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── |
まずは、この『三位一体モデル』の
率直なご感想を、
お聞かせいただけますでしょうか? |
池谷 |
はい、そうですね‥‥。
読みながら、なにか
金づちで打たれたかのような
衝撃を受けました。
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── |
具体的には、どのように? |
池谷 |
つまり、新しい「分解のしかた」、
ということでしょうか。
ものごとを理解するためには、
昔から「分解して解析し、真実に迫る」、
というのが、人文系・理系問わず
学問に共通の姿勢だと思うんですけれど、
そのとき、この「三位一体」という考えかたが、
真実を分解するための工具‥‥
つまり「ドライバー」のようだと、思いました。 |
── |
ドライバー、ですか。 |
池谷 |
はい。
三位一体モデル、
それ自体の起源は純粋に宗教、
具体的にはキリスト教ですよね。
でもそれを、「ツール」として考えたとき、
「真実を分解するための工具」
みたいなものだなぁ、と思ったんです。 |
── |
ほおお。 |
池谷 |
たとえば、プラスのドライバー。
これは、すごく汎用性がありますよね。
身のまわりの、いろんな機械が
プラスのドライバーで分解できるはずです。
同じように、この「三位一体」という
考えかたのツールを使うと、
身のまわりのいろんなものを
分解して解析できるんだ、
ということに、衝撃を受けたんですよ。 |
── |
なるほど、なるほど。 |
池谷 |
あるいは、いままで
まったく別々のものだと
思われていたものが、繋がっていく。
芸術や宗教、そして経済。
「三位一体」という考えかたを軸にして、
そういったものの関係性が見えてくるというお話に、
とっても驚きました。
そして、もうひとつ、
おもしろいなぁと思ったことがあります。
それは、
「三位一体」で説明できないものもあるんだ、
と中沢先生がおっしゃっていること。 |
── |
はい。 |
池谷 |
説明することが、できない。
この本のなかで触れられている
例を挙げれば、
たとえば、イスラム教ですよね。 |
── |
だからこそ、「三位一体」で考える
キリスト教とは対立するんだ、と。 |
池谷 |
ええ。
あるいはまた、「三位一体」で考えると
どうも、うまくいかないケースがある、とも。
ですから、
この本の最後の「座談会」のところにある
「三位一体モデルに
あてはまらないケースを考えることで、
足りないものが見えてくる」
というくだりは、なにかを考えるときの、
とても大きなヒントになりそうです。 |
── |
理系の分野でいいますと、
「なになにの公式」だとか
「だれだれの法則」みたいなものが
たくさんありますよね? |
池谷 |
ええ、ありますね。
でも「三位一体モデル」は
それらのいろんな公式や法則を
くし刺しにして、
貫くような考えかただと思うんです。
個々の現象に対する公式や法則は
それぞれありますけれど、
「三位一体」のように、ひとつのモデルで
いろんなことを説明してやろうというものは、
あまり聞いたことがありませんね。 |
── |
しかもそれは、
科学だけじゃなくて‥‥。 |
池谷 |
はい。
本のなかでも触れられていますけど、
ビジネスから私たちの実生活の問題にいたるまで、
有用なツールとして、考えられそう。
先ほども言いましたけど、
「分解して解析する」だけじゃなくて、
仮に「三位一体」のバランスが悪かったとしたら、
「それじゃあ、いま、なにが足りないのか」
ということに、気づくことができると思うんです。
そういった、欠陥を治癒するような
「治療方針」としても使えるというところが、
僕にとっては、相当おもしろかった。 |
── |
ひとつひとつの問題に対して、
まずは「三位一体」の図を描いてみたら
なにかヒントが得られるかも、ということですよね。 |
池谷 |
そうですね。
また、たとえ話もできますし。
「つまり、三位一体で考えるとね、
ここの部分が弱いから、
こんなことが起こってるんじゃないか?」
「他のケースでは、ここが足りなかったから、
今後、こういうことがあるかもしれないぞ。
じゃあ、どうしたらいいんだろう」
そういう、ある種の比較論。
分野を超えた比較論で
ものごとを考えることも、できそうですよね。
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── |
ご自身のことに引き合わせて
「三位一体」を考えてみたりとか、
なさいましたか? |
池谷 |
ええ、もちろん。
科学者って、かっこよく言ってしまうと
「真実に仕える身」だと思うんです。
つまり「三位一体モデル」にあてはめると、
「子」の立場ですよね。
そして、「真実」が「父」。
そこで、「増殖する霊」とはなにかと考えたら、
それはたぶん、「知」ですよね。
「知」はアンコントローラブル、
つまりコントロールできないものなので、
これはまさに「聖霊」ではないかと。 |
── |
なるほど。 |
池谷 |
「父なる真実」を
実験や試行錯誤をつうじて伝える
「子=科学者」たちによって、
「知」が「知」を生んで、増殖してゆく。
もちろん、われわれ科学者が
間違うことだって、あります。
ですから、
「子」であるわれわれ科学者には、
「父なる真実」に従いつつ、
どうやって「知」を増殖させるか、
というテクニックが
重要になってくるんだと気づいたんです。 |
── |
そのお話は、池谷先生にとっての
「仕事論」のようにも、聞こえます。 |
池谷 |
ええ、そうですね。
科学者として
どのようにふるまうのか、
どういった努力をしていくべきなのか
ということも、改めて考えさせられました。
<続きます!>
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