第15回 黒船(10)
海難の果てに
前回は、遭難した黒船ハーマン号の損傷がひどく、
乗客全員に退船命令が出されたところまで、
お話をしました。
近隣の婦女子たちは、
衰弱しきって岸辺に打ち上げられた日本人たちを、
素肌の体熱で暖めて、蘇生させたといいます。
日本人の多くがその海の犠牲となりました。
一方、米人たちは生きのびたのでしょうか?
船長たちがボートで浜辺にたどり着いた後、
58人の士官と乗組員を点呼しました。
彼らもまた、一等航海士や水夫を含む22名
の乗組員を失っていました。
その後、船長らは、
道中の村々で手厚いもてなしを受けながら、
60マイルほどの距離をひたすら歩き続けました。
そして、江戸湾の入口に到着すると、
彼らを横浜まで運んでくれる
ボートを手に入れることに成功しました。
さて、日本人乗客たちのその後の安否については、
ひとまず後日に譲ることにして、
話はテキサスへと戻ります。
友人のサムが教えてくれた「米国の蒸気船」や
「ニューヨーク・タイムス紙」から、
思いもかけなかった日本近海に眠る沈没船の
貴重な情報を手に入れることができました。
そしてサムは、さらにアドバイスをしてくれました。
「タカ!!ペリー以来の日米の歴史をよく勉強するんだね。
そしてその蒸気船のありかを探るんだよ」
そのアドバイスは、異国の地で不自由な思いをしている、
ボクにとって、とてもありがたいものでした。
ボクは彼といっしょに住んで
心底からよかったと思っていました。
彼はボクが大学や図書館から帰ると、いつでも、
「ヘイ、タカ。ごきげんいかが?」と
必ず笑顔であいさつしてくれました。
ボクはついつい気分がよくなり、彼にご飯の炊き方や
みそ汁のつくり方などを教えました。
ボクの住んでいた
カレッジ・ステーションという名の田舎町は、
日本語でいえば、まさに大学駅で、
今でもアムトラック鉄道の貨客車が停車するほどです。
アムトラックは、アメリカの鉄道公社のことで、
日本でいえば、JRみたいなものです。
この田舎町の近くに、韓国人の経営するお店があり、
そこで味噌やわかめ、魚介類などを
手に入れることができました。
ある日、ボクは冷凍サンマを十匹ほど、その店から仕入れ、
アパートへ帰ると、さっそく焼き網を使い、
サンマを焼きだしました。
サンマの煙りがところ構わずもうもうとたち込めました。
こともあろうに、アメリカ南部のテキサスで
サンマを焼けるなどとは思いも寄らないことでしたから、
じつに痛快このうえない試みでした。
さて、つづきは、次回をお楽しみに!!
井上たかひこ
「水中考古学への招待」
井上たかひこ著 成山堂書店
2000円(税別)
ISBN4-425-91101-6
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