KETTAフェスティバルって、何だったのかな。
こんにちは。
前回の続きで、
名古屋KETTAフェスティバルです。
終わってある程度時間が経ってみて、
あれは何だったのか?ということを思い返してみます。
自転車のイベントは、
レース、見本市、サイクリング大会などなど
いろいろあります。
でも、それらとKETTAフェスはどう違ったのかなぁ?
ということを考えると思い出されるのは、
主催者である原啓祐さんのおっしゃっていた、
「自転車に関することは何でもあり。」
という力強い言葉と、
それを持続させたパワーだったと思います。
一種の緊張感がありました。
それは悪いことではありません。
たとえば、こういう場面がありました。
KETTAフェスティバルのオープニング。
各イベントの紹介が行われました。
その中には、サイクリング協会が呼びかけた、
名古屋市内のサイクリング大会があり、
また、名古屋の自転車乗り有志が呼びかけた、
クリティカルマスも行われました。
イベント紹介の短い間に、
サイクリング大会は、歩道を走りますを宣言し、
クリティカルマスは、車道を走りますと宣言しました。
そこに、前述の微妙な緊張がありました。
僕にとって、KETTAフェス一番のポイントは、
こういった矛盾と言っていいようなものでした。
説明が必要ですよね。
以前も書いたんですが、自転車は道交法上車両なので、
車道を走行するのが基本になっています。
でも、70年代末にクルマの増加による
交通事故死の増加を受けて法律が改正されました。
簡単に言うと、自転車は歩道も走ってもいいよ、
ということなったんです(超要約ですが)。
以降、自転車の立場はあいまいになりました。
自転車が安全に走る空間の整備も後回しになって、
つまり今僕たちが日常的に見ている光景になったんです。
こういった状況で、自転車が街を走る、
それも複数台でということになると、
どちらを走るべきかということが問題なるという訳です。
あくまでも法律に則して車道を走れば、
今の日本の道路状況や習慣、
自転車に関する社会的な認識から言うと、
「自転車が車道を走るなんて、危ない。」とか、
「自転車が車道走るなよ、歩道走ってろよ。」
という意見がぶつけられることになるのです。
クルマのドライバー、歩行者、
そして決して少なくない自転車乗りからも、です。
逆に歩道を走れば、歩行者に対して強者となり、
どれだけ慎重に走ることを心がけても、
歩行者に対して脅威になる可能性があります。
しかし、日本の自転車をめぐる現状では、
そのような可能性に目をつぶってでも、
歩道を走行することが、コンセンサスになっています。
このどちらが正しいのか?答えを出すことは難しい。
歩道派、車道派、どちらにもそれ相応の理があって、
意見の対立は平行線をたどってしまいます。
そしてこういった矛盾しかねない要素を
そのまんま同じ時間空間に共存させてしまったこと、
これが僕にとってKETTAフェスの魅力でした。
KETTAフェスは新聞・TVにも取り上げられ、
大きな反響を巻き起こしました。
間違いなく来年以降も続いていくでしょう。
イベントとして洗練されて、もっと楽しめるものになって、
僕たちのサイクルカフェも、もっと人気になって欲しい。
でも、実はスゴク難しいことなんだけど、
上で書いたような、一種の矛盾や危うさを恐れず、
来年以降も残していって欲しいと感じました。
それは、どういうことかと言うと、
自転車という立場のあいまいな乗り物の、
その時点の見取り図であって欲しいということです。
あいまいな空間を走るあいまな乗り物、自転車。
とっても身近で魅力的な乗り物なのに、
時としてとっても迷惑な乗り物。
それだからこそ、自転車について考えることは、
たくさんあるんです。
そういった意味で頭を整理してみると、
KETTAフェスティバルは、正直なイベントでした。
この正直さを、僕は大切だと思うし、
正直であり続けるべきだと思う。
Ride Safe!
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