今回は、デザイナーとして
世界的に活躍されている深澤直人さんに
ご登場いただきました。
きっかけは、デザイン誌『AXIS』の書評コーナーで
深澤さんが『三位一体モデル』を取り上げてくださったこと。
デザイン専門誌の書評欄で、なぜこの本?
そんな話題を手がかりとしながら、深澤さんのお話は
ご自身の「デザイン観」にまで広がっていきました。
今日から全5回の連載として、お届けいたします。



── 深澤さんの目からごらんになって、
日本のデザインとは
どのような位置にあるのでしょう?
たとえばイタリアなど
デザイン先進国と呼ばれる国とくらべて‥‥。
深澤 う―ん、難しいんだけど、
経済的な効果を生むための役割を
担っているものが多いとすると‥‥。
── 日本のデザインが‥‥?
深澤 ええ、どっちのデザインにお金を払うか、
という競争をしてるわけですから、
どうしても、お金を払ってもらえるような
デザインにしましょう、となってきますよね。

そういう意味で、
日本のモノは「広告塔」なんですよ。
それ自体でね。
── なるほど。
深澤 でもそれは、そもそも
道具だったわけで、広告塔ではない。
── 本来は。
深澤 そして、広告塔のデザインというのは
僕たちの「生活」に
ピッタリ当てはまらないんです。
つねに何かが、よけいなんですよね。
── 何かが過剰している、と。
それは、資本主義経済のなかの
デザインだからでしょうか?
深澤 いや、先ほども言いましたが
デザイナーがやらなければならないのは
資本主義という制約のなかで
どうやって正解を出すか、です。

ただ、たとえばヨーロッパなんかには、
すごく刺激的な形や色をしていても、
そのバランスをうまく利用しているだけであって、
本来の道具性は踏み外していない、
というデザインが、たくさんあります。

そのあたりは、わきまえというか、
生活環境の「輪郭線」に見合ったものだから
しっくりくるんですよ。
── モノの「輪郭線」ですか。
それが周囲の環境に
なじんでいるかどうかだ、と。
深澤 うん、そうですね。
── それでは、日本における
デザインのサイクルというのは
たとえば、ヨーロッパにくらべると
早いんでしょうか?
深澤 圧倒的に早いですね。
── 圧倒的、ですか。
深澤 消費のスピードが早いですからね。
つまり、半年サイクルで
新しいものを出していかないと、
乗り遅れてしまうんです。
── そういう現状に対して、
どのように思われていますか?
深澤 誰も良いとは思っていないでしょう。

でも、携帯電話やデジタルカメラ、
テレビなんていうものは
つねに目新しさを打ち出していかないかぎり
資本主義の競争に負けてしまうんです。

だから、とにかく走り続ける。
── いろんな機能を追加して‥‥。
深澤 それはもう、
変えるためのデザイン、ですよね。

ただ、そういう時代でも、
みんなに愛されるデザインは
生まれるわけです。

でも、多くの人から
良いと言われていても
半年後にはまた、
次のデザインに変えてしまう。

どこかに目新しさがないと、
競争に負けてしまうと
思われているからです。
── なるほど‥‥。
深澤 4月になったから、
10月の商品の開発をしましょうって
もう、自然に進んでいきます。
── とはいえ、たとえば
コンバースのオールスターなんて靴は
ずっと同じデザインですよね。
深澤 それは、ひとつには、
スニーカーは単機能だからですよ。

人間の足なんて
そう簡単に変わらないし、
ただ歩くためのもの
という機能に特化して言えば
どんなに新しい要素を付加しても
そんなに大差はないわけです。
── なるほど。
深澤 そして、もうひとつには
歩くためという単機能ゆえに
僕たちの生活に
過不足なくピッタリ合っていること。

つまり、人とモノとの関係が
しっくりとうまくいっていて、
これ以上の余計な機能は要らないということを
みんな、わきまえている。

もっと言えば、変わってほしくない、
とさえ思っているわけです。
── なるほど、「歩くための道具」は
機能の面で古びていかないわけですね。
深澤 だからこそ、
そういった単機能のモノこそ、
デザインの競争が厳しいんですよね。
── 厳しい?
深澤 そりゃ、厳しいですよ。
何十年も愛され続けているモノを
超えるなんて、とても難しいことです。
── ああ‥‥なるほど。
深澤 コンバースよりも売れ続けるスニーカーを
生み出さなくては
ならないわけですからね。

逆に、半年ごとのサイクルで
次々と変わっていくようなデザインは、
厳しいと言っても、
大したレベルではないとも言えます。

<続きます>

2007-04-16-MON