『明日の記憶』とつきあう。糸井重里、樋口可南子さんへのインタビュー。




第4回 描くのは、堤監督。
樋口 謙さんの軽やかさとスタッフとの
ちょうどいい中継地点に、
堤監督は、いてくれました。
空気の動かし方が
ものすごくうまいんです。
糸井 堤監督は、
「自分の名前が入らなくてもいい」って
言っていたもんね。
無名の「役に立つ人」として、そこにいたんだよ。
それは、映画を観ててわかります。
いろんな演出方法や技術はあって、
やるんだったらこういうふうにできますけど
どうしましょうか、というような
かんじだったんだろうな。
樋口 そうそう。たとえば
「監督、このセリフ、どうでしょう?」
って言うと、
「あ、なくしていいですよ」
って、サラッと言うんですよ。
「え? なくす?!」(笑)。
糸井 「こだわり」というのと、逆だよね。
樋口 まったく逆。そのかわり、
必要な無駄もふくめて
残さなくちゃいけないものは確実に残す。
あとは自由に動かしてくれる監督だった。
糸井 すごいよなぁ。
樋口 うん、すごい。
綿密にプランしていたシーンを
現場を見て「いらないや」と、
サーッとなくしてしまえる監督って、
大人だな、と思った。
すっごい、大人です。
糸井 大人だよな。
うん、大人だよ。
樋口 「言いにくいセリフがあったら
 教えてください。
 僕、どんどん考えますから」
と、監督はいつも私に訊いてくれました。
ほかのシーンを撮っている最中に
上の階でモニターを見ている監督から
「セリフ直したよ」って、
新しいセリフが書かれたメモが
ピラピラピラ〜って舞い降りてくるんです。
「監督、ここをもうちょっと」
と言うと、
「わかった!」
と、また紙がピラピラピラピラ〜って来る。
そうやって、その日のセリフが決まるんです。
スピードがあって、決断がすごく早くて、
流れがいい。
その日の現場でいちばん大事なことを
残していくあの感じが、
撮影が気持ちよかった原因かもしれない。
「今日はこう決まってますから
 このとおりにやってください」
と言われるんじゃなくて、
謙さんがいて、私がいて、
ここは残して、あとは自由。
糸井 そんな現場にいたら、そりゃあ楽しいでしょうね。
樋口 うん。
糸井 スケジュールからみても、
そうとう無理に組んでた印象があるけど、
楽しそうにやってた。
樋口 その時期に、ほら、
ちょうど糸井が
親知らずの手術で入院したでしょ。
ほぼ日 あ、あの時期‥‥。
樋口 きつかったよ、
病院の撮影のあとに病院に行くのが(笑)。
でね、謙さんが
「糸井さんが麻酔から覚めたら
 やさしい顔をするんだよ」
と、教えてくれたんです。
「麻酔から覚めたあととというのはね、
 やさしい、いい笑顔が見えると
 いいもんなんだ、うれしいもんなんだ」
って。謙さんがそう言うんだから、
ほんとうなんだろうな、って憶えておいたんだけど、
実際は、
「おーい、おーい!」
と、声をかけるだけで精一杯だった。
笑うなんてできないよ(笑)。
糸井 俺は、「笑顔」を望むことなんて
気づいてもいなかったけど。
樋口 でも、そんな時期も、
あの撮影の流れのなかにいたから
ふつうにすごせたんだと思う。
それは、やっぱり、
堤監督の力が大きいです。
ほぼ日 映画全体の運びが気持ちいい、というか、
思いきりのいいカットの連続ですね。
樋口 もうちょっといくのかな、というところを、
スパーンと切っていたりすることもある。
悲しいことで溺れそうになるところも
ブチっと切っちゃったりしてる。
糸井 30秒余計に描くだけで
ぜんぜん違う映画になっただろうな、
と思うシーンもあるね。
それは、お客さんをどこに連れて行くかを
監督や渡辺さん、樋口さんやほかのみなさんの
あの映画の寄り合いが、
ちゃんとわかっていたからだよね。
今の時代の寓話にしていくということを
きちんと決めて、
みんなが同じところを見ていたから
できたんだろうと思う。
樋口 きっと謙さんが、
あの堤監督を指名したという決断に、
そもそもすべてがあったんだと思う。
この物語をしんどくせずに、
でも、ちゃんとテーマから
ぶれることなく撮ってくれる人を
謙さんは望んでいたんでしょう。
セリフやシーンのコンセプトを
変えることについても、
堤監督は決断が早かったです。
いちいちじっくりしていたら、
現場も重くなってしまったと思う。
糸井 それが、あの映画全体に
大きくかかわることになったね。
きっと、リアルを追究したい気持ちも
あったと思います。
でも、あそこまでやったなら、
表現なのか、嘘なのかも、
どっちでもよくなるんじゃないかな。
樋口 電車のシーンについても、
謙さんのメモを見ると、
電車賃や乗り換えの駅のホームの番号まで、
こまかいところまで自分でちゃんと調べて、
書いてありました。
すべてを計算して、飛ばしたり引いたり、
突っ込んだりしていた。
糸井 こんな状況になったときに人が見る夢、
その画をみんなに見せているんだ、
という自信が
この映画に関わった人たちに
あると思います。

(つづきます)

2006-04-28-FRI



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