総論  こういう知的な遊びがどんどん広まればいいと思います。





日本語に限らず、言語というのは、
長い時間を経るうちに移り変わっていくものです。
現代における間違った日本語の蔓延について、
いちいち厳密に正すべきなのか、
それも含めて日本語と容認するべきなのか、
いろいろな考えがありますけれども、
少なくとも、間違いがあったときに
正しいことばを知っておくことが大切だと思います。

この「言いまつがい」というのは、
間違った表現に対する正しい表現がなんであるか、
そしてその間違った表現によって
どういうおもしろさが生じるかということを
反省しながら読むという構造になっています。

ですから、「言いまつがい」を読むこと自体が
非常に知的なゲームであるわけです。
少なくとも、この本を読むためには
知的な作業を必要とするといっていいと思います。

その意味では、こういう遊びが
どんどん広まればいいなあ
というふうに私は願っています。

本来、人はことばを正しく使う能力を
きちんと備えています。
間違いによってコミュニケーションが
さまたげられるのは困りますけれども、
たまに間違って、それによって正しいことばがわかって、
おまけに笑いも生まれるというのであれば、
それはやっぱり日本語のひとつの文化として
認めていいのではないかと私は思います。


まとめ
・「言いまつがい」を読むこと自体が  非常に知的なゲームである。 ・コミュニケーションがさまたげられない範囲であれば  「言いまつがい」をひとつの文化として認め、  広めていくのも愉快なことではないか。

(町田先生の話は今回で終わりです。
 お読みいただき、ありがとうございました!)


2007-05-04-FRI



(C)HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN