西ヨーロッパの資本主義社会では
ありとあらゆるものを
商品につくりかえていくことを可能にし、
他方では、自然科学も発達させて
この世界に起こっていることを
すべて情報に組み替えていくことが
できるようになっていきました。

さまざまなものごとを
お金の価値に、変えることができる。

数字に、変えることができる。
情報に、変えることができる。

これを可能にしたのは
もともとの「三位一体説」を
内側から改造してしまい、
ロシアで考えられているような
「聖霊が外側からわき上がってくる」
ということがないような状態を
つくってしまったからなのです。

こうした動きを見て
ロシアの思想家たちは、
次のように、考えました。

ロシアの考えかたは、
「3」に基づいている。



つまり、
「三位一体」の「聖霊」にあたる部分が
「父」や「子」とまったく同格で、
私たちの世界に
外側からちからを注ぎ込んでいる。

これに対して
西ヨーロッパのキリスト教は、
外側から見ると
「三位一体」の姿をとっているけれども、
本当は「2」の原理なんだ、と。

そして、実際はそのとおりでした。

西ヨーロッパでは、「父」と「子」から
「聖霊」が流れ出るようなシステムに
なっていますから、
これは「2」の原理なのです。

ですから、
おなじ「三位一体」の考えかたでも
「3」の考えに忠実に生きる人びとと、
姿かたちは「三位一体」だけれども、
それを内側から改造して
「2」につくりかえてしまった人びと、
そうした両者の考えかたが
歴史のなかでせめぎ合いをしてきたのです。

20世紀の初頭に
ロシア革命が起きると、
こうしたロシアの考えかたが、
自己主張をはじめました。

つまり、われわれは
西ヨーロッパの考えかたとは
違うんだということを、
主張しはじめたのです。

おそらく、ロシア人たちは
20世紀の初頭に資本主義を批判していた
レーニンたちの考えかたを
受け容れたんでしょうね。

しかし実際には、
レーニンたちの社会主義とは
ロシア的な「三位一体」の考えかたを
そのまま表現したものではありません。

しかし、自分たちの世界が抱えているものは
西ヨーロッパ流の「三位一体」とは違うんだ
ということを表明するために、
ロシアの人びとは
間違ったものを受け容れてしまったのです。

そしてそのうちに、
そうした考えかたは、
西ヨーロッパ型の資本主義システムに
飲みこまれていきました。

つまり、おもてむきは「3」の構造を
しているけれど、
その内部に立ち入ってみると、
「2」の原理に
改造されてしまっている考えかた。

そして、そこに
資本主義というシステムが組み込まれると
経済活動がとてもうまく作動していくのです。

そしてそれは、いまや
世界中を覆い尽くしていくような影響力を
発揮するようになりました。

ですから、
『三位一体モデル』という本のなかで
説明されている「三位一体」とは、
じつのところ、
西ヨーロッパのそれではなく、
ロシア的な考えかたに基づいた「三位一体」です。



そこでは、権威主義や権力主義に
つねに抵抗しつづけていた人びと、
その象徴が20世紀では
1930年代のスペイン市民戦争に
結晶していきましたけれど、
その担い手となったバルセロナの人たちが
自分たちの思想として抱いていた
「3」の原理が、背景になっています。
この考えかたは、
ひじょうに古い根を持っています。

というのも、
人間が自らの本質はなにかと
考えはじめたときにはすでに、
「三位一体」的なモデルに基づいた思考法は、
発生していたのだと思うのです。

ときにはキリスト教のかたちを
とることもあったかもしれないし、
あるいは、
バルセロナのアナーキズムに
結晶していくことだって、あったかもしれない。

ようするに、
歴史のなかでしだいに姿を変えながら
現代まで生き延びてきた考えかたなのです。

そしてバルセロナとロシアでの経験から、
わたしは、
自分たちの生きかたのすべてを
つくりかえていこうとする
「グローバリズム」に直面しながら、
どうやったら
この世界を生き生きとしたものに
保ち続けることができるのか、
という問題に立ち向かおうとしたとき、
「三位一体モデル」こそ
ひじょうに重要な思考法となってくるのでは、
という考えに、たどりついたのです。

<つづきます>



2007-01-22-MON