この「言いまつがい」は、
脳の働きというよりは生理的なレベルの問題ですね。
同じ音が連続することばというのは、
非常に発音することが難しいんです。
言語が移り変わっていく過程では、
言いづらいことば、発音しづらいことばというのは
しばしば簡略化して、
発音しやすいことばへと変化していきます。
たとえばいまは「すいません」ということばを
ふつうに使いますが、あれは、
本来は「すみません」ということばなんです。
細かく言うと「m」の発音は
唇を一度合わせなければなりませんが、
まあ、唇を合わせないほうが発音が楽なんです。
そういうふうに、ことばは
使われるうちに自然と変化していく。
極端な例ですが、フランス語というのは、
長かったラテン語の単語を
楽な発音に変化させて
短くした言語だともいわれています。
言語というのは、長い時間を経て、
言いやすくなったり、短くなったりというふうに
変化していく性質を持っているんです。
とはいえ、言いづらいことばがすべてなくなるかというと
当然、そうではありません。
発音しづらいことばも、相変わらず残っている。
とくに日本語の場合は、音の数が少ない言語ですから、
限られた音を並べてたくさんの意味を表現するために、
多少発音しづらいことばであっても残りやすいんです。
日本語というのは基本的に
発音がしやすい言語であるといわれています。
母音が5つしかなくて、
子音も発音もそれほど難しいものはない。
要するに、音の仕組みが単純なんですね。
にもかかわらず、5万、6万という数の表現を
単純な仕組みの音で現さなければならない。
となると、同じ音が連続する発音しづらい組み合わせも
ことばとして存在せざるをえないんですね。
「あたたかい」ということばは、
生活における使用頻度を考えると、
もっと言いやすく変化してもおかしくない。
けれども、日本語の音の仕組み上、残っている。
そういうふうに大きく考えると、
上に挙げた「言いまつがい」の原因は、
日本語の性質が遠い原因であるということができます。 |