大丈夫な理科系の対談。

第9回 show and tellってなんですか?

内田 インターネットの時代になって
身近なところで変わってくるものとして
自分を売り込むプレゼンテーションが大事に
なってくるなんてのがあるでしょうね。
たとえば、従来の銀行さんっていうのは、
地元の信用金庫じゃないけど、親しく、
フェイス・トゥ・フェイスでお客さんと
接してきましたよね。
その家の商売だけじゃなくて、
じいちゃんばあちゃんが何歳でとかね。
で、どういうような家族の構造で、
どういうようなことでこの商売を始めて、
今どうなっているかなんてことを、
以心伝心的に情報交換し合ってきた。
そういうもろもろのことが
一種の担保だったわけです。

アメリカ的インターネットの世界では、それが
自発的なプレゼンテーションに置き換わって
いくのでしょうね。

日本人のメンタリティから言うと
うまいプレゼンテーションをやって
「上手くごまかしたものの勝ち」と
いう感じになるんじゃないでしょうか?
だからプレゼンテーションで株価吊り上げる
なんてこともやるようになる。
そういうような話が
日本でもだんだん起こってきましたよね。
糸井 すごいですよね。
今ね。
内田 企業のトップがその企業の持ってるビジョンを
しっかり言わないと、株価が上がらない、
っていうような話になってきちゃってますしね。
糸井 で、プレゼンテーションの時代っていうのは、
やっぱりそれはそれで表層なんですよね。
軸のところに触れるプレゼンテーションって
そんなに簡単にできるものじゃなくて。
内田 アメリカなんかだと、
ほんとに表層的なプレゼンテーションはバレるから。
糸井 はい。
内田 やっぱりしっかり中も……
糸井 そう、進化すると思うんです。
内田 今の日本だったら、組織の奥底はやっぱり
旧態依然のままだから、単に形を真似してる。
糸井 よく読むと何も書いていないっていう
文章が成り立つじゃないですか。
今の日本のものは。
内田 ええ、そう。
糸井 それが見抜ける力みたいなものは、
ちょうどプログラムのミスが見抜けるように
そんなに難しいことじゃないはずなんですよね。
違うじゃない! って明らかなものは
山ほどあるわけですよ。
そこんところが学校の勉強じゃなくって
出来ていくだろうなと。
内田 うん、うん。
糸井 あれはつまんないね、って
大衆の言ってることは
当たってたりしますからね。
内田 そういうものが、だんだん大事になるんであれば、
いずれ入試の科目に取り入れたりするのが
いいんでしょうけど、まず、
学校の教育の中にその訓練を入れるんでしょうね。
show and tellじゃないけど。
糸井 そのshow and tell っていうのはなんですか?
アメリカの小学校のシステムなんですか? 教育の。
内田 小学校の中で、それぞれ順番が決まっててね、
自分がみんなに見せたいものを
アピールするんですね。
昔々自分が1歳の誕生日のときに
もらったくまちゃんだったらば、持っていってね、
これは私が大事にしてるくまちゃんですと、
いいでしょう、と。
それをみんなに自慢するというか
見せびらかすというか。
糸井 それは小さい子の方ですか、
大きい子がやるんですか。
内田 小学校低学年。
糸井 低学年ですか。
僕それ聞いて、さっき聞き流してて、
あとで聞こうと思ってたんですけど、
アメリカで、フリーマーケットみたいな、
e-bayみたいなシステムが
あんなに盛んになったのって、
それがあったんだなって気づいたんです。
つまり、日本で、不要品交換をやると、
クリエイティブがないんですよ。
つまり、show でもtellでもないものが、
どんどんばら撒かれてるわけです。
ですからあそこに楽しみってものはないんですね。
つまり、くまちゃんに魅力があるって以上に、
くまちゃんを show してtellするっていう、
そのゲームとしてプレイできるわけですよね。
ところが要らないレコードがあったから
売りますって言っても、
そのレコードに対する何かっていうものが無ければ、
一番売れたレコードが一番出てくるんですよ、
市場に。いちばん要らなくなるから。
内田 ああ、そっか。
糸井 そのシステムで日本の e-bay だとか
日本の Yahooのオークションに楽しみがないから、
あれ、だめんなると思ってるんですけど。
つまり show and tellがないからだという言い方が
簡単に出来ますよね。
前は俺、日本人ってクリエイティブじゃねぇんだよ、
あんなものはだめなんだよ、
覗いてておもしろくないものって
必要なものがあっても、だめなんだって言ってて。
楽屋の姿が見えたり、観客として楽しめる
オークションじゃない限り。
ま、仮に、ビートルズが有名になったときに、
最初に汗ふいたハンカチっていったら、
すでにもう意味があるじゃないですか
内田 うんうんうん。
糸井 でも、ハンカチ売りますっていったって、
意味ないですね。
その違いみたいなものを、
今ネットビジネスに関わってる人っていうのが、
まったく考えてないですよ!
日本人もアメリカ人だと思ってますよ。
ハーイ、って言わない人たちが
やってるわけですから。
福嶋 数ですね。
糸井 数、単なる、数。
システムそのものに対する群がり方っていうのは、
好奇心強いですから、だーっとくるんですよ。
そのやり方おもしろいね、っていうことのやり方が
飽きたときには、いなくなってるだけでしょ。
テレビゲームなんかもそうだったんだけど、
卵を割って、お椀の中に中味を出して、
料理を最初しますよね。
あれ自体おもしろいことじゃないのに、
テレビゲームであれをやると
面白いように感じるんですね。
卵を割るっていうだけで。
で、終わるんですよ。テレビゲームは。
じゃ、卵割るってことはおもしろいの?
って言ったら、面白くなかったからなんですよ。
なのにみんな卵を割るのを
どれだけリアリティを出せるかってとこに、
勝負を持ってっちゃう。
おもしろくなかったんだから、
そんな一所懸命やったって無理だよ。
テレビの画面でそうやって疑似体験やることが
面白かった時代ていうのは、
そういうシステムのおもちゃだったんだよ。
って考えると、あれは寿命がないんです。
だからPS2が売れないのは当たり前なんですよ。
ソフトも作れないし。で、ほんとに必要なのは、
内田さんのおっしゃったアートの部分で、
俺しかできないものっていうのを
何人の人に売るかって。
百万本っていうのはなくなるんだよ、おそらく。
5万本で売れるようになんなければ、ペイしない。
すると作るシステムのほうにまた知恵を使って、
3ヶ月で作れるんだったら、5万本でもいいや、
てことになる。この循環で、ある意味では
平準化しちゃうんだと思うんですけどね。

で、またイノベーションが起こって、
もっと面白い遊びがあるぞと。
これを繰り返していくのが、
多分健康な文化の呼吸だと思ってるんですよ。
今、Gameboy のソフトは売れてるわけですよ、
ある程度。単純で。
あと、携帯電話でいろんなソフト、
必要ありっこないんだけど、
携帯電話から、何かが、っていうだけで、
面白がられてるじゃない?
あれも仕組みがおもちゃなんであって、
出てきたものが面白いわけじゃない。
いつでもそれを繰り返してる。
知恵のないものがいつも商売になっている。
ほんとに必要なのは知恵で、
それはね、しばらく治んないけど俺、治ると思う。
そんなに人間、バカじゃないからね。
退屈する能力ってあるじゃない?
ちゃんと捨ててくじゃないですか。
そしたら捨てられないようにって考えるだけで、
作り方が上手になりますよね。
内田 はじめは単純なものでも夢中でやってるけど
だんだんクリエイティブなものに移っていく
みたいですね。
例えば碁とか将棋とか、
かなりクリエイティブじゃないとできない。
で、囲碁も将棋も、囲碁連盟とか、
そういうところの人は、
数の減少に悩んでるわけですよね。
だんだん将棋指したり、
碁を打ってくれる子供が減っちゃう。
で、なんとか増やせないだろうかっていうんで、
パソコンの上に囲碁や将棋のソフト作るわけだけど
やっぱりプレステのロールプレーイングの方が
最初は勝つわけですよね。
単純だし。でも
やっぱりどこかでそれを卒業するやつっていうのが
でてきて、ウチの子供たちの場合も飽きてきてね。
糸井 何歳くらいですか? お子さん。
内田 あ、もう大学生なんですけどね。
こんど一浪して大学にやっと入る、
やれやれという…。
受験でね、もっと勉強しろっていうときに、
またダビスタのニューバージョンが
リアルになったとかって、やってるわけですよ。
でもそのうち裏ワザはないか、とか
もっと積極的にゲームに入り込もうとする。
それができないから不満になってくるみたい。
だんだん成長はしてくるものだなと見てましたけどね。
糸井 捨てるでしょ。上手に。
内田 そうそうそう。
糸井 意外に上手に。
内田 意外と、ころっとやめちゃうのね。
糸井 僕は大衆のすごさっていうのは、
ああいうところなんだと思うんですよ。
で、さてその人が働くようになると今度は、
プレゼンテーションする側に回りますよね。
内田 ええ、ええ。
糸井 捨てた経験を覚えてる人は、
いいプレゼンテーションが
できるんだと思うんですよ
内田 なるほど。
糸井 お客ってこんなに冷たいんだ、って。
ばかじゃないんだって知ってる人が
絶対いいもの作る。
僕が今やってるっていうのは、
別の場所でプレゼンテーションをした経験の
ある人が、プレゼンテーションされる側に
回ってるから、おもしろいんです。
つまり昔は消費者っていうのは
サザエさん像だったんですよ。
サザエさんっていうのは何にも作ってないんですね。
ただ受けとめているんです。
東芝の冷蔵庫、東芝のテレビ。
サザエさんっていう番組。
そういうものをいつも磯野家では
受けとめてんだけど、
でもサザエさんが仮に
保険のセールスをやって、
お客さんっていうのは10人話を聞いてくれたら、
その内の2人が、もう一歩中に入れてくれるとか、
そういうことを知りますよね。
すると、サザエさん家で流れてくるテレビの放送に
対しての、いい悪いの判断っていうのは
変わりますよね。
そういうことがインターネット上で、
あり得るってところを
見ちゃったっていう気がするんですよ。
これは気持ち悪いくらい恐かったですね。
オペレータとオペレータじゃない人に
分かれていくだろう。
オペレータじゃないやつの中に
きちがいも混じるだろう。
つまり研究するしか僕には生きがいがない
っていう人は、当然、あるパーセンテージ混じる。
それからそれを翻訳する人が混じる。
で、きっとまた、おんなじように
縞模様に分かれていって、
ラクしたいっていう人は、ワーカーになるだろうな。
ワーカーに何を与えられるだろうってことも、
また誰か責任のある人が、
考えなきゃなんないっていうふうに
分業されていくんでしょうね。
内田 そういう意味じゃ、分業される時に
自分が好きなときに寝て、
好きなときに飯食ってっていうことができる側へ
入るためには
やっぱりよりクリエイティブにならなきゃいかんと
いうことがわかってくる。
自分自身をよりうまくプレゼンテーション
できるやつが勝つ!
アメリカの世界では元々そうだったんだけど
インターネットが個人ベースの会社なりを
起こすことを容易にしたということで、
優秀な人がどんどん会社辞めちゃってね、
コンサルタント会社として個人で営業した方が
有利ということになっちゃって
バラバラになりますよね。
糸井 バラバラになってるんでしょ?もう。
内田 ものすごくなっちゃってる。
アーサーアンダーセンという有名なシンクタンクが
あるんですけど、
特にでっかいシンクタンクのできる人っていうのは
まさにそういうことがやれる人達ですよね。
会社の中にこもって人に使われていれば
上澄みとられてるわけですから、
外に出て独立してやった方が、
先行きの安定性はともかく、
収入が高くなるし、もっと成功するかもしれない。
糸井 そこでもまた数量なんですよね。収入って形でね。
内田 まあ、そうですよね。
糸井 やりがい、ではないと思うんですよ。
内田 ま、アメリカ人の場合は、
高給を取ることが人生の目標の一つと、
非常にはっきり割り切ってるんだと思うんですけど、
やりがいではないですよね。
糸井 違うことを考えてるんだとは思いますけどね。


2000-10-15-SUN

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