── |
本を読むプロとして、
永江さんは『三位一体モデル』を
どのように読まれましたか? |
永江 |
そうですね‥‥。
警告の書、でしょうか。 |
── |
と、言いますと? |
永江 |
つまり、ぼくの場合は
資本の増殖と環境の話として読みましたね。 |
── |
いわゆる環境問題の「環境」ですか? |
永江 |
そうですね、はい。 |
── |
経済活動の発達によって、
自然がどんどん汚染される、という‥‥。 |
永江 |
ようするに、この本のキーワードは
「増殖」ということですよね。
なにかが増えていく、ということ。
そして、その「増える」ことを
コントロールできなくなっているという
現状があるわけですよね。 |
── |
はい。 |
永江 |
ですから、その「増殖」の先には、
ひずみとしての環境負荷の問題が
当然あるんだろうなって思ったんですよ。 |
── |
なるほど。 |
永江 |
資本主義や経済活動が増殖したときに
いちばん困るというか、
深刻な影響を受けるものは何だろうと考えたら、
それは、環境じゃないか、と。
いまの世のなかを
批判的に見るものさしになるなぁ、と思いました。
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── |
環境問題について考えた、という
感想をいただいたのは、はじめてです。 |
永江 |
いや、ちょうど
この『三位一体モデル』を読んでる時期、
自動車ジャーナリストのかたに、
取材をしていたんですね。
なぜ、電気自動車が必要なのか、
というような話をうかがっていたんです。
たとえば、ピークオイル説とか‥‥。 |
── |
ピークオイル説? |
永江 |
ようするに、ある一点を越えると、
採掘にかかる費用と採掘によって得られる
お金のプラスマイナスが逆転してしまう、
ということなんですけど‥‥。 |
── |
経済活動として成り立たなくなる、と。 |
永江 |
ええ。
その時期が何年後に来るのか。
いろんな説があるんですが、
早ければ20〜30年以内かもしれない
という説が、
わりと信憑性を持たれてきているんです。
ですから、聖霊の増殖を
コントロールできなくなることによって
何が起こるんだろう、ということと、
なぜ電気自動車が必要なのかという話とを
頭のなかでつなげながら読んでいたんですよ。 |
── |
なるほど、なるほど。 |
永江 |
だから、もっと何だろう、
たとえばAV業界を取材していたら、
アダルトビデオと「三位一体」なんて
考えてたかもしれないですけどね(笑)。
でも、こんなふうに、一人ひとりが
そのときの関心のあることがらに
引きつけて読むことができるという点が、
この『三位一体モデル』という本の
おもしろいところなんじゃないでしょうか。
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── |
いまのテレビ業界や出版界をみてみますと
スピリチュアルな内容のものが
ブームとして「増殖」していますね。 |
永江 |
そうですね。社会批評っぽい言いかたをすると、
いまのブームっていうのは、
増殖しすぎた「聖霊」を整理するための
原理的な「父」を探してるんだと思います。 |
── |
「スピリチュアル」というと
まずは「聖霊」を連想しますが‥‥。 |
永江 |
スピリチュアルなものは
もう大量にあふれているんですよ。
で、それを整理してくれたり、
解釈してくれたり、
説明してくれるような原理を
みんな、探してるんだと思います。 |
── |
考えかたのよりどころとなるような? |
永江 |
ええ。ですから「悪い父」なんかが
出てきちゃったりしたら、
ちょっと、こわいですよね。 |
── |
歴史を振り返ってみても‥‥。 |
永江 |
たとえば、1930年代のドイツなんかも
そうだったんでしょうね。
ファシズムという「父」に、みんな熱狂していた。
ナチスの演説を聞いてるときなんか、
みんな、気持ちよくなって
そこにぶわーっと行ってしまったわけですから。 |
── |
気持ちよくなって? |
永江 |
宗教的なもののまわりで
大勢の人が共同するようなときって、
気持ちいいと感じちゃうらしいんですよ。
たとえば、司祭とか修道士って
われわれからすると
すごくストイックな生活を
してるように見えるじゃないですか。
でも、カトリックの施設で育てられた
作家の花村萬月さんによると、
あれはすごく「気持ちいい」んだって。 |
── |
禁欲的に苦行にはげむことが、快感だという? |
永江 |
みんなでつつましい暮らしをして、
ずっと朝から晩までお祈りして‥‥
という生活が何より気持ちいいんだ、と。
それはおそらく、
脳科学的にも説明がつくんじゃないでしょうか。
脳内麻薬がどんなふうに出て、
快楽に変わっていくのかっていうね。 |
── |
なるほど。だからこそ、
どんな「父」か、が問われてくる、と。
<つづきます>
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