この「言いまつがい」という本は、
ことばをよく知っている人ほど
楽しめるようにできていると思います。
それが間違いであるということをわかるためには、
正しいことばがなんであるかを
わかっていなければいけません。
また、読んで「ここが間違っている」とわかるだけでなく、
正しい意味と間違いのあいだの距離、ズレといったものを
感じ取れる人ほどおもしろく感じることができます。
たとえば、偶然に言い間違ったことばが、
別の意味に解釈できて、よりおもしろくなる。
そのためには、理解するという働きが必要ですので、
やっぱり、ことば、日本語というものについて
きちんとした理解がなければいけないと思います。

また、重要なことは、
投稿という形をとることによって、
この本におさめられたほとんどのテキストが
書き手が「間違い」を指摘するという
パターンになっていることです。
たとえば、日本には、漫才という形式がありますよね。
漫才における笑いがなぜ生じるのかということは
さまざまな要因がありますが、
ひとつには、ある意外なことをひとりが言って、
別のひとりがそれを指摘しつつ
別の意味を与えるというパターンが
観客を笑いに導くわけです。
あえて関係性を失わせるような発話や、純粋な間違い。
それを発見することが、おもしろさにつながる。
間違えた人と、間違えたことを指摘する人の
両方がいてはじめてこのおかしさは生まれるんです。
それは、ある種のサービスかもしれません。

この本は、ある意味では誤用例の集合体といえます。
通常、そういう本はありません。
ふつうの本は、正しい表現ばかりが並んでいるからです。
こういう誤用の連続を読み進めるためには、
かなり頭を使うのではないかと思います。
読みながら、ここは正しい、ここが間違ってる、と
いちいち判断しながら読まなくてはなりませんからね。
間違いを間違いだと認識するためには、
誤用を理解するとともに、正しく規範に従った表現も
同時に頭に思い浮かべなくてはなりません。
それはたいへんなことですし、
ある意味、脳に負担をかける作業であるともいえます。

そういった意味でいえば、
頭をよくする、頭がよくなるという表現を
軽はずみに使うわけにはいけませんけれども、
ことばに対する感覚を磨いてくれる本であり、
知的な本であるといえます。
『言いまつがい』を読んで笑うというのは、
かなり知的な行為なんです。




2007-04-12-THU



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