── |
現代の日本において
ほとんどの「デザイン」は
経済効率の増殖に加担している、
とおっしゃっていましたが、
将来的には、どのような役割を
果たすべきなんでしょう? |
深澤 |
デザインが、ですか?
現在でも、それ以外の面で
貢献していることはいっぱいありますよ。 |
── |
それは、たとえば‥‥。 |
深澤 |
デザイナーのジャスパー・モリソンと
「スーパーノーマル展」という、
展覧会をやったんです。
これは、たとえば
立食いそば屋にあるようなコップだとか
小学校でよく見るポリバケツだとか、
あまりに「ふつう」すぎて
デザインを意識させないモノが
じつは手放せないんだよね、ということに
気づいてもらいたいと思って
進めてきた展覧会なんです。 |
── |
今までのお話でいうと
人とモノとの「いい関係」、ですよね。 |
深澤 |
ええ。
人とモノとが、
もともと持っていた関係性を
もうちょっと見直したらどうだろう?
というコンセプトなんですね。
つまり、これは、ひとつには
「いまあるモノ」の見直し作業です。 |
── |
はい。 |
深澤 |
「こういうモノっていいよね」と
思える素直な感覚を、
もういちど取り戻すこと。
つまり、むやみに
新しいものを作ろうとしない
という考えかたですね。
これは、むしろ
「いい関係性を、変えない」
ということが、
これからのデザインには
求められていると思うからです。
そういうことを総称して、
「スーパーノーマル」。 |
── |
超ふつう、と。 |
深澤 |
ノーマルを超えるノーマルです。
ノーマルなものをもとに
新しいモノをデザインすることですね。 |
── |
なるほど。 |
深澤 |
もうひとつは、スーパーノーマルって
「ものすごくふつう」ということですが、
そもそも「ふつう」って、
煎じ詰めたひとつのかたまり、
みんなが共有できているものだと思うんです。 |
── |
多くの人が思い浮かべられるイメージ、
ということでしょうか? |
深澤 |
コーヒーカップをいくつか並べて、
どれがいちばん
「ふつう」のコーヒーカップですか?
と聞いたら、
たいていの人が「これ」って
言い当てられると思うんですよ。
だったら、それが
もっともブレのないコーヒーカップ。
そして、それは同時に
僕たちと、もっとも「いい関係」にある
コーヒーカップなんですよ。 |
── |
なるほど‥‥
確かにそんな気がします。 |
深澤 |
あるいは、
アイスクリームを食べようとして
引き出しを開けたら、
いくつかスプーンが並んでるでしょう? |
── |
ええ。 |
深澤 |
でもそのなかから、いつも必ず
ある特定のスプーンを探しませんか? |
── |
ああ‥‥そうですね! |
深澤 |
慣れ親しんでいるスプーン。
それがいちばん、
自分にとっての「ふつう」なんです。 |
── |
自分にとっての「ふつう」こそ
自分にとっての最良のものである、と。 |
深澤 |
そうそう、そしてそれが
他人にとっての「ふつう」だったりもする。
共有してるわけですよね。
そして、「ふつう」についての理解を
まわりの人と共有してるということは
とても幸せなことだと思うんです。 |
── |
なるほど‥‥。 |
深澤 |
でも、それを無視して
新しいデザインを生み出したい、というのが
デザイナーの欲求なんですね。 |
── |
ええ、ええ。 |
深澤 |
だけど、この「ふつう」のカップには
みんなが言い当てている「中心」がある。
このカップで問題ないんだったら、
このスプーンをいつも選ぶなら、
もう、それがいちばんいいんじゃない?
ということを伝えたいと思ってるんです。 |
── |
お聞きしていて思ったんですが、
スーパーノーマルという考えかたって、
深澤さんが高浜虚子の言葉から
インスピレーションを受けたのと同じように、
デザイン以外の分野にも
応用できそうな概念ですよね。 |
深澤 |
だから、たとえば政治でも経済でも
参謀のなかに
優秀なデザイナーを一人、入れるだけで
なにかが変わってくるんじゃないかなと、
僕は思っています。 |
── |
ただ、一般的に「ふつう」というと
まるで評価が低い、なんて
言われているみたいですけれど‥‥。 |
深澤 |
うん、「ふつう」というと、
なんだか後ろ向きな印象があります。
自分の子どもを
「ふつうだね」なんて言われたら
すごく、ネガティブですよね。 |
── |
はい。 |
深澤 |
でもじつは
「静かで平和な暮らし」ということを
表現するときにに使う「ふつう」なんて、
かなり前向きな意味を持っているでしょう。 |
── |
なるほど、そうですね。 |
深澤 |
みんな、「ふつう」を超えたがっていて、
みんな、「ふつう」がイヤだっていう時代だけど、
ちょっと振り返ってみて、
今まで気づいてなかった「ふつう」を
眺めかえしてみたらどう? ってね。
そうすると、自分の生活が
ものすごく豊かになっていくと思うんですよ。 |
── |
そっちのほうに、
価値があるんじゃないか、と。 |
深澤 |
ようするに、そのモノが
自分の暮らしに、
「ふつう」に合っているのかどうか。 |
── |
どっちいいか、みんな知っていて、
そこに気づいてもらうことが
スーパーノーマルという考えかたなんですね。
すべての人たちは知ってるけど、
その良さに気づいてないという‥‥。 |
深澤 |
そうですね。 |
── |
みんな、忘れているんでしょうか。 |
深澤 |
僕らのなかに染み込んでいて
忘れてはいないけれど、気づいていない。
とくに最近は、「ふつう」って
「デザイン」の対極にあるものだと
思われている時代ですから。 |
── |
なるほど、確かにそうです。 |
深澤 |
逆に言えば、
「デザイン」というものが
人とモノとの「いい関係」をも
崩してしまうような、
ちょっと背伸びしたもの、というふうに
理解されているような時代ですよね。 |
── |
それでは、深澤さんにとっての
「いいデザイン」というのは‥‥。 |
深澤 |
やっぱり、人との関係性が
切れていないデザイン。
僕はそれを
「ふつう」と表現しているんですよ。
<終わります>
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