糸井 |
よく描けたのかどうかわからなくとも、
ちゃんと描けたと思った作品を
編集者にドキドキしながら渡して、
「いいですね」って言われたら
嬉しいですよね。 |
大橋 |
はい。
自分でよく描けたと思うものも
中にはあったし、
これはあんまりよく描けてないかなって
いうのも多分あったと思うんですね。
ところが、編集のえらい方が、
私が、よく描けてないなって思ってる方を、
「いいねえ」って、おっしゃったりとか、
私がすごくよく描けたなあと思ってるものが、
あまり、評判がよくなかったり
することも多かったんです。
それで、あんまり、自分の判断で、
いい、悪いを決めない、決めつけない、
というふうにしていたかもしれませんね。 |
糸井 |
毎週表紙をお描きになっていたから、
「今週はできませんでした」って
わけには絶対いかないですよね。
必ず、締め切りがあって、
1週間毎ってそんなに長くはないですよね。 |
大橋 |
そうですね。
ですから‥‥自信がないから、
1号につき、7枚ぐらい描いていたんです。
その中で、編集のえらい方が
表紙に使う1枚を選んでくださっていた。
7枚描くのは全然問題ないんですね。
ところが、そのうちに、困ったのは、
描くテーマがなくなってきちゃったんです。
元々、生活の中のシーンって、
そんなにたくさんないので。
それで苦痛になってきて、
3枚になったりとか、 |
糸井 |
ああ、7枚ずつ毎回描いていたら
ネタが尽きるっていうことですね。
それは、そうですよね。
だって、いわゆる町の風俗を
描いてるわけですし、
表情で変化をつけて
描く絵じゃなかったわけですから。
顔はなるべくマネキンに近いような、
無表情に近いものを
あえて描いてらっしゃったんですよね。 |
大橋 |
あまりそういうふうにしようと思って、
描いてたわけじゃなかったのですけれど。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
『平凡パンチ』の装画のかずかず。
若者たちのさまざまな情景を
7年半にわたって、描きつづけた。 |
|
|
|
糸井 |
ああ、ファッションとか体のかたちとか、
何をしてるのか、というようなことが
描かれてましたよね。 |
大橋 |
はい、はい。 |
糸井 |
それで毎週7種類描くって
ちょっと難しいですよ‥‥! |
大橋 |
なかなか大変でしたね。
でも当時、編集局長をしてらした、
私を起用してくださった、
清水達夫さんていう方は、
私が7枚描いていくと、
1枚使えば6枚を保存用として、
いつ何時どういうことになるかも
わからないって思って
いらしたんじゃないかなと思うんですね。 |
|
【註】
清水達夫:1913年東京生まれ。
1945年、平凡出版(現・マガジンハウス)の前身である凡人社の設立に参加、
『週刊平凡』『平凡パンチ』『anan』を創刊し、編集長をつとめた。
1975年、平凡出版の社長に、1988年、マガジンハウスの会長に就任。
1992年没。 |
糸井 |
いざとなったら‥‥ |
大橋 |
それをまた‥‥ |
糸井 |
それは編集者がやっぱり
企みとして上手ですね。 |
大橋 |
私、大学を卒業して──1年浪人してるから
23歳だったんですけども──そのときに、
週刊誌の表紙に起用っていうのは、
大決断だと思うんですね。
そして、何しろ、女じゃないですか。 |
糸井 |
すごいと思います。
つまり男性雑誌ですからね、
『平凡パンチ』というのは。
女性の大橋さんが23歳で
毎週その表紙をやるっていうのは、
当時のイメージでいったら、
週刊新潮の表紙を谷内六郎さんがやっていた、
あるいは今で言えば、
週刊文春の表紙を和田誠さんがやっている、
そういうようなことですから、
とんでもないと思いますよ、やっぱり。 |
大橋 |
そうですよね。
すごい起用だったなあと思います。
でも、だからやっぱり本当は
とても心配なさっていて、
なるべく多く描いてきてもらった方がいい、
みたいな気持ちは、
もしかしたらあったかなと思います。 |
糸井 |
だからその自信のない若い女の子、
──そういう言い方はもう、
今更しょうがないですけど、
女の子ですよ、ただのね。 |
大橋 |
はい、そうです。 |
糸井 |
で、「さすがだ」「すごいね」
っていうような、
何ていうか、ピリピリ来るような
天才ぶりとかっていうんじゃなかったって、
いろんなことを読むと書いてありますし、
おそらくそうだったと思うんです。
大橋さんって。 |
大橋 |
はい、うん。 |
糸井 |
で、そういう子を
選手として活躍させるための監督の仕事って、
やっぱりね、かっこいいですよね。 |
大橋 |
やっぱり清水さんていう方が、
そういうふうに舵を
取ってくださらなかったら、
「ようやく一年もったね」みたいなことに
なったかもしれませんけれども。
清水さんはそこのところ、
上手に引っ張ってくださって。
でもあまり口数の多くない方だったんです。 |
糸井 |
ああ、そうなんですか! |
大橋 |
でもとにかく、
この方を信じて描いていけば、
大丈夫かなっていう(笑)。 |
糸井 |
最高の恵まれ方ですよね。
そんな人をみんな、若い人は多分、
待ってるんじゃないかな。
そんな人さえいれば
私は何とかなるって(笑)。
これはよく冗談で言うんですけど、
僕はほんとに‥‥
役者になりたい人間なんですよ。 |
大橋 |
そうだったんですか! |
糸井 |
芝居がやりたくてやりたくて
しょうがないんですよ。
でも本当にできないんですよ(笑)。
その出来なさ加減が、
人並みはずれてるんです。 |
大橋 |
え? |
糸井 |
本当にできないんです。
で、いつか俺をちゃんと使ってくれる人が
いたら、うまいのにな、って(笑)。
それはね、今までは恥ずかしいから
言わなかったのに、
最近はもう平気で言うんですけど。
ほんとに好きなんです。 |
大橋 |
はい。 |
糸井 |
それで、あいつの芝居は
やっぱ、あれ、だめだなぁ、
とかって思って、
イジワルに見てるんです。 |
大橋 |
(笑)はい。 |
糸井 |
そういう人間なんですよ。
絶対自分はできないんですけど、
でも本当の俺のこの素質は、
ほんとに素晴らしい監督が現れたら
何とかしてくれるんじゃないかな!
って。 |
会場 |
(笑) |
糸井 |
で、若い子はみんな、
そういうことを、思っていますよ。
きっと。
何か足んないんだよなー、と。
この蓋さえ開けてもらえたら、って。 |
大橋 |
(笑)なるほどね、うん。 |
糸井 |
ね。大橋さんにはそういう
足長おじさんみたいな人が
いたわけですね。 |
大橋 |
そうです。 |
糸井 |
それ、すごいことですね。 |
|
(つづきます!) |
2007-02-02-FRI |
協力=クリエイションギャラリーG8/ガーディアン・ガーデン |