夢か馬鹿か。
水中考古学って、知ってますか?

第11回 黒船(6)
ニューヨーク・タイムスを追う


前回は、黒船が遭難した当時の
ニューヨーク・タイムス紙の記事のコピーを、
入手したところまで、お話をしました。

その時には言い漏らしましたが、
遭難に関する記事は、日付はちがいますが、
2度掲載されていることもわかりました。
ところが、手にしたニューヨーク・タイムス紙の活字は、
小さくて、しかも、ところどころがボヤケていて、
そのままでは、読みにくいことがわかりました。

そこでまず、そのコピーを複写機にかけ、
拡大して使うことにしました。
が、拡大した活字は、読み易くはなったものの、
ボヤケの箇所は、相変わらずというか、
前にも増して、焦点がボケてしまいます。
そのため、今度は、その原文の中で特に重要と思われる箇所を、
直接ノートに書き写してみることにしました。

この方法は、少し手間ひまがかかるのですが、
その代わり確実に理解できるというメリットがあります。
はやる気持ちを抑えながら、
まず、1869年3月29日付の記事に目を通しました。

「蒸気船ハーマン号の沈没ム乗員270名を失う」

という見出しがまず目に飛び込んできました。
続いてその下の欄には、このように記されていました。

「蒸気船ハーマン号が2月13日に
 横浜港外で知られざる岩礁に乗り上げ沈没した。
 そして270人の生命が失われた。
 船は跡形もなく海中に没し、
 ほかには何ひとつ残らなかった」

さらにその紙面には、当時の日本の提督エノマッター、
つまり榎本武揚のことが書かれているではありませんか。
この船の歴史的背景は、どうやら維新期の
箱館戦争にまつわるものであることが、
だんだんにわかってきました。

明治元年、明治新政府は王政復古を宣言し、
新政府が日本全国を支配する中央政府であることを、
各国に通告しました。しかしその頃は、
まだ「えぞ」と呼ばれていた北海道は、
旧幕府海軍副頭取であった榎本武揚率いる旧徳川勢力が、
全島を支配していました。
彼の力は、日ごとに増大し、
新政府といえども、彼を意のままに服従させ、
しかもえぞ地をすんなり返還させることは、
むづかしい情勢だったのです。

苦労して手に入れたニューヨーク・タイムス紙を
ひもどくことによって、今までオブラートに包まれていた
黒船の名前や沈没の事実、その歴史の外輪などが、
少しずつ見えてきました。
さて、つづきは、次回をお楽しみに!

井上たかひこ



「水中考古学への招待」
井上たかひこ著 成山堂書店
2000円(税別)
ISBN4-425-91101-6

2000-12-27-WED

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