動の映画
「タイタニック」の数々のシーンは、
今なお人々の心をひきつけてやみません。
映画製作者はできるだけリアルにと、
生存者の証言などを手がかりに
豪華客船の沈みゆく姿を表現していました。
でも、不沈といわれた船はなぜ沈んだのでしょうか?

あらゆる憶測がなされて、わかるところはあっても、
依然としてその謎がすべて解明されたとは
言えないようです。
そして、その沈んだ船は今どうなっているのでしょうか?

毛利さんの乗ったスペース・シャトルは、
宇宙探検や地球の表面のようすを
テレビを介して茶の間で見ることができました。
でも、宇宙よりはるかに近い深海底は、
人類にとってまだまだ過酷な世界です。

1912年4月の凍てつくようなある寒い夜、
イギリスのサンプトンからニューヨーク市への
処女航海を行なっていた「タイタニック」は氷山に衝突。
アッという間に船は水浸しになり、その3時間後、
「浮かぶおとぎの国」ともてはやされたその美少女は、
1500人以上の乗員乗客とともに
北大西洋の冷たく奥深い海底に沈んでゆきました。

船は16の防水隔壁で区分された二重底の船体で、
そのうちの4つは浸水しても沈まないように
設計されていました。
その安全神話は一瞬にしてもろくも崩れ去ったのです。

船体に使われた鉄の素材に問題があったとか、
手抜き工事があったとか、いろいろ言われていますが、
ことの真相はいまだ謎につつまれています。
伝えられるところでは、3億ドルあまりの宝石類、
そのほかの貴重品が船とともに沈んでいったそうです。
米国ではこの船に積まれていた石炭が、
なんと1個30ドルで売られているとの噂です。

この「タイタニック」のような
海底で長い眠りについていた沈没船や
海底の財宝を引き揚げる話には、いつの時代にも
胸をワクワクさせられるものがあります。
88年前の沈没以来、
「タイタニック」を捜索しようという試みが
何度もあったのですが、
ことごとく失敗に終わっていました。
その原因は、正確な沈没地点が
はっきりしていなかったことに加え、
北大西洋の不順な天候や、
数千メートルという海底の深さが、
その調査を阻んできたからです。

この伝説と謎にみちた悲劇の豪華客船の捜索に
敢然として挑んだ人たちがいました。
1985年に米国ウッズ・ホール海洋研究所の
バラード博士らは、フランスチームと共同で
調査団を結成し、深さおよそ3800メートルの海底の
墓場に冷たく横たわるタイタニック号を発見しました。

巨大な船体は真二つに折れ、
船首は泥の中に15メートルほど埋まった状態で、
船尾はそれより600メートルも離れた場所に
沈んでいたのです。

1986年に再びそこを訪れた博士らは、
ソナーや船外ビデオカメラなど
ハイテク装備をした小型の潜水艇を使って
タイタニックに接近していったのです。
そのうえ今度は、潜水艇をタイタニックの船首甲板上に
着陸させ、そこから遠隔操作の小型ロボットを使って
船内をくまなく探検しました。

カメラは船内に残る豪華な品々をつぎつぎと
鮮明に写しだしていきます。
船体の鉄板には赤さびがつららのように付着し、
豪華に装飾された木の部分は木喰い虫に食べられた跡が
無数に残されています。
崩れ落ちた船内には、シャンパンやワインの瓶が
ところせましとばかりにごろごろ転がっています。
悲劇の結末を物語る数々の遺品や、
さびや沈殿物に被われたタイタニックの映像に
世界中の人々がハッと息をのんだのです。

1996年になると、沈没から84年ぶりに、
船体の一部が気の遠くなるほど深い海底から
引き揚げられました。
4個の巨大な浮き袋を使って、
水面上に引き揚げたのですが、
回収されたのは船体外側の鉄板部分で
重さはなんと20トンもあったそうです。
ニューヨークで一般公開されていました。

「タイタニック」を発見したバラード博士は、
地中海の海底に眠るローマ時代の難破船の調査の模様を、
人工衛星と水中ロボットを用いて、
アメリカの小中学生に、
現場からの迫力ある映像を
生中継で届けることに成功しました。
そして、今、バラード博士らは、
つぎの新たな海底探検に挑もうとしています。
日本でも、こんな授業が
インターネットを通じてできたら
気分はルンルンiモードだよね。

井上たかひこ


(参考にした図書)
「日経ナショナル・ジオグラフィック日本版」
1998年3月号、
ウォルター・オレクシー(関邦博・横山曠大訳)
「破船からの贈物」1990年、井上書院ほか




「水中考古学への招待」
井上たかひこ著 成山堂書店
2000円(税別)
ISBN4-425-91101-6

2000-03-08-WED

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