「九州人の思い」へ、 |
生粋の九州人ですが、そういう感覚はなく 福岡県出身でもなく、北九州市出身でもなく、 小倉(区)出身だと思っています。 北九州市民は、かなうはずもない福岡市に 勝手に敵対心を燃やし、勝手にあきらめています。 北九州市には7つの区があるのですが、 自分の区以外は認めないという狭い了見を持ち、 自分の住む所がいちばんだと思っています。 もちろん自分の住む町のおバカな所も知っていて、 冷静にけなしたりもするのですが、 人に言われるとそーとー腹が立ち、 言った相手の出身地をけなさずにはいられなくなります。 できの悪い子ほどかわいいという感覚かもしれません。 (へこた。43歳女子 福岡出身・在住) |
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私は大分県出身の24歳です。 地元を愛してやみません。 東京に出てから、この病はひどくなりました。 初めての人と会うときは 必ず「地元どこ?」と聞きます。 そして九州以外だと、自分でふっておきながらスルー。 九州だと、市や町や食べ物などなど、 地元の自慢に花を咲かせます。 今は、社会人になって東京でお金を貰うようになって このお金を地元で消費したいとまで思うようになって 月に1回大金はたいて、地元に帰ってます。 (A) |
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私は生まれも育ちも福岡県(博多)です。 ただ父は長崎、母は佐賀と九州人? ですが、 夫婦喧嘩はお互いの県のこきおろしです。 お互い福岡にすんで50年近くたっているのに いまだに二人ともなまりは地元のままです。 たまに理解不能の言語が食卓をとびかい それが喧嘩の元になっていたりします。 私は立派な3県バイリンガルに育ったつもりです。 (あいち 福岡在住40年 女性) |
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福岡出身の私、東京に住んで15年になります。 最初に羽田空港で驚いたのは 【東京土産ひよ子】という看板‥‥。 何ば言いようとね? 銘菓ひよ子は福岡土産ばい!!! 水も良い福岡という土地柄だったからこそ 美味しいひよ子饅頭が出来たとです! 小麦粉だって九州のモノしかつこうとらんっちゃが! 福岡へ帰省した際、東京人へのお土産は モチロン、嫌がらせのように 福岡が生んだ銘菓【ひよ子】です♪ ふっふっふ‥‥。 (おかん・女) |
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佐賀県に住んでいます、26歳、女です。 「佐賀県人だけが訛りをなおそうとしていた」 というメールを昨日拝見しましたが、 それは佐賀南部の方ではないでしょうか? 南部は“がばいばあちゃん”的な方言です。 私は佐賀北部K市で生まれ育ちましたが、 訛りを直すなんてとんでもない! 地元大好きですし、言葉も大好きです。 と、このように九州人には自分の地元を好き過ぎな人が たしかに多いと思います。 そして、九州のことはもちろん好きなのです。 日頃、そんなに意識しているわけではないのですが、 九州や地元のことを話すとき、 胸の奥にある九州を誇りに思う気持ちが キラリと光る気がします。 甲子園などでは、自分の県だけじゃなく、 九州勢みんなを力一杯応援しますよ。 (ルーシー) |
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現在ニューヨークで生活している佐賀県民です。 縁があって、九州出身の友達が数人います。 ちょっとだけ遠くなったお互いの故郷のこと、 会えばお互いの地元話になっちゃたりして、やっぱり みんな生まれ育った場所が好きなんだなあ、と実感します。 他の県のことなのに嬉しそうに話す友達の顔を 見て、日本にいたときに感じた九州それぞれの県 の違いは感じず、行ったことのない九州の話でもとても 身近に感じるのは、ここにいるせいかもしれません。 正直にいうと、帰国しても将来九州に戻ることは あまり考えられませんが、ほっと出来る九州が大好きです。 (ベーグル) |
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友達は宮崎県出身なのですが、とにかく九州好き。 (1)パソコンの授業中、グーグルアースしてな にを見ているかと思えば、地元宮崎を見ている。 東京は建物がわかるくらいに拡大されるのに、 宮崎は拡大されないと嘆き、悲しむ。 (2)方言を頼んでもないのに教えてくれる。 (3)九州出身の芸能人をやたら気にしていて 「こいつは福岡」とか「あいつは宮崎」などと詳しい。 (4)電車と高速道路が宮崎を避けて九州に通っている。 高速道路がないせいで空港から家まで3時間。と熱弁。 そんな地元愛の強い友達のおかげで、 自分が育った埼玉県を見直す機会を持つことができました。 正直いままで「ダサイタマ」とよばれる 埼玉県なんか嫌だと思っていました。 愛着心もそんなになかったんですけど、 その友達の九州人に「埼玉出身の芸能人は宮 崎よりも多いし、浦和レッズはあるし、交通の便いいし、 自分の地元に誇りを持て!!」と言われました。 よくわからない理論だけど、 九州人の熱さに負け納得して、今では埼玉結構好きです。 (埼玉県 女) |
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わたしは鹿児島県人(女)です。 40歳を超え、関西(大学京都→仕事大阪→住まい神戸の 三都物語)に住んでいる期間が 鹿児島よりも長くなったことにショックを覚え、 そのことは無かったことにしています。 私の夢は、京都出身の長男とだんなをだまくらかし 60歳定年後に鹿児島で温泉付きの家に住み 野菜を育て鶏と一緒に暮らすことです。 (じゃっどん鹿児島 今は神戸のこした) |