── |
深澤さんの目からごらんになって、
日本のデザインとは
どのような位置にあるのでしょう?
たとえばイタリアなど
デザイン先進国と呼ばれる国とくらべて‥‥。 |
深澤 |
う―ん、難しいんだけど、
経済的な効果を生むための役割を
担っているものが多いとすると‥‥。 |
── |
日本のデザインが‥‥? |
深澤 |
ええ、どっちのデザインにお金を払うか、
という競争をしてるわけですから、
どうしても、お金を払ってもらえるような
デザインにしましょう、となってきますよね。
そういう意味で、
日本のモノは「広告塔」なんですよ。
それ自体でね。 |
── |
なるほど。 |
深澤 |
でもそれは、そもそも
道具だったわけで、広告塔ではない。 |
── |
本来は。 |
深澤 |
そして、広告塔のデザインというのは
僕たちの「生活」に
ピッタリ当てはまらないんです。
つねに何かが、よけいなんですよね。 |
── |
何かが過剰している、と。
それは、資本主義経済のなかの
デザインだからでしょうか? |
深澤 |
いや、先ほども言いましたが
デザイナーがやらなければならないのは
資本主義という制約のなかで
どうやって正解を出すか、です。
ただ、たとえばヨーロッパなんかには、
すごく刺激的な形や色をしていても、
そのバランスをうまく利用しているだけであって、
本来の道具性は踏み外していない、
というデザインが、たくさんあります。
そのあたりは、わきまえというか、
生活環境の「輪郭線」に見合ったものだから
しっくりくるんですよ。 |
── |
モノの「輪郭線」ですか。
それが周囲の環境に
なじんでいるかどうかだ、と。 |
深澤 |
うん、そうですね。 |
── |
それでは、日本における
デザインのサイクルというのは
たとえば、ヨーロッパにくらべると
早いんでしょうか? |
深澤 |
圧倒的に早いですね。 |
── |
圧倒的、ですか。 |
深澤 |
消費のスピードが早いですからね。
つまり、半年サイクルで
新しいものを出していかないと、
乗り遅れてしまうんです。 |
── |
そういう現状に対して、
どのように思われていますか? |
深澤 |
誰も良いとは思っていないでしょう。
でも、携帯電話やデジタルカメラ、
テレビなんていうものは
つねに目新しさを打ち出していかないかぎり
資本主義の競争に負けてしまうんです。
だから、とにかく走り続ける。 |
── |
いろんな機能を追加して‥‥。 |
深澤 |
それはもう、
変えるためのデザイン、ですよね。
ただ、そういう時代でも、
みんなに愛されるデザインは
生まれるわけです。
でも、多くの人から
良いと言われていても
半年後にはまた、
次のデザインに変えてしまう。
どこかに目新しさがないと、
競争に負けてしまうと
思われているからです。 |
── |
なるほど‥‥。 |
深澤 |
4月になったから、
10月の商品の開発をしましょうって
もう、自然に進んでいきます。 |
── |
とはいえ、たとえば
コンバースのオールスターなんて靴は
ずっと同じデザインですよね。 |
深澤 |
それは、ひとつには、
スニーカーは単機能だからですよ。
人間の足なんて
そう簡単に変わらないし、
ただ歩くためのもの
という機能に特化して言えば
どんなに新しい要素を付加しても
そんなに大差はないわけです。 |
── |
なるほど。 |
深澤 |
そして、もうひとつには
歩くためという単機能ゆえに
僕たちの生活に
過不足なくピッタリ合っていること。
つまり、人とモノとの関係が
しっくりとうまくいっていて、
これ以上の余計な機能は要らないということを
みんな、わきまえている。
もっと言えば、変わってほしくない、
とさえ思っているわけです。 |
── |
なるほど、「歩くための道具」は
機能の面で古びていかないわけですね。 |
深澤 |
だからこそ、
そういった単機能のモノこそ、
デザインの競争が厳しいんですよね。 |
── |
厳しい? |
深澤 |
そりゃ、厳しいですよ。
何十年も愛され続けているモノを
超えるなんて、とても難しいことです。 |
── |
ああ‥‥なるほど。 |
深澤 |
コンバースよりも売れ続けるスニーカーを
生み出さなくては
ならないわけですからね。
逆に、半年ごとのサイクルで
次々と変わっていくようなデザインは、
厳しいと言っても、
大したレベルではないとも言えます。
<続きます>
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