じぶんで決める、じぶんの仕事。 『アルネ』の大橋歩さんに、糸井重里が聞きました。
 


第2回 23歳の女の子を、主役にする監督。

糸井 よく描けたのかどうかわからなくとも、
ちゃんと描けたと思った作品を
編集者にドキドキしながら渡して、
「いいですね」って言われたら
嬉しいですよね。
大橋 はい。
自分でよく描けたと思うものも
中にはあったし、
これはあんまりよく描けてないかなって
いうのも多分あったと思うんですね。
ところが、編集のえらい方が、
私が、よく描けてないなって思ってる方を、
「いいねえ」って、おっしゃったりとか、
私がすごくよく描けたなあと思ってるものが、
あまり、評判がよくなかったり
することも多かったんです。
それで、あんまり、自分の判断で、
いい、悪いを決めない、決めつけない、
というふうにしていたかもしれませんね。
糸井 毎週表紙をお描きになっていたから、
「今週はできませんでした」って
わけには絶対いかないですよね。
必ず、締め切りがあって、
1週間毎ってそんなに長くはないですよね。
大橋 そうですね。
ですから‥‥自信がないから、
1号につき、7枚ぐらい描いていたんです。
その中で、編集のえらい方が
表紙に使う1枚を選んでくださっていた。
7枚描くのは全然問題ないんですね。
ところが、そのうちに、困ったのは、
描くテーマがなくなってきちゃったんです。
元々、生活の中のシーンって、
そんなにたくさんないので。
それで苦痛になってきて、
3枚になったりとか、
糸井 ああ、7枚ずつ毎回描いていたら
ネタが尽きるっていうことですね。
それは、そうですよね。
だって、いわゆる町の風俗を
描いてるわけですし、
表情で変化をつけて
描く絵じゃなかったわけですから。
顔はなるべくマネキンに近いような、
無表情に近いものを
あえて描いてらっしゃったんですよね。
大橋 あまりそういうふうにしようと思って、
描いてたわけじゃなかったのですけれど。
 
 
   
『平凡パンチ』の装画のかずかず。
若者たちのさまざまな情景を
7年半にわたって、描きつづけた。
糸井 ああ、ファッションとか体のかたちとか、
何をしてるのか、というようなことが
描かれてましたよね。
大橋 はい、はい。
糸井 それで毎週7種類描くって
ちょっと難しいですよ‥‥!
大橋 なかなか大変でしたね。
でも当時、編集局長をしてらした、
私を起用してくださった、
清水達夫さんていう方は、
私が7枚描いていくと、
1枚使えば6枚を保存用として、
いつ何時どういうことになるかも
わからないって思って
いらしたんじゃないかなと思うんですね。
  【註】
清水達夫:1913年東京生まれ。
1945年、平凡出版(現・マガジンハウス)の前身である凡人社の設立に参加、
『週刊平凡』『平凡パンチ』『anan』を創刊し、編集長をつとめた。
1975年、平凡出版の社長に、1988年、マガジンハウスの会長に就任。
1992年没。
糸井 いざとなったら‥‥
大橋 それをまた‥‥
糸井 それは編集者がやっぱり
企みとして上手ですね。
大橋 私、大学を卒業して──1年浪人してるから
23歳だったんですけども──そのときに、
週刊誌の表紙に起用っていうのは、
大決断だと思うんですね。
そして、何しろ、女じゃないですか。
糸井 すごいと思います。
つまり男性雑誌ですからね、
『平凡パンチ』というのは。
女性の大橋さんが23歳で
毎週その表紙をやるっていうのは、
当時のイメージでいったら、
週刊新潮の表紙を谷内六郎さんがやっていた、
あるいは今で言えば、
週刊文春の表紙を和田誠さんがやっている、
そういうようなことですから、
とんでもないと思いますよ、やっぱり。
大橋 そうですよね。
すごい起用だったなあと思います。
でも、だからやっぱり本当は
とても心配なさっていて、
なるべく多く描いてきてもらった方がいい、
みたいな気持ちは、
もしかしたらあったかなと思います。
糸井 だからその自信のない若い女の子、
──そういう言い方はもう、
今更しょうがないですけど、
女の子ですよ、ただのね。
大橋 はい、そうです。
糸井 で、「さすがだ」「すごいね」
っていうような、
何ていうか、ピリピリ来るような
天才ぶりとかっていうんじゃなかったって、
いろんなことを読むと書いてありますし、
おそらくそうだったと思うんです。
大橋さんって。
大橋 はい、うん。
糸井 で、そういう子を
選手として活躍させるための監督の仕事って、
やっぱりね、かっこいいですよね。
大橋 やっぱり清水さんていう方が、
そういうふうに舵を
取ってくださらなかったら、
「ようやく一年もったね」みたいなことに
なったかもしれませんけれども。
清水さんはそこのところ、
上手に引っ張ってくださって。
でもあまり口数の多くない方だったんです。
糸井 ああ、そうなんですか!
大橋 でもとにかく、
この方を信じて描いていけば、
大丈夫かなっていう(笑)。
糸井 最高の恵まれ方ですよね。
そんな人をみんな、若い人は多分、
待ってるんじゃないかな。
そんな人さえいれば
私は何とかなるって(笑)。
これはよく冗談で言うんですけど、
僕はほんとに‥‥
役者になりたい人間なんですよ。
大橋 そうだったんですか!
糸井 芝居がやりたくてやりたくて
しょうがないんですよ。
でも本当にできないんですよ(笑)。
その出来なさ加減が、
人並みはずれてるんです。
大橋 え?
糸井 本当にできないんです。
で、いつか俺をちゃんと使ってくれる人が
いたら、うまいのにな、って(笑)。
それはね、今までは恥ずかしいから
言わなかったのに、
最近はもう平気で言うんですけど。
ほんとに好きなんです。
大橋 はい。
糸井 それで、あいつの芝居は
やっぱ、あれ、だめだなぁ、
とかって思って、
イジワルに見てるんです。
大橋 (笑)はい。
糸井 そういう人間なんですよ。
絶対自分はできないんですけど、
でも本当の俺のこの素質は、
ほんとに素晴らしい監督が現れたら
何とかしてくれるんじゃないかな!
って。
会場 (笑)
糸井 で、若い子はみんな、
そういうことを、思っていますよ。
きっと。
何か足んないんだよなー、と。
この蓋さえ開けてもらえたら、って。
大橋 (笑)なるほどね、うん。
糸井 ね。大橋さんにはそういう
足長おじさんみたいな人が
いたわけですね。
大橋 そうです。
糸井 それ、すごいことですね。
(つづきます!)
2007-02-02-FRI
協力=クリエイションギャラリーG8/ガーディアン・ガーデン
 
 


(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN