夢か馬鹿か。
水中考古学って、知ってますか?

第27回 古代ギリシャの難破船Part II


前回はエーゲ海に沈む古代ギリシャの難破船から
大理石の円盤が発見されたお話をしました。
バス博士たちは、その難破船から、
またまた珍しい物を拾い上げました。
それはヒュドリアとよぶ水瓶です。
瓶には二つの水平の取っ手と、
垂直の取っ手が一つ付いています。
垂直の取っ手は、
水を他の容器に注ぐとき使うのに便利です。

古代ギリシャ人は、ワインをそのまま飲むと、
「目がつぶれる」とか、
「精神に異常をきたす」と信じていました。
だから、ワインを飲むときには、
かならず水で割ってから口にしていました。
彼らが、近くの井戸や泉の水を持ち帰るのに使ったのが、
ヒュドリアでした。

そしてワインと水とは、クラテルと呼ばれる別の土器に
注がれ混ぜ合わされていました。
いわばワインと水のカクテルです。
この水割りされたワインは、
ひしゃくを使ってピッチャーに移され、
最後に、ピッチャーから取っ手のついた
小さな盃に注ぎ飲まれていました。

ナショナル・ジオグラフィック(2002年3月号)によると、
海底からは同型のヒュドリアが大量に見つかりました。
どうやらこれらの水瓶は、
商品として積み込まれていたようです。
船は、エーゲ海のキオス島周辺を定期的に巡航する
小型の交易船だったのです。

バス博士らのその後の調べで、船が沈んだのは
紀元前440〜425年頃であることが判明しました。
アテネのパルテノン神殿の落成が、紀元前438年ですから、
博士らが目にしたのは、
まさに古代ギリシャの絶頂期にあった時代に活躍した
船のひとつだったと言えそうです。

この頃のアテネはエーゲ海一帯を支配していました。
ギリシャ本土は、2,000メートルを超す高い山々が
南北に連なり、海岸近くまで迫っています。
そのため、ブドウ、オリーブ、イチジクなどの
果樹栽培には適していますが、農業に適する土地が少なく、
穀物の生産は不足気味にならざるを得ませんでした。
足りない穀物を求めて、近隣諸国との交易が
早くから始められていたわけです。
つまり、アテネの富と繁栄は船を介することによって、
初めて実現が可能だったともいえるのです。

「海の色に染まる ギリシャのワイン・・」
という歌がありました。
数年前のギリシャ訪問時に、
アクロポリスの丘にそびえ立つ、
ライトアップされたパルテノン神殿の気高い美しさを、
ホテルの屋上レストランから仰ぎ見たことがあります。
今度はそこで、水割りワインを
ぜひ飲み干してみたいものですね。

さて、つづきは、次回をお楽しみに!

井上たかひこ



「水中考古学への招待」
井上たかひこ著 成山堂書店
2000円(税別)
ISBN4-425-91101-6

2004-10-17-SUN

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