自転車思想。
チャリンコは、未来そのものの顔をしている。

第49回 NYのメッセンジャーのこと。

エノモトです。
メッセンジャーの目から見た、
9/11〜9/12をお伝えさせてください。
11日の夜11時過ぎに、僕は事件の第一報を知りました。
まさに全身が総毛だちました。
NYのメッセンジャーたちのことが気になります。
以前書いた、女の子はどうしてるだろう?
家にはテレビがないので、
ラジオをインターネットで情報収集をしました。
と、同時にNYのメッセンジャーと、
留学中の友人にメールを送りました。

「こりゃぁ、今夜は眠れないなぁ」

と思ったものの、2時半には猛烈な睡魔に襲われました。
前日の嵐で、疲労しきってましたからね。
僕の体って、正直だなぁ…。
とりあえず、ラジオを付けっぱなしで寝ちゃいました。
朝6時半に目が覚めると、
NYのスティーブからメールが来ていて、

「たまたま体調悪くて、休んでたんだよ。
 オマエも仲のいい、Hはその時WTCに行ってたんだけど
 無事だったと電話があったよ。
 他のやつらは、まだわからない。」

という内容でした。
NYには4千人くらいメッセンジャーがいます。
特に、マンハッタン南側の金融街は、
メッセンジャーが活躍するヒノキ舞台、
多くが巻込まれているんだろうなぁ、と思いました。
朝食を食べて、家を出たのが8時ちょっと前。
東京の通勤・通学風景はいつもと同じでした。
それが、かえって「ホントのことなんだなぁ」という
印象を僕に与えました。
渋谷駅から恵比寿駅に向かっている最中に、
いろいろなことが頭に浮かんできて、
思わず涙が溢れてきました。

混乱したまま、芝にある事務所について、
早速仲間のメッセンジャーに電話を入れる、
そして、スティーブから来たメールの内容を伝える。
その時も、自分の感情をうまくコントロールできなくって、
電話しながら泣いた時もありました。
しばらく放心状態になってしまい、
周囲のススメもあって、午前中は休ませてもらいました。
ホントは仕事なんかしたくない、
でも、こういう時に仕事を拒否するのもなんだかなぁ、
思い悩んだあげく、昼前から仕事を開始しました。
その前に一仕事。
使い古したタイヤチューブと、バッジを使って、
左腕に付ける喪章を作りました。
まぁ、自己満足と言えばその通りなんですが、
自分はこの事件を真剣に受け止めてるぞ、
というアピールをしたかったんです。
お客さんは、誰も気づかなかったですけど。

体調は、特に悪くなかったんですが、
何だか、走っていても体の芯に力が入りません。
アメリカ大使館の前は多数の報道陣、
霞ヶ関には、いつもの数倍の警備員と警官がいました。
テレビ局は、一見賑やかでしたが、
オフィスに入るとピーンと張り詰めた空気です。
こういうのって、僕けっこう敏感なんですよね。
大手外資系証券会社が入っているビルは、
入り口が1つに制限され
ビル入館時にチェックを受けます。
でも、所属会社名と、苗字、行き先を書くだけ。
荷物検査もなし。こんなんでいいのかぁ?
渋谷・原宿は、普段と変わらない感じ。
それが、逆に怖い。
最後の届け先は、霞ヶ関の経済産業省。
全くノーチェックで建物に入れました。
確かに、仕事はしやすいけど、
この事件が、これからどういう展開をするのか、
想像すると、この警備状況はハッキリ言って不安です。
早急に改善されるべきだと感じました。
別に不安を煽るつもりはありませんが、
犯行者側からすれば、
残念ながら日本はアメリカの協力者だし、
世界経済に影響を与えるつもりだったら、
NYの次はロンドン、東京を狙うかもしれないのに。

う〜ん、不安をかきたてないように、
ああいう警備なのかなぁ?
だとしたら、それは甘いんじゃないか、と感じました。
バイク便とか、メッセンジャーだったら見なれてる?
そういうのは、ワキが甘いような気がしてなりません。

以上、ほとんど熱に浮かれたように書きました。
言葉が足らない部分もあると思います。
反感を持った人もいるかもしれません。
でも、どんな人でも、どんな時でも、
否応なく巻込まれてしまう、
“何か”というものがあるらしくって、
その“何か”が、簡単に拒否できない時、
僕らは、“何か”とどう付き合っていくのか?
っていうか、その”何か”って何なのよぉ??
そういうことを考え、悩み続けていたいと思います。

全ての人の心に花を、くちびるに歌を、
そして、できれば、足にペダルを。
Ride safe & Peace、スマイル!

2001年9月13日 午前0時
榎本 雄太

2001-09-14-FRI

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