HOBO NIKKAN ITOI SHINBUNHOBONICHI BOOKS
かならず先に好きになるどうぶつ。

『かならず先に好きになるどうぶつ。』について。

ほぼ日刊イトイ新聞永田泰大

糸井重里のことばは、
どんどん糸井重里から離れているのではないか、
ぼくはそう思うのです。

糸井重里のことばをまとめる本で、
いきなりことばの立ち位置を
遠くへ追いやるようなことを言ってすみません。

この本は、糸井重里が
ほぼ日刊イトイ新聞に書いた1年分の原稿と、
1年分のツイートから、
印象深いことばを切り出してつくられています。

著者の意向とはある意味で無関係に、
綴られたたくさんのことばから1冊の本をつくる。
この試みは2007年にはじまり、
最初の『小さいことばを歌う場所』から
ほぼ年に1冊のペースで続いて、
この『かならず先に好きになるどうぶつ。』が
13冊目となります。

すごく正直に言ってしまえば、
著者である糸井重里自身に、
じぶんのことばを本にするという強い動機が
あるとはいえないのですが、
それでもやはり本は多くの読者に待たれていて、
その最新作をいまこうして
みなさまに紹介できるということを
担当編集者としてはとてもうれしく思います。

13冊目をまとめて終えてなお、
ぼくはこの仕事が好きです。
糸井重里のことばをおもしろく感じますし、
あらためて読んで驚かされますし、
編集しながらさみしさを共有したり、
何度読んでも同じ箇所で吹き出したりします。

さて、その糸井重里のことばが、
糸井重里自身からどんどん離れていくようだと
冒頭にぼくは書きました。

いってみれば、ぼくは糸井重里のことばを、
毎年1冊の本をつくるという立場から観測している
ことばの天文台の係員のようなものです。
毎晩、毎年、空を見上げては、
おもしろくそのことばを記録し、
ぼんやりと立ち上る対象の大きな傾向を
発見したと感じたときには、
はー、そうなのか、
と深夜にため息をついたりもします。

そしてぼくは、今年の本をつくりながら感じたのです。
糸井重里のことばは、
糸井重里自身から、
離れていっているのではないか。

もちろん、ことばは糸井重里の本質です。
離れていても別々には決してなりません。
けれども、ことばと同じ場所に糸井重里はもういない。
どうもそんな気がするのです。

それで糸井重里のことばが
リアリティを失うかというとむしろ逆で、
それをぼくはとてもおもしろく感じるのですが、
当人とことばのあいだに距離が生じるからこそ、
ことばはある意味、発した当人から独立した存在として、
大きく豊かになり、違った輝きをまとって、
結果的に遠くまで届くようになる。

たとえ話をさらに重ねるようで恐縮ですが、
彗星になぞらえて言えば、
糸井重里のことばというのは、
当人を核としたほうき星の尾のようなものです。
たなびく尾を遠くの空に発見して、
ぼくらは「おお」と声をあげたりするけれども、
本体はその先へ幾分孤独にどんどん進んでいる。
そして、おそらく、進む彗星自身は、
尾のことなどほとんどあずかり知らない。
ぼくは、そんなふうなイメージを重ねます。

観測員として仮説を続ければ、
ことばが遠ざかったきっかけはふたつあって、
ひとつは2008年の吉本隆明さんの
ことばだったのではないかと思います。

何十年もの間、糸井重里にとって、
大きなこころの拠り所だった吉本隆明さんは、
晩年にたどり着いたひとつの境地として
こうおっしゃいました。

「言語のほんとうの幹と根になるものは沈黙である」

コミュニケーションにおけることばは、
植物でたとえるなら花や葉や実のようなもので、
季節によって変わったりなくなったりする。
その意味で、重要なのは、ことばではなく、
その根っこのところにある「沈黙」なのだ。

吉本さんが「芸術言語論」のなかに掲げた
このテーマに糸井重里は強い関心を抱きました。
おそらく、広告業界から抜け出して、
ほぼ日刊イトイ新聞という
じぶんの場をつくった糸井重里にとって、
「ことばで表現されたもの」よりも
「ことばで表現されるまえのもの」のほうが
大事なのだという考え方は、
とても腑に落ちるものだったのではないでしょうか。

そして、ことばが離れていった
もうひとつのきっかけは、
2011年3月11日に起こった東日本大震災です。

突然日本を襲った未曾有の震災によって、
たくさんのことばがあふれました。
善意、悪意、情報、嘘、喜怒哀楽。
膨大なことばがひっきりなしに飛び交い、
多くの人はことばを追うだけでひどく消耗しました。

ことばは、ときに誰かを落ち着かせたり、
見事な解決を導いたりもしたのですが、
利用もされましたし、混乱の源になったりもしました。
そんななかでも糸井重里は
毎日休まず原稿を書き続けました。
ことばが誤解や混乱を招く渦のなかで、
毎日休まず原稿を書き続けました。

そういった時期を経て、
糸井重里はことばからだんだん離れていった。
ただしそれは、ことばをあきらめたり、
ことばに絶望したからではなく、
ことばよりも優先すべきものを
彼が見つけたからではないでしょうか。

わかりやすくいえば、
糸井重里は行動する人になったとぼくは思っています。

といっても、黙々とミッションを遂行したとか、
真っ先に現地に駆けつけるようになったとか、
そういう、モードの切替のようなことではありません。
ことばよりも、見たり、考えたり、笑ったり、食べたり、
歌ったり、寝たり、生まれたり、悲しんだり
することのほうを、じぶんの出発点として、
いっそう信頼するようになったと思うのです。

同じ会社で働くものとして実感するのですが、
この10年で、糸井重里の移動量はとても増えました。
個人の性質としてはそれを好むタイプではなかったと
本人も実際に認めているのですが、
必要と感じれば日本中のあちこちへ行くようになりました。
そして、多くの人に会うようになりました。
以前もたくさんの人に会ってはいたのですが、
会う人の種類がより多層的になりました。
端から見れば昔は避けていたような人にも
おもしろがって会うようになりました。

じぶんの部屋にひとりでいて、
じっくりと考えて何かを作り出す‥‥
かつての糸井重里にはそんな印象があったのですが、
いまは違います。

大仰な言い方をすれば、
生きる手応えがそうさせたのだろうとぼくは思います。
とりわけ、率いる会社の規模が大きくなり、
社会的な責任も肩に加わるようになってからは、
「何を言ったか」よりも「何をしたか」のほうに、
じぶんの体重をかけていったような気がします。

糸井重里のことばが
糸井重里から離れていっている、
といったのは、そういうことです。

それでは、ことばはないがしろにされたのか?
とんでもない。

ここは強く断言しましょう。

糸井重里のことばは、
もともとのちからがぜんぜん違うのです。
出てくることば、書かれることば、
選ばれることば、省かれることば、
そういったちからがとてもあるのです。

たとえば晩年の野球選手は、
球速が上がらず、
変化球で巧みにかわす投手になったり、
飛距離が落ちてホームランが少なくなり、
勝負強いピンチヒッターに自分の役割を見出だしたりします。
ところが、糸井重里のことばは、
いまも豪速球なんです。
ただ、ほんとうのことなんです。

エピソードを話しましょう。
先日、社内であるポスターをつくることになり、
そこにつかわれるメインのことばを
数十人の乗組員が書きました。
それを糸井が審査することになっていましたから
(けっこうめずらしいことです)、
ぼくはその束を持って糸井のところに行きました。

机の上にそのことばの候補を並べると、
糸井は、まったくもったいつけることもなく、
どんどんそれを片付けはじめました。
よくないなと思ったものを机から取り除いていくのです。
軽い集中はありましたが、
糸井自身はまったくカジュアルで、
ルーティーンの作業をしているかのようでした。
驚いたのは、とにかくその絞り込みが速いのです。

迷いはまったくなく、ときどき感想を言うのですが、
それがまさにそのとおりだというコメントで、
ぼくと同席した乗組員は、
はぁ、うわぁ、そうか、などとうなるばかりでした。

そしてことばは三つくらいに絞られて、
そこで少しだけ糸井は時間をつかいました。
身も蓋もないことをいえば、
その場に「圧倒的に優勝!」ということばが
なかったからだと思います。

こういうときに、これかなと糸井が選ぶ1枚は、
ぼくにとっていつも意外なのですが、
しばらくすると、いつも、
「ああそれしかない!」と思えます。

そんなふうにどんどんことばを選ぶ糸井を観て、
かっこいいなぁ、とぼくは思いましたが、
言いませんでしたよ、もちろん。
余談ですが、そのことばの束のなかには、
こっそり紛れ込ませておいたぼくの応募作もありました。
準々決勝くらいのところで、
机の上からなくなっちゃいましたけどね。

書ききれないほど、そういう場面を知ってます。
全国に流れる生放送で難しい話題を振られたとき、
いまにも泣きそうな人を前にして何か言うとき、
よじれた対談の空気を変えたいと誰もが思ってるとき、
いまのよろこびをいまことばにしなければいけないとき、
じぶんが泣きながらそれでも言うべき立場にあるとき、
とてもいいことを思いついてみなに知らせるとき、
友だちのちからになりたいとき、
備えていた悲しいことがついに起こったとき、
なにもないことの幸せをふつうに表現したかったとき。

糸井重里の本を年に一回出すこのときだけは、
糸井重里のメディアのなかで
糸井重里への尊敬を
こころおきなく表現することができます。

糸井重里のことばはちからが違うのです。
それで、本体がどんどん進んで言っても、
そこから発せられたことばが、
きらきらと光る長くて豊かな、
ほうき星の尾になっていくのです。

闇に向かって孤独に進む彗星の核と、
うしろにたなびくきれいな尾を、
この本を編集しながらぼくは観測したように思います。

以上の長い長い文章が、
いってみればぼくの書きたくて書いたことで、
「担当編集者から」というタイトルに即して書くならば、
慌ててこれから帳尻を合わせなくてはなりません。

この本のなかにあることばは
糸井重里が2018年に書いた原稿をもとにしています。
2018年は、糸井重里にとって
大きな出来事があった年でした。

長く家族として過ごしたブイヨンが亡くなりました。
そして、あたらしくブイコがやってきました。
もうひとつ、糸井の言い方を借りるなら、
「娘の娘」がその年に生まれました。

そういった核から生まれたほうき星の尾は、
『かならず先に好きになるどうぶつ。』という
長いタイトルの本のとても大切な部分を構成しています。
このシリーズはこの本を含めて13冊ありますが、
たぶん、ここでしか読めないことばが
たくさん含まれていると思います。

この本が出ることをお知らせするにあたって、
糸井重里を知る10人の方に
ひと足はやく原稿を読んでいただき、
本のなかからひとつのことばを選んで
自由に書いてもらう、というコンテンツをつくりました。
10人の方が選んだ10のことばは、
長さも内容も見事にばらばらで、
さらにそこから語られたことばも
まったく似通らない独自の読みものになりました。

それは、糸井重里のことばが持っている
可能性の現れだとぼくは思います。

たくさんの実行と思考と体験から生まれる
糸井重里のことばは、ひとつひとつが
いわばユニークな種子で、
そこからどんなふうにも話は育っていくのです。

最後の最後にそんなふうに
うまくまとめるつもりはなかったのですが、
地球上の生命の起源は、
彗星との衝突によって
もたらされたという説があるそうです。

ショーン・タンさんの
美しい装画に包まれたこの本には、
糸井重里の211のことばが収録されています。
きっと、読む人、ひとりひとりが、
可能性に満ちたじぶんだけのことばを
それぞれに見つけることができると思います。

手にしていただけますように。
読んでいただき、ありがとうございました。

2020年8月
永田泰大(ほぼ日刊イトイ新聞)

もどる